「モード★伊達 ~おしゃれ大名のよそおい~」
期間:平成26年6月20日(金)~12月24日(水)
その政宗の長男秀宗から始まる宇和島伊達家には「伊達」の名にふさわしい重厚で華麗な装いに関する品々が伝来しています。今回の展示では、宇和島市立伊達博物館の開館40周年を迎えたことを記念して、館の名称でもある「伊達」にちなみ、宇和島伊達家に関する大名家の「伊達」な装いを紹介します。
第1展示室 男の装身具 ~藩主のよそおい~
宇和島伊達家の藩主が身に付けた武装具、衣装や装身具を展示して、宇和島伊達家の藩主の装いを紹介します。
第2展示室 女の装身具 ~姫のよそおい~
宇和島伊達家の女性たちが身に付けた衣装や簪(かんざし)などの装身具、懐剣・薙刀(なぎなた)などの武具、さらに香道具や和歌などを展示して、宇和島伊達家の姫の装いと教養を紹介します。
第3展示室 メイキャップ★モード ~近世蒔絵の化粧道具~
宇和島伊達家に嫁いできた夫人たちが持参した化粧道具を展示し、大名家の姫の部屋を彷彿とさせる空間を紹介します。
※第4展示室では、企画展「伊達家の祈り」を同時開催中です。
(展示品の中から) いずれも(公財)宇和島伊達文化保存会所蔵
朱地藤文縫取小袖
朱地に藤と七宝の文様を、金糸も用いて縫いとった華やかな小袖である。宇和島伊達家の女性が着用したものと考えられるが、誰の所用かは伝来していない。
三徳(鶴模様) 1具
銀綴(つづれ)織に白い鶴と紺の雲文様が描かれている。煙草入と共裂(ともぎれ)で揃えられている。綴錦は、女性用の煙草入の素材としてよく利用される。見るからに豪華な雰囲気のものであり、庶民にはあまり用いられず、公家・武士・富裕町人などの階層が使用した。
本資料は、明治6年(1873)4月12日英照皇太后が伊逹宗城邸において直に下賜された。
(上から3つで一組である。)
銀製桜文彫煙管 1本
慶応3年(1867)に近衛忠煕より宇和島藩第8代宗城が譲られた。(もと孝明天皇所用品)。
煙管(きせる)は刻みタバコを吸う道具である。一般には金属製のものや、竹の管(羅宇〈ラウ〉)の両端に金属製の雁首(がんくび)と吸口をつけた張り交ぜなどがある。本資料は、金属製の管(羅宇〈ラウ〉)で両端の雁首(がんくび)と吸口は銀でつくられている。
銀糸萌黄段織梅文煙管入 1袋
慶応3年(1867)に近衛忠煕より宇和島藩第8代宗城が譲られた。(もと孝明天皇所用品)。
綴錦が用いられる。優雅な意匠と萌黄と銀の色彩が鮮やかに組み合わせられる。
銀糸萌黄段織梅文煙草入 1袋
色・太さ、撚(よ)りの強弱、原料などが違う緯糸(よこいと)が交ぜて織ってあり、高低や色などが横方向に段になって表れている段織(だんおり)でつくられた銀綴錦が使用されている。萌黄(もえぎ)は、葱(ねぎ)の萌え出る色を意味する。黄と青の中間色で、黄色がかった緑色である。「もよぎ」とも称される。優雅な意匠と萌黄と銀の色彩が鮮やかに組み合わせられる。
これらの資料は孝明天皇(1831~1866、第121代天皇、在位1847~1866)在世中に近衛忠煕(ただひろ、1808~1898)へ下賜された煙管と煙管入を慶応3年(1867)8月13日近衛忠煕より桜木館において宇和島藩第8代宗城が譲られた。
藍白地黄返小桜染革威鎧 伊達宗紀所用
(宇和島市指定有形文化財)
宇和島藩第7代宗紀(むねただ、1792~1889)の所用である。春日大社に奉納されている御神宝とされる鎧(鎌倉時代作「赤糸威鎧」、現在は国宝である)を模本として、天保10年(1839)徳川将軍家お抱え甲冑師岩井の手によってつくられたものである。このため、別名を春日野鎧(かすがのよろい)と称されている。竹に雀の装飾金物を打っている。兜は宗永の作になると伝えられる。この二十二間星兜鉢には前立として、大鍬方を使用し、その中央の祓立(はらいだて)に瓢箪をひとつかざしている。瓢は秀吉の馬印(うまじるし)とされている千成瓢の一つを入手したものと記録されている。祓立には「春日」の文字が見える。
0 件のコメント:
コメントを投稿