9月14日(水)愛媛朝日テレビ「えひめのミカタ」の番組収録が伊達博物館第一展示室で行われました。この番組は10月3日(月)に放映されます・その収録予定は
14:00宇和島城紹介映像収録
15:00宇和島城インタビュー収録
16:00DATE博物館インタビュー収録
16:30DATE博物館紹介映像
ちょうど閉館の時間でゆっくりと撮影でき安心しました。石橋寛久市長さんのインタビューでは、「これからも宇和島市としては伊達文化を中核に据え大事にしたい。」という力強いコメントがあり、頼もしく感じました。NGなし、一発OK!
2011年9月18日日曜日
ギャラリートーク
試み
伊達博物館には伊達博物館協議会がある。この組織は博物館運営に関するご意見を聞く場でもあり、少しでも博物館事業を活性化するためにもうけられている。様々な諸事情があり、一昨年より再編された。その中でお客さんに喜んでいただく企画、ギャラリートークが始まった。
今年はロービーで行うより、実際に道具類の前で説明する方がわかりやすいということから館内をご案内しながら説明することにした。手狭な人数のため、土日祝祭日のみ、14:00から実施している。興味があるところのみの方も居られるし、最初から最後まで深く聞き入り、質問される方も居られる。やはり、対面説明はコミュニケーションの根本と思う次第である。
井伊家2代当主直孝所用甲冑と井伊家旗印
2011年9月17日土曜日
縁(えにし)_記念講演会
記念講演
博物館としては、初めての試みで「秋の特別展」に併せ。特別講演会を開催した。この講演会は主催者だけでなく、宇和島歴史文化研究会の方々に協力していただいた。この場を借りて感謝申し上げます。なお、当日の参加者は120名余で大変好評でした。
1 期日 平成23年9月10日 10:00~
2 場所 宇和島市総合福祉センター
3 講演 「井伊家伝来大名道具と彦根屏風」 彦根城博物館髙木文恵学芸史料課長補佐
「井伊直弼・伊達宗紀密談始末記」 愛媛県歴史文化博物館藤田正学芸課長
4 主催 宇和島市・公益財団法人伊達文化保存会
協力 彦根城博物館・愛媛県歴史文化博物館・宇和島歴史文化研究会
2011年9月16日金曜日
2011年9月13日火曜日
2011年9月12日月曜日
展示替え9月7,8日
常設展のものを出し終わり、7日、8日と関西日通のかた、愛媛日通の方による彦根城の名品を展示する。6日は無理をし、片付けに時間が掛かった。検品した学芸員と日通の方とがペアで展示していく。ハイケースのものは「変わり兜」
入り口前のハイケース
2011年9月10日土曜日
展示替え(9月6日)
秋の特別展の展示替えが始まった
最初の仕事として「佳姫さまの御駕籠」を収蔵庫に収納する作業。人数がいることから文化課長さんを始め、本庁の学芸員、財団のかた総出で作業をする。感謝!
ここには畳を敷き、彦根城博物館の「関ヶ原合戦図」と「馬印」を展示する。
2011年8月27日土曜日
2011年8月25日木曜日
2011年8月21日日曜日
2011年8月12日金曜日
愛媛県立歴史文化博物館
秋の特別展のお願いに愛媛県立歴史文化博物館を訪れた。夏休みで特別展「昭和子ども図鑑」も開催され盛況であった。エスカレータで上がり、エントランスに入って驚いた。宇和島城が・・・
段ボールによる宇和島城の模型が精巧にできている。写真で楽しんでください。
段ボールによる宇和島城の模型が精巧にできている。写真で楽しんでください。
愛媛県立歴史文化博物館玄関
2011年8月5日金曜日
2011年8月1日月曜日
山家忌(おたまやさま)
2011年7月29日金曜日
博物館協会
博物館と名前が付く館は数多いけれど博物館法を満足させている館は少ない。日本ではその博物館の組織化を行っている。縦の組織としては「愛媛県博物館協会」「四国博物館協会」「日本博物館協会」である。それとは別に「西日本博物館協会」という組織もある。
7月、8月の月はその総会が行われる。県博物館協会は「愛媛県立美術館」で15日に総会が行われた。四国地区に関しては「香川県立ミュージアム」で21日、22日の両日開催された。議題は両者とも行事報告、決算報告、行事計画、予算審議である。その後、講演会がもたれる
愛媛県では、三浦アートヴィレッジの寺村尚起ゼネラルマネージャーさんが講演された。故三浦保氏が作られた美術館であり、地域に親しまれるものにしたいとのこと。悩みは知名度がまだまだということ。
7月、8月の月はその総会が行われる。県博物館協会は「愛媛県立美術館」で15日に総会が行われた。四国地区に関しては「香川県立ミュージアム」で21日、22日の両日開催された。議題は両者とも行事報告、決算報告、行事計画、予算審議である。その後、講演会がもたれる
愛媛県では、三浦アートヴィレッジの寺村尚起ゼネラルマネージャーさんが講演された。故三浦保氏が作られた美術館であり、地域に親しまれるものにしたいとのこと。悩みは知名度がまだまだということ。
忙しさを楽しもう
三浦保氏の今週の言葉より
2011年7月22日金曜日
山家清兵衛公頼
21日より29日まで「山家清兵衛」公の甲冑と佩刀を特別展示します。個人お持ちの方のご厚意で3年前より実施しています。
宇和島市では「和霊さん」の愛称で知られている山家清兵衛は最上の出身、伊達政宗に仕え、その知力は計り知れないと言われていました。長男秀宗が宇和島10万石に配置された折、政宗は重臣57名(伊達57騎)を秀宗のため、付けてやります。その中でも政宗の「覚え」に記載されている家老職「山家」、「桜田」、「志賀」は有名です。
伊達家五代藩主村候による山家清兵衛の肖像画
山家家の家紋は「対(むか)い波」と「釘抜き」
宇和島騒動(詳細は別項で)の後伊達家では、山家清兵衛公を祀るため「和霊神社」を建立します。その祭りが23,24日で走り込みで有名です。しかし、最近では「牛鬼まつり」と名前を変え、本来の祭りの意義が薄れているような気がしないでもありません。
山家清兵衛の暗殺は、旧暦6月の晦日となっています。菩提寺の金剛山大隆寺では7月29日を命日としてお祭りをしています。当日、本堂では宇和島騒動の挿絵が屏風に張られ、物語としても楽しめます。宇和島人としては是非参拝を・・・
伝 山家清兵衛所用甲冑
宇和島市では「和霊さん」の愛称で知られている山家清兵衛は最上の出身、伊達政宗に仕え、その知力は計り知れないと言われていました。長男秀宗が宇和島10万石に配置された折、政宗は重臣57名(伊達57騎)を秀宗のため、付けてやります。その中でも政宗の「覚え」に記載されている家老職「山家」、「桜田」、「志賀」は有名です。
伊達家五代藩主村候による山家清兵衛の肖像画
山家家の家紋は「対(むか)い波」と「釘抜き」
対い波紋
釘抜き紋
対い波紋は肖像画の陣幕に描かれている
釘抜き紋は和霊大祭の時に氏子たちが着る法被の背に描かれている
宇和島騒動(詳細は別項で)の後伊達家では、山家清兵衛公を祀るため「和霊神社」を建立します。その祭りが23,24日で走り込みで有名です。しかし、最近では「牛鬼まつり」と名前を変え、本来の祭りの意義が薄れているような気がしないでもありません。
山家清兵衛の暗殺は、旧暦6月の晦日となっています。菩提寺の金剛山大隆寺では7月29日を命日としてお祭りをしています。当日、本堂では宇和島騒動の挿絵が屏風に張られ、物語としても楽しめます。宇和島人としては是非参拝を・・・
2011年7月15日金曜日
出前授業
最初、宇和島歴史文化研究会の方たちと計画したときは「出前講座」でした。講座と言うには、おこがましい気がして「授業」となりました。始めて4年が経過しました。参加校や参加人数も増えています。
目的は、子どもたちの歴史離れを危惧された方たちの意見を取り入れ、気軽に呼んでいただき、授業をすること。そのため小学校の授業時間に合わせ45分間の授業としました。また、公益財団法人宇和島立て文化保存会のご協力で、資料等は本物を使い、目の前で見せることにより、興味関心がより高くなっています。
形態は様々ですが、全校児童対象の学校もありました。5,6年対象の学校が多かったと思います。内容的には徐々に増やし、現在のところ「幕末の宇和島藩」「宇和島藩の歴史」「宇和島藩の参勤交代」「吉田藩おかけやについて」となっています。
昨日で前半が終わり、後半は秋の特別展終了後の11月となっています。子どもたちの生き生きとした眼、分からないことについての質問など積極的で、「出前授業の」すばらしさが、強く残っています。
目的は、子どもたちの歴史離れを危惧された方たちの意見を取り入れ、気軽に呼んでいただき、授業をすること。そのため小学校の授業時間に合わせ45分間の授業としました。また、公益財団法人宇和島立て文化保存会のご協力で、資料等は本物を使い、目の前で見せることにより、興味関心がより高くなっています。
形態は様々ですが、全校児童対象の学校もありました。5,6年対象の学校が多かったと思います。内容的には徐々に増やし、現在のところ「幕末の宇和島藩」「宇和島藩の歴史」「宇和島藩の参勤交代」「吉田藩おかけやについて」となっています。
昨日で前半が終わり、後半は秋の特別展終了後の11月となっています。子どもたちの生き生きとした眼、分からないことについての質問など積極的で、「出前授業の」すばらしさが、強く残っています。
2011年7月7日木曜日
満開の藤?
7月7日七夕の日に・・・
『寛政重修諸家譜』によれば、伊達氏はもともと藤原氏の流れだが、文治5年(1189)、源頼朝が奥州の藤原泰衡を征伐したとき、藤原鎌足を初代とした17代目の朝宗(伊達氏の祖)がこれに従って戦功があり、奥州伊達郡(現福島県伊達市)を与えられて以後、伊達氏と名乗ったという。
宇和島藩伊達家も当然、藤原の流れであり、その名前を大事にした。伊達家の御殿の庭(偕楽園)には藤の花が植えられ大切に育てられている。また七代宗紀公は天赦園を造営するとき、家紋の「竹に雀」にちなんだ「竹」と藤原の末裔ということで「藤」を植栽している。
藤の花は5月の大型連休に咲いているのが普通だが、今年は一昨日から咲き始め、二度目の満開を迎えた。季節感の喪失からかもしれない。
『寛政重修諸家譜』によれば、伊達氏はもともと藤原氏の流れだが、文治5年(1189)、源頼朝が奥州の藤原泰衡を征伐したとき、藤原鎌足を初代とした17代目の朝宗(伊達氏の祖)がこれに従って戦功があり、奥州伊達郡(現福島県伊達市)を与えられて以後、伊達氏と名乗ったという。
宇和島藩伊達家も当然、藤原の流れであり、その名前を大事にした。伊達家の御殿の庭(偕楽園)には藤の花が植えられ大切に育てられている。また七代宗紀公は天赦園を造営するとき、家紋の「竹に雀」にちなんだ「竹」と藤原の末裔ということで「藤」を植栽している。
藤の花は5月の大型連休に咲いているのが普通だが、今年は一昨日から咲き始め、二度目の満開を迎えた。季節感の喪失からかもしれない。
伊達博物館偕楽園の野田藤
2011年7月5日火曜日
平成23年度秋の特別展「彦根藩井伊家と宇和島藩伊達家」
彦根市、彦根城博物館、井伊家のご協力の下、秋の特別展の詳細が決まりました。旧大名家では彦根藩の名宝は数多く残され、中には国宝、重文も数限りなくあります。秋の特別展にはご厚意によって、その中でも選りすぐりのものをお借りすることができるようになりました。ポスター、パンフレットも出来上がっていますので、どこかでお目にとまるかもしれません。
1 日程 平成23年9月 9日(金)~10月10日(月)
開会式式典 9月 9日(金) 9:00~9:30
2 特別講演会 平成23年9月10日(土) 10:00~12:00
場所 宇和島市総合福祉センター 入場無料
※ 駐車場は宇和島市総合体育館駐車場
開会の挨拶 10:00~10:20
講演 10:20~12:00
彦根城博物館学芸史料課長補佐 髙木 文恵氏
愛媛県歴史文化博物館学芸課長 藤田 正氏
3 「ひこにゃん」宇和島に来る!
平成23年10月 2日(日) 天赦園
出陣時間 10:00~10:25 11:30~11:55
4 国宝「彦根屏風」の展示期間
平成23年9月9日(金)~9月23日(金)
5 ギャラリートーク 期間中 土日祝祭日 14:00~ 当館学芸員による
※ 期間中の休館日 9月12日(月)、20日(火)、26日(月)、10月3日(月)
1 日程 平成23年9月 9日(金)~10月10日(月)
開会式式典 9月 9日(金) 9:00~9:30
2 特別講演会 平成23年9月10日(土) 10:00~12:00
場所 宇和島市総合福祉センター 入場無料
※ 駐車場は宇和島市総合体育館駐車場
開会の挨拶 10:00~10:20
講演 10:20~12:00
彦根城博物館学芸史料課長補佐 髙木 文恵氏
愛媛県歴史文化博物館学芸課長 藤田 正氏
3 「ひこにゃん」宇和島に来る!
平成23年10月 2日(日) 天赦園
出陣時間 10:00~10:25 11:30~11:55
4 国宝「彦根屏風」の展示期間
平成23年9月9日(金)~9月23日(金)
5 ギャラリートーク 期間中 土日祝祭日 14:00~ 当館学芸員による
※ 期間中の休館日 9月12日(月)、20日(火)、26日(月)、10月3日(月)
2011年7月1日金曜日
2011年6月19日日曜日
後期展開始
後期展(6月18日~12月25日)が始まりました。展示替えは初めて4日間の日程でした。甲冑の移動と秋の特別展「縁(えにし)」を想定した並び替えが要因でした。特別展の搬入にかかる手間を省くための配置はいろいろと工夫されています。
後期展開始の日は高速道路割引1,000円、無料社会実験の最終日。雨にもかかわらず予想以上の入館者でした。目的を持ってこられた方、新しい展示に目を見張る方も多くいました。口をそろえて言われるのは「宇和島にこんな大名道具類が多く残っているとは!」という驚きの声でした。博物館としては、まだまだ宣伝不足の感が改めてしました。
平成23年度後期常設展 「大名家のコレクション ~お殿様の集めたもの~」
第一展示室 幕末の宇和島伊達家 7代宗紀と8代宗城
第二展示室 唐人図
第三展示室 書院飾り
第四展示室 企画展示 志賀家展
後期展開始の日は高速道路割引1,000円、無料社会実験の最終日。雨にもかかわらず予想以上の入館者でした。目的を持ってこられた方、新しい展示に目を見張る方も多くいました。口をそろえて言われるのは「宇和島にこんな大名道具類が多く残っているとは!」という驚きの声でした。博物館としては、まだまだ宣伝不足の感が改めてしました。
平成23年度後期常設展 「大名家のコレクション ~お殿様の集めたもの~」
第一展示室 幕末の宇和島伊達家 7代宗紀と8代宗城
第二展示室 唐人図
第三展示室 書院飾り
第四展示室 企画展示 志賀家展
2011年6月12日日曜日
2011年6月5日日曜日
杏
2代公伊達宗利には3人のお姫様(三保、豊、光)しか子どもがなく、3代には仙台藩伊達家より宗贇公が養子に入られている。光姫は京極家に、豊姫は真田家(更埴市、現千曲市)に嫁いでいる。
その真田家のある更埴市(現千曲市)と宇和島市は友好姉妹都市の締結をしている。つまり伊達家つながりである。この更埴市の方々が来宇されたおり、杏の木はどこにあるのか探された。当時、宇和島には杏はなかった。それではということで杏の苗木を送っていただいた。それが伊達博物館偕楽園と天赦園にある杏の木である。「里帰りの杏」
このあんずの始まりは元禄時代、豊姫が、松代藩主・真田幸道候に輿入れする際、故郷の春を忘れじとしてあんずの苗木を取り寄せたものが始まりといわれている。昔は漢方薬としてあんずが重宝され、当時の松代藩が森村、倉科村に栽培を奨励し、普及して現在のあんずの里になったという。市内の森、倉科地区は、「一目十万本日本一のあんずの里」として知られてる。4月には「あんず祭り」「豊姫祭り」でも名高い。
その真田家のある更埴市(現千曲市)と宇和島市は友好姉妹都市の締結をしている。つまり伊達家つながりである。この更埴市の方々が来宇されたおり、杏の木はどこにあるのか探された。当時、宇和島には杏はなかった。それではということで杏の苗木を送っていただいた。それが伊達博物館偕楽園と天赦園にある杏の木である。「里帰りの杏」
天赦園の杏
2011年5月26日木曜日
ネットワーク
この季節になると純白の花を付ける泰山木。もともとは中国原産とか。
この博物館を37年に渡り見続けてきた大木。
この花が散ると梅雨を迎える。
先日、嬉しい便りがもたらされた。ある町の美術館の学芸員さん、突然の来館。
ちょうど、伊達家の御当主が来館され、退館される所だったので紹介し、そのあと暫く懇談した。
博物館のブログを見ているとか。
「秋の特別展のポスター」のできあがりが早いとお褒めの言葉が・・・
見ていてくださる方はいる、と思わず嬉しくなった。
また、宇和島城 城山を守る会 「大目付日記」にも伊達博通信の紹介をしていただいた。
これがネットワークと言わないで、なんと言おうか?
インターネットではWebという。Webとは蜘蛛の巣・・・
張り巡らされた糸のごとく、これからいろんな施設や博物館、美術館に広げていけたらいいな!
陽光に輝く泰山木の花
2011年5月23日月曜日
調査・研修
2月24日の読売新聞朝刊の記事を読み、高知県立歴史民俗資料館を訪れました。
「政宗消息」の軸(元は書面)を快く見せていただいた関係者の皆様に感謝。
この軸は寄贈したいただいたものの中にあったそうです。
まさかと思い調査を仙台に依頼。
仙台市博物館学芸員さん、元仙台市博物館佐藤館長さんの「間違いない。」の報告で驚きと感動。
内容は本多正純に家康様にお取り次ぎをとの依頼状。
そして政宗は二条城で会見の後、大坂冬の陣に親子で参陣。
その手柄により、長男秀宗には宇和島十万石が与えられた。
公益財団法人宇和島伊達文化保存会蔵の政宗「覚」(1614年)の紙質、字体は同じもの。
花押については政宗は数十種類使用しているので別の種類のものでした。
「仙台藩の跡取りはまかり成らぬ。」と言われた長男秀宗を思う親心からの依頼状。
それによって宇和島藩伊達家十万石の城主に・・・
そして「覚」(五箇条の戒め)に繋がる。
なにか親子の情愛のストーリーが描けます。
現在、宇和島市はこの繋がりで仙台市、大崎市、北海道当別町と姉妹友好都市。
今回の被災に対して何か協力できることがあればと現在、模索中です。
2011年5月6日金曜日
2011年4月28日木曜日
2011年4月26日火曜日
2011年4月24日日曜日
2011年4月10日日曜日
2011年4月4日月曜日
2011年3月31日木曜日
2011年3月27日日曜日
天赦公園駐車場整備
昭和49年開館の頃には貸し切りバスのお客さんが多く、駐車場はバスで埋まり、入館者数も多かった。現在では自家用車が主流でバスの駐車場も多いときには利用しなければならない。2年前の特別展では旧天赦園グランドに廻ってもらった。しかし、今では天赦公園(旧天赦園グランド)の工事中なので特別展の駐車場は悩みの種だった。その解決策で新津石油跡を市が購入し、現在、駐車場として活用できる工事を行い完成した。管理は都市整備課で、普段は来年度完成する天赦公園の駐車場となるが、特別展やイベントの時には博物館の駐車場としても使用できると聞いている。
2011年3月24日木曜日
2011年3月21日月曜日
樺崎砲臺の碑
風化され文字も解読できないような状態となっている。宇和島の文化として保存しておく必要があり、いろんな方にお聞きした。本があるはず?とか誰やらが取り込んでいる?とか聞いたけれど資料は手に入らなかった。しかし、ある方が伊達図書館長だった兵頭賢一氏が和霊小学校より出版したの伊達家の流れの中にあることを紹介してくださり、その本を貸していただいた。そのコピーをアップしようかと思ったが、打ち直した方が見やすいし、今後のためになると思い、文言は旧字体で打った。しかし文字もパソコンにないものとか、欠字もあり、昭和初期においても判読不明なところもある。文の解読に関しては今後アップしたい。
2011年3月16日水曜日
2011年2月27日日曜日
子を思う親
24日の読売新聞の朝刊に掲載された記事。独眼竜「口利き」依頼書状をボランティアガイドの方に持参いただいた。内容を見ると今まで推測だったことが、現実味を帯びてきた。
秀宗に宇和島10万石が与えられたのは、父政宗が政治的に動き、実現できたという裏付けの証明となる。側室の子、秀吉の猶子となっていたため、仙台藩の跡継ぎにはできにくい。そこで、この口利きの依頼状となったと思われる。この書状は徳川家康の腹心本多正純に送った「身上之義」で土佐藩士の子孫の方が保管されていた。高知県立歴史民俗資料館を通じて、伊達家に詳しい仙台市博物館が筆跡、政宗の花押などで確認した。(読売新聞を要約)
大坂冬の陣のため、家康が京都二条城にいた1614年11月10日付での書状。このあと政宗は家康と面会する。政宗と秀宗はこの後、冬の陣に参戦し、その功績で10万石の宇和島藩を与えられることになる。東北の雄、政宗に対する徳川家の思惑は、秀宗の婚儀に対しても徳川の重臣、井伊直政の娘「亀姫」を嫁がせたことでも分かる。
しかしながら政宗の心の不安は計り知れない。秀吉、家康の人質として甘やかされ、育った境遇を特に心配している。宇和島入府の折には、仙台藩の家臣の中でも選りすぐりの57人をつけて送り出している。世に言うところの「伊達57騎」である。
秀宗に宇和島10万石が与えられたのは、父政宗が政治的に動き、実現できたという裏付けの証明となる。側室の子、秀吉の猶子となっていたため、仙台藩の跡継ぎにはできにくい。そこで、この口利きの依頼状となったと思われる。この書状は徳川家康の腹心本多正純に送った「身上之義」で土佐藩士の子孫の方が保管されていた。高知県立歴史民俗資料館を通じて、伊達家に詳しい仙台市博物館が筆跡、政宗の花押などで確認した。(読売新聞を要約)
大坂冬の陣のため、家康が京都二条城にいた1614年11月10日付での書状。このあと政宗は家康と面会する。政宗と秀宗はこの後、冬の陣に参戦し、その功績で10万石の宇和島藩を与えられることになる。東北の雄、政宗に対する徳川家の思惑は、秀宗の婚儀に対しても徳川の重臣、井伊直政の娘「亀姫」を嫁がせたことでも分かる。
しかしながら政宗の心の不安は計り知れない。秀吉、家康の人質として甘やかされ、育った境遇を特に心配している。宇和島入府の折には、仙台藩の家臣の中でも選りすぐりの57人をつけて送り出している。世に言うところの「伊達57騎」である。
2011年2月25日金曜日
2011年2月21日月曜日
「宇和島さんさ」の踊り
「宇和島さんさ」の由来については前に書いた。その踊りの写真がどうしても見つからない。踊り終わって歩いている姿とか、小さなWeb上のものはあるが、鑑賞に堪えない。博物館が探していることを聞いた方が、「宇和島お城祭り」でお城の前で踊っている「宇和島さんさ」の写真を持参さんしていただいた。感謝とともに掲載させていただく。宇和島武士のプライドをかけた歌であり、振り付けられた踊りも格式の高いものとなっている。今後の復活を祈念して・・・(撮影者は不明)
2011年2月19日土曜日
ひな人形展
恒例のひな人形展が始まった。宇和島の園児達、児童たちの夢をふくらませるこの展示。この展示は、同時に宇和島藩伊達家の歴史を知ることにもなる。目を輝かせながら、この人形は何? 大きさは? 数は? などなど質問が飛び交う。会期は4月4日(月)までとなっている。広報などでは3日までとなっているが、宇和島地方のひな祭りが4日(月)ということもあり、休館日だが開けることにした。
大宮庫吉氏より、寄贈いただいた「有職(ゆうそく)びな」は幅7m50cm、五段飾りの見事なものである。その展示の苦労を見ていただきたい。最初に位置決め、そして段の骨組みの組み立て、そして緋毛氈を敷く作業、そして、ひな人形や調度類を並べる作業となる。流れは簡単に書いたが、繊細な手際、力仕事と時間、館の職員全員が力を合わさねば展示できない。大宮家のひな人形だけではない。享保時代に作成された鍋島家から7代藩主宗紀公に嫁いできた「観姫」のひな人形も展示に工夫、苦労をする。いずれも歴史的価値のあるものであるため、細かい所に神経を使わねばならない。実質展示替えには、まる二日かかる。
その他、伊達家に伝わるひな調度類も展示している。見たことがある方も、見たことがない方も是非この機会に伊達博物館を訪れていただきたい。
2011年2月13日日曜日
樺崎砲台跡
幕府から沿岸防備の命令により宇和島藩もそれに従っている。その大砲の製造に関わる反射炉の建設も盛んであった。この遺構は各地に残っている。韮山、萩、佐賀、水戸、薩摩など。宇和島藩も鋳造するための施設を作っている。その場所は宇和津彦神社の下あたり。余談ながら、火縄銃や前原巧山の蒸気船の蒸気機関もここで作られている。
先日、ある方より樺崎砲台の石碑の文字について問い合わせがあった。碑の文字が消えかけているが、記録があるのかというもの。早速、整備されている砲台跡に出向いたが、文字を読むことができなかった。その後の調査で碑文が本になっていることを知った。現在、貸していただけるようお願いしているところである。時期を見て掲載したい。次の樺崎砲台に関する説明は「旧宇和島の自然と文化」よりのもの。写真と併せて見ていただきたい。
市指定史跡 樺崎砲台跡 所在 住吉町
安政2年(1855)3月から12月にわたり、10か月かけて宇和島湾の守りとして築造された砲台の跡である。
黒船とよばれた外国艦船が、日本近海にも出没しはじめて、鎖国政策を久しく続けてきた幕府は、沿岸諸藩にその防備を固めるよう命ずるにいたり、宇和島藩では、すでに嘉永3年(1850)高野長英の設計で、御荘久良に砲台が完成、のち宇和島湾にも設けようとしていたが安政元年(1854)の大地震のため民力の疲弊を慮り、その計画をいったん中止していた。
ところが、二宮長兵衛在明という篤士家の出資申し出があり、藩もついに樺崎砲台築造に着手し、宇都宮九大夫綱敏、松田源五左衛門常愛を奉行としてはじめた。
玉か月の山や遊子の海岸から石や土砂を運び、山をきり海を埋めて構築し、5門の砲がすえられていた。のち慶応2年(1866)宇和島に来航したイギリス軍艦に対して礼砲を撃ったことが、アーネスト・サトウの記録に見られ、実戦には役立つものではないらしいとも記されているが、宇和島藩が西洋造築法を導入して成ったものの一つとして意義が深い。
砲台跡傍らに竣工を記念し、その経過を記して、安政3年(1856)に建てられた碑石が今も残っている。碑文は藩学明倫館教授金子孝太郎の撰になるものである。
その後、元治元年(1864)湾の向かい側の戎山にも砲台が築かれた。
先日、ある方より樺崎砲台の石碑の文字について問い合わせがあった。碑の文字が消えかけているが、記録があるのかというもの。早速、整備されている砲台跡に出向いたが、文字を読むことができなかった。その後の調査で碑文が本になっていることを知った。現在、貸していただけるようお願いしているところである。時期を見て掲載したい。次の樺崎砲台に関する説明は「旧宇和島の自然と文化」よりのもの。写真と併せて見ていただきたい。
市指定史跡 樺崎砲台跡 所在 住吉町
安政2年(1855)3月から12月にわたり、10か月かけて宇和島湾の守りとして築造された砲台の跡である。
黒船とよばれた外国艦船が、日本近海にも出没しはじめて、鎖国政策を久しく続けてきた幕府は、沿岸諸藩にその防備を固めるよう命ずるにいたり、宇和島藩では、すでに嘉永3年(1850)高野長英の設計で、御荘久良に砲台が完成、のち宇和島湾にも設けようとしていたが安政元年(1854)の大地震のため民力の疲弊を慮り、その計画をいったん中止していた。
ところが、二宮長兵衛在明という篤士家の出資申し出があり、藩もついに樺崎砲台築造に着手し、宇都宮九大夫綱敏、松田源五左衛門常愛を奉行としてはじめた。
玉か月の山や遊子の海岸から石や土砂を運び、山をきり海を埋めて構築し、5門の砲がすえられていた。のち慶応2年(1866)宇和島に来航したイギリス軍艦に対して礼砲を撃ったことが、アーネスト・サトウの記録に見られ、実戦には役立つものではないらしいとも記されているが、宇和島藩が西洋造築法を導入して成ったものの一つとして意義が深い。
砲台跡傍らに竣工を記念し、その経過を記して、安政3年(1856)に建てられた碑石が今も残っている。碑文は藩学明倫館教授金子孝太郎の撰になるものである。
その後、元治元年(1864)湾の向かい側の戎山にも砲台が築かれた。
2011年2月9日水曜日
2011年2月2日水曜日
おしどり
一昨年の後期展に應挙の「みずどり」と「鯉」の軸を展示した。この軸は屏風だったものを軸仕立てにしたものといわれている。そのため一つの題材が6本の軸となっている。その軸の前にちょうど天赦園の池に来ていた「おしどり」の写真を展示した。天赦園におしどりが来るのは始めてとか。おしどりは雄が派手な色合いで、雌はくろっぽく目立たない。子育てのため天敵から子どもを護るため目立たないのかも知れない。おしどりは、かならず「つがい」で移動すると聞いていたので、雌を探したが見つけることが出来なかった。警戒していたのかも知れない。
条件的に難しかったが、おしどりの羽もガラスケースに入れ軸の下に展示した。
条件的に難しかったが、おしどりの羽もガラスケースに入れ軸の下に展示した。
天赦園のおしどり
2011年1月30日日曜日
2011年1月29日土曜日
2011年1月25日火曜日
勤王僧「晦巌」
金剛山大隆寺をたびたび訪れる。境内の池の上に大きな石碑が建っていることに気付いた。碑銘は「晦巌禅師碑」。晦巌は金剛山大隆寺の15代住職。幕末に生きた勤王僧でも名高い。ここには貴重な資料、市指定の有形文化財「晦巌日記」が保存されている。この解読に「晦巌日記学習塾」が毎月開催されている。晦巌老師の書は達筆で癖があり、解読は難解を極めると聞いている。
面白いことに昭和22年城北中学校の先生よりの寄贈で、この晦巌日記の写しが博物館にあることが分かった。解読ではなく、字そのものを丁寧に写し取ったものである。誰が模写したものかは調査したが不明であった。
面白いことに昭和22年城北中学校の先生よりの寄贈で、この晦巌日記の写しが博物館にあることが分かった。解読ではなく、字そのものを丁寧に写し取ったものである。誰が模写したものかは調査したが不明であった。
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