観姫(みよひめ)は、肥前佐賀藩8代藩主鍋島治茂(なべしまはるしげ)の9女として、寛永9年(1797)佐賀で生まれる。文化12年(1815)宇和島藩7代藩主伊達宗紀(だてむねただ)と婚約して江戸へ引っ越し、翌年2月23日結婚。これらの雛人形は、宗紀との縁組が決まった観姫が、引っ越しの際持参した婚礼用具であり、引っ越しの時の記録「観姫様御日喜越録」(みよひめさまおひっこしろく)によると
一、親王雛壱対 代ハ百八拾目(しんのうびないっつい だいはひゃくはちじゅうめ)
一、古今雛壱対 代ハ壱百八拾目(こきんびないっつい だいはひゃくはちじゅうめ)
一、雛入箱四ツ 代ハ三拾七匁五分(ひないればこよつ だいはさんじゅうななもんめごぶ)
一、御雛道具御厨子棚其外 代ハ壱貫参百目八拾八品(おひなどうぐおずしだなそのほか だいはいつかんさんびゃくめはちじゅうはちひん)
と記されている。
後に観姫の御付女中老女染川(おつきじょちゅうろうじょそめかわ)に下げ渡され、親王雛を除く大部分がその子孫宅にて保管、大事に守り伝えられている。男雛は切れ長の目に束帯(そくたい)姿、女雛は唐絹(からぎぬ)をまとい優雅な雰囲気を醸し出している。約30種にも及ぶ三棚などのひな調度はいずれも黒塗りに牡丹唐草文様の金蒔絵が施され、他にギヤマンや赤絵徳利などが付属している。調度は大名の婚礼調度をそのまま小型化したもので、細部まで精緻に作られており、美術工芸的に価値の高いものである。大名家にふさわしい豪華さと品格を兼ね備えている。
観姫所用 ひな人形 (個人蔵)
男雛と女雛
五人囃子
書棚
厨子棚
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