山門
お通り橋からまっすぐ進むと山門に至る
この寺が伊達家の菩提寺と言うことはあまり知られていない
秋晴れのある日、ボランティアの方々が清掃することを聞いて、お寺を訪問した
お寺では老朽化した山門の補強工事中であった
藤堂高虎の築城では特徴がある
二つの川の間に城を築く、川の外側にはお寺を配置している
武家屋敷は南側に、商人、工人の住居は北側に・・・
現在、宇和島市では二つの寺町通りとして観光誘致を図っている
宇和島藩伊達家4代村年公室の墓
宇和島藩伊達家5代村候公の子どもの生母の墓
左手には7代宗紀の生母の墓がある
ボランティアの方々が夏の間に生えた雑草を除去している
山家家歴代の墓
宇和島伊達騒動(山家事件)については別に記載したい
山家清兵衛、上意討ちのあと、この場所に戸板に乗せられた遺骸は運ばれ安置された
侠商伊方屋仁兵衛はお寺に葬っていただくようお願いしたが、殿様に遠慮した住職は断った
そこで、安住の地として金剛山大隆寺(正眼院)の西の谷に埋葬した
現在この場所には山家清兵衛の家族を弔うお墓が建っている
また地名を「戸板口」という(現在は神田川原二区)
萩森宏綱の墓
あまり知られてはいないが、山家清兵衛と同じ宇和島藩伊達家の忠臣である
山家清兵衛と大きく違う点は、高禄の武士ではなく、一般の士ということ
この萩森事件については、作家の宇神氏が非常に興味を持たれ、小説にするとか聞いている
一人の藩士として民百姓を思いながら散っていった士の生き様、楽しみである
ほか4代村年の生母の墓も奥の方にある
2 件のコメント:
山家廟の裏にある建物が、家族のお墓だと思っていたのですが、家族のお墓は法圓寺ですか?
どちらが?
秀宗に遠慮して断っておいて、空気が変わると家族のお墓を建てたような気がして、調子が良すぎるのでは?と下衆の考え。
丁重に弔ったあとだそうです。子だくさんの家系ですね。遺骸は山家廟などにも葬られているようです。法圓寺は後の代になってお祭りするようになったそうです。
秀宗が後悔し、仙台伊達には長男を残しているので山家家は存続しますが、宇和島では断絶となります。そこで山家家を起こさせ山家家を再興しています。一昨年前まで山家さんは鬼北町に居られたようです。現在は名古屋に・・・菩提寺は法圓寺ですよ。
記録はほとんど焼却され残っていません。幕府に知られたらということもあったのでしょう。
コメントを投稿