2013年1月17日
江戸時代ならこそ在ったでしょうが、今では死語に近くなった居るのではと思います。
公益財団法人宇和島伊達文化保存会の「蔵開き」に招かれました。
今年は雨のため、神事は室内で執り行われました。
床の間に飾られた祭壇です。
宇和郡、一宮の宮司様
秀宗が納める南予地方の一宮として建立され伊達家にとっても由緒ある神社です。
身を清めるお祓いで始まりました。
神主さんの祝詞
玉串奉奠の儀
受け取られているのは宇和島藩伊達家13代当主宗信様。
直会(なおらい)の儀
杯に酒が入ると献杯
二つある蔵を開いてハレの儀
伊達家の蔵に入っている道具類に感謝を述べる。
今年も万民のため展示でき無事、役目を果たすよう祈念する祝詞。
蔵開きの後、宮司さんとお話しをする機会があった。日本古来の神事に関すること。遷宮の話、宇和津彦神社が分祀され尻割れ山にその社殿跡があること。この日に述べられた「ハレとケ」についての説明など、普段は聴くことができないような内容で興味を引かれた。ハレとケに関してインターネットより抜粋したものを掲載する。
ハレとケ
「ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)はふだんの生活である「日常」を表している。ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した。
もともとハレとは、折り目・節目を指す概念である。ハレの語源は「晴れ」であり、「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「晴れ着」(=折り目・節目の儀礼で着用する衣服)などの言い回しで使用されている。これ対し普段着を「ケ着」といったが明治以降から言葉として使用されなくなった。また、現代では単に天気が良いことを「晴れ」というが、江戸時代までさかのぼると、長雨が続いた後に天気が回復し、晴れ間がさしたような節目に当たる日についてのみ「晴れ」と記した記録がある。
ハレの日には、餅、赤飯、白米、尾頭つきの魚、酒などが飲食されたが、これらはかつて日常的に飲食されたものではなかった。また、そのための器もハレの日用であり、日常的には用いられなかった。
2 件のコメント:
島内家の墓の掃除をしていただきありがとうございました。
神戸にある5代目~8代目の墓守は、父(8代目の弟)がしてきたのですが、宇和島にはなかなかいけなく、有り難く存じます。
父は有馬の霊園に眠っているので、関東にいる私の子供達には、
うちの墓は、宇和島、神戸、有馬の3箇所にあるんだと教えています。いつの日か宇和島に連れて行きたいと思っています。
なぜか、ボランティア清掃にコメントしたはずが��
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