市内吉田小学校を訪ね、宇和島歴史文化研究会主催の出前授業を行いました。この日は、研究会から赤松・清家副会長、伊達博物館から館長、学芸員3人が参加しました。6年生40人の社会科の学習として、江戸時代に吉田藩の御用商人をつとめた両替商「御掛屋(おかけや)」であった佐川家に伝わる品物をもとに、ふるさと「よしだ」の歴史について学習しました。
吉田町出身の赤松副会長から、ふるさと吉田の歴史について説明を聞きました。伊予八藩といわれた時代、吉田藩は宇和島藩から分かれてできたことを知りました。
昔の吉田は、アシ(葦)のはえ茂る泥田であり、埋め立てられて現在のようになったこと、「よしだ」という名前がそこからつけられたという説があることなどを学びました。
江戸時代のお金の流通について学びました。金本位制、銀本位制など難しい言葉が出てきました。金は主に江戸中心、銀は西日本で流通していたということです。
佐川家に伝わる様々な道具類を見学しました。両替商として使われていた様々な品物について、実際に目で見て、触れることができました。
てんびんばかりや、小判、豆板銀などいろいろなお金がありました。金と銀の重さで両替が行われていたこと、現在の銀行のような仕事をしていたことを知りました。
様々な種類(重さ)の分銅があり、幕府によってきちんと検査が行われていたということです。
歴史を偲ばせる大切な品々を自分の目で見ることができました。
今日の出前授業について、吉田小学校のHPで早速取り上げていただきました。
「吉田藩の起こりや御掛屋佐川家についてわかりやすく説明していただきました。江戸時代、オカケヤは、吉田藩の両替商だったそうです。実際に使用していた1両や豆板銀、てんびんばかりなども持ってきていただきました。普段、日常的に見聞きしているオカケヤの歴史を知ることができて、子どもたちは、”目から鱗” だったのではないかと思います。」
http://ehm-yoshida-e.esnet.ed.jp/html/
出前授業の終わりに、 児童から「今のオカケヤはホームセンターですが、今のようなオカケヤになったのはいつ頃ですか。」という質問がありました。通学路にあるおなじみの店の歴史について、疑問を持ったようでした。
佐川家の言われるところでは、明治になって、今のようないろいろな日曜道具を扱うお店になったようです。廃藩置県のとき、オカケヤにあった両替商としての道具類をいったん政府にお返ししたそうですが、後日、国から「保管しておくように。」とのお達しがあり、以来佐川家に残されているとのことです。これら両替商としての道具類は、現在、伊達博物館に寄託いただいています。児童の貴重な学習の機会を与えていただいており、ありがたいことです。
自分たちの生まれたふるさと「吉田」に伝わる歴史や伝統、文化について、さらに勉強して、大人になってもふるさとを誇れる人になってほしいと思います。ふるさとの貴重な文化遺産を展示していますので、ぜひ伊達博物館にも足を運んでください。
※吉田藩について
慶長19年(1614)、伊達政宗の長男秀宗(ひでむね)が将軍秀忠より伊予国宇和郡10万石を与えられ、西国の伊達宇和島藩が始まった。(秀宗の宇和島入部は1615年。)明暦3年(1657)7月、3男宗利(むねとし)の襲封に際し、秀宗は5男宗純(むねずみ)に3万石を分地することとした。これが吉田藩の始まりである。宗純以後、宗保(むねやす)、村豊(むらとよ)、村信(むらのぶ)、村賢(むらやす)、村芳(むらよし)、宗翰(むねもと)、宗孝(むねみち)、宗敬(むねよし)と9代、214年間にわたって吉田藩が続いた。
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