四月を迎え、伊達博物館も新しいスタッフを加えて新年度がスタートしました。博覧強記の前館長の後を引き継ぎ、ささやかながらこのブログも更新して参りますので、引き続きご愛顧のほどお願いいたします。
先日、博物館の周辺を散策してみました。若かりし頃(隣の高校に通っていた頃)には気が付かなかったことを見つけました。博物館と天赦園グランドの間の道路沿いに、一本の柳の木と史跡案内板があります。
毎週日曜日には、NHK大河ドラマ「八重の桜」を楽しみに視聴していますが、西郷隆盛が宇和島藩伊達家八代の宗城侯に会うため、宇和島に来ていたのですね。幕末の動乱期を取りあげた読み物等が好きな人間としては、うれしくなってしまいます。
案内板には次のように書かれています。(宇和島市教育委員会の史跡案内から)
伊達宗城 冠の柳
文久3(1863)年、3月11日 孝明天皇の賀茂神社行幸に宇和島藩前藩主伊達宗城もお供した。宮中から賜った神社での食事には柳の小枝が添えられ、それを冠に挿した。宗城はこの小枝を持ち帰り、鉢植えにすると根付き、伊達家の庭園に植えた。後に親木が枯れたが、この柳はその親木の幼木を育てた二世である。
宗城と西郷隆盛会見の場
慶應3(1863)年2月23日、宗城に京都での四侯会議開催の協力を求めるため、薩摩藩士西郷隆盛が来宇し、翌24日に二人は会見した。現在では枯れてしまったが、ここはもともと伊達家の邸内で二人の会見当時には松の木が植わっていた場所でもあった。
1 件のコメント:
「八重の桜」では幕末の4賢候の登場は3賢候のみですね。宇和島の宗城公は出てきませんでした。それだけ関心が薄いのか、知名度が低いのか?宇和島人としては情報発信が大事です。
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