伊達57騎解説
元和元年正月、宇和島藩主となる長男秀宗に対し父政宗は自分の家臣の内から57名を選んで秀宗付きの家臣とした。これを57騎という。
その後秀宗は病気を患ったため少し出発が遅れたが2月28日に出発することになった。この日、秀宗一行は父政宗を始めとする多くの者たちに見送られて京都をあとにした。本州では伊丹を通過し3月初旬、尼崎より船に乗り海路で伊予に向かった。3月16日に伊予国長浜(現在の大洲市長浜)に一行は到着する。それからは陸路を通り大洲を通過し、翌日には宇和で一泊し3月18日に宇和島に到着した。
政宗自ら選んだ57名の家臣たちは、この時秀宗と共に入府した者もいれば、後から来た者もいた。秀宗と共に大坂冬の陣に出陣した者、先祖代々伊達家に仕えてきた者、政宗の正室愛姫の実家田村家に代々仕えていた者など様々な由緒ある者たちで構成されており、宇和島では特別な家柄とされた。
中でも役職をもってその使命を受けたのが、家老としては志賀右衛門、侍大将としては櫻田玄蕃の二人である。
大坂冬の陣に参陣した者には、永沼民部、鴇田清九郎、小関宮内、今泉長三郎、櫻田久左衛門、和田源太夫、大原小左衛門などがいた。
尚、57騎ではないが現在和霊神社の祭神として祀られている山家清兵衛も政宗自らが秀宗付として選んだ家臣の一人であるが、秀宗より先に入府し、宇和島での出迎え役となった。
解説は志後野迫希世学芸員
宇和島市商店街に集結した伊達57騎
背中には名前の書かれた旗印が