2013年2月11日月曜日

結の華-佐賀鍋島家と宇和島伊達家の幕末・明治-

 来年度秋の特別展の開催が決まって佐賀にご挨拶に伺った。鍋島家の御当主や徴古館の学芸員の方々に歓迎され、企画案がまとまりつつある。恐れ多くも鍋島家の御当主に佐賀城址及び佐賀城本丸歴史観をご案内していただいた。佐賀鍋島家と宇和島伊達家の繋がりは深い。5代村候、7代宗紀、8代宗城の奥様が佐賀からお輿入れされている。秋の特別展はお客様も楽しみだろうが、館員達も待ち望んでいる。


 佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島氏が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)という俗称もある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県、長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)。




国の城有文化財佐賀城鯱の門および続櫓



1836年(天保7年)に建立された。

屋根の両端に青銅製の鯱が載ることから「鯱の門」と呼ばれている。


佐賀城本丸歴史館

佐賀城址発掘調査の過程で本丸御殿の遺構が見つかり復元した。
佐賀の歴史資料の展示を行っている。


大広間の広さは半端ではない。
畳の数も320畳とか。
45m続く廊下にも畳が・・・・
流石、佐賀35万7千石の大大名である。


まだ発掘調査は続いている


幕末の佐賀藩は面白い。
佐賀藩独自でアームストロング砲やカノン砲、蒸気船、蒸気機関車など作っている。
技術家田中久重は有名である。

写真は蒸気船の試作
蒸気機関が重いのでこのような形になったのであろう。
外輪ではなく、スクリュウ船である。



2 件のコメント:

伊左大夫 さんのコメント...

おはようございます。
宇和島伊達家と佐賀鍋島家にも姻戚関係があったのですね。
高校生の時は城内にある学校に通っており、鯱の門などは見慣れた風景でしたが、灯台もと暗し、地元のことは意外と知らないものです。数年前、実家に帰ったとき、佐賀城(栄城)址に本丸御殿が復元されていたのには驚きました。
鍋島家は主家筋の龍造寺家との絡みがあったり、蓮池家、小城家、鹿島家、などご分家がたくさんあるのでいまだ理解できておりません。
幕末・明治の佐賀からは鍋島直正(閑叟)公をはじめ七賢人を輩出していますが、残念ながら江藤新平元司法卿による佐賀の乱以降は歴史の表舞台からはフェイドアウトしてしまいました。実業家として、江崎グリコの創業者・江崎利一氏や森永製菓の森永太一郎氏などがいますが、ボヤっとしたことしか分かりません。
まだまだ勉強することがたくさんあります。
これも何かのご縁。
今後とも宜しくお願いします。

伊達者   さんのコメント...

 機会がありましたら、宇和島に・・・5代村候、7代宗紀、8代宗城の奥様が佐賀より来られています。非常に珍しい縁組みではないかと思います。姉妹都市にすれば良いの二の声がありますが、格が違いすぎますから・・・
 歴史は面白い。けれど知らないことが多すぎるんですね。お互いまず地元から・・・(笑い)
 鍋島の御当主曰く「変わったお国柄で、縄文のシャチをのせている。」と・・・全国でもここだけではないかと思います。