2012年4月7日(土)~9月29日(土)11:55~12:00の枠で26回放映された映像を新しく編集し直したもの。そのため12月中旬、ディレクター兼撮影者である伊藤英朗氏一行が補足撮影のため来館された。今回は26回をつなぐための、ナビゲート役にアナウンサーの佐伯りささんも同行された。
今回の放映も提供は「愛媛銀行」で宇和島市にとっては大変ありがたかった。特に歴史文化都市を目指す当市は、伊達文化を知らしめるため感謝の一言である。
宇和島紀行スペシャル
ナビゲーター:佐伯りさ
ナビゲーター:保持卓一郎
オリジナル音楽:吉佐小基史
撮影:伊藤英朗
写真は以前も紹介したが、ディレクター伊藤英朗さん、彼は名カメラマンでもある。
テレビカメラではなく一眼レフカメラで動画撮影をする。
そのためのこだわりと、熱意とは半端ではない。
カメラ機材の端々にも神経を使われている。
伊達宗城
幕末について語らせたらこの人
もと市立宇和島病院院長近藤俊文氏
幕末の四賢候(土佐山内、薩摩島津、福井松平、宇和島伊達)に関しての話は尽きない。
幕末に蒸気船を造った宇和島藩のエピソード
伊達博物館に大村仁志氏に寄贈していただいた想像復元の模型である。
この撮影をする中で思わぬ発見があった。
設計図
公益財団法人宇和島伊達文化保存会所蔵の古文書の中に設計図一式があった。
嘉蔵が長崎や鹿児島で船だけでなく、機械類など筆写したものである。
中にはスクリュー船や蒸気機関の写しはあった。
しかし伊達の黒船の設計図はない。
ところが偶然、戊の古文書の中で、同じ時代に書かれている船の設計図が見つかった。
船名は「千年丸」
図面を調べてみても伊達家が残すような船ではない。
長さは9間2尺(約17m)の小さな船。
あれ!この長さは明治4年に大阪まで走った「第2宇和島丸」と同じ長さ。
この船がおそらく蒸気機関を乗せた船に違いないと推測される。
想像復元をすることになった経緯を説明する館長
実はこのブログの筆写
オランダおいね
同じく幕末を生き抜いた楠本イネの一生に詳しい神應南予文化会館館長
宇和島の歴史にお詳しく、惜しげもなく資料を提示されている。
宇和島の歴史を学ぶのに分かりやすくまとめた「宇和島藩」の筆者でもある。
現在、「吉田藩」を執筆中と聞いている。
おりしも重信町にある「坊ちゃん劇場」で上演中の「幕末ガール」についてもお詳しい。
ドラマ「花神」で描かれている幕末動乱期を生きた大村益次郎。
館長の後ろの場所が蘭学の勉強のためイネが住んでいた三角屋敷跡。
ここから川を挟んだ向かい側の大村益次郎邸に通ったと言われている。
宇和島の偉人「児島惟謙」
現在は西予市野村に住んでおられる緒方眞澄先生。
熱く惟謙について語っておられる。
同じく宇和島の偉人「穂積陳重」
語っておられるのは木下博民南予明倫館館長。
お年は90を越えられているが、研究熱心な方で出版物も数多くある。
現在も執筆活動を続けておられ、博物館も公私にわたり指導を受けている。
ブログ中、写真は宇和島紀行スペシャルのキャプチャー画面である事を申し添えておきます。
著作は南海放送にあります。
また、個人の映像も許可を得ていません。
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