江戸時代からの女性のお化粧道具は鏡をはじめ様々です。大変美しいものばかりです。
◎江戸時代の化粧は3色(赤・白・黒)のみ。
赤・・・紅/口紅・頬紅・目弾(めはじき)・爪紅(つまべに)
→ 「古より顔とくちびるに紅を付つくることは女の粧なり」(『安斎随筆』)
「紅はうすらかに顔の色をよそほふもの」(『安斎随筆』)
白・・・白粉 → 「女と生まれては一日もおしろいを塗らず顔に有るべからず」(『女重宝記』)
黒・・・眉墨・お歯黒 → 「歯なみ(並)よき人は口元よし、美人の相なり」(『女用訓蒙図彙』)
「眉毛の作り方色々あれども顔の格好によりて作り方かわれり」(『都風俗化粧伝』)
「べにばな」を乾燥したもの
◎赤(紅)の化粧
・頬紅・・・ 白粉に紅を混ぜて頬紅として使用。頬紅は薄く淡くさすことが好まれ、濃いのは下品とされた。
※頬紅の流行り廃り 頬紅が流行したのは、江戸時代前期。享保(1716~35)の頃より徐々に 廃れていく。 → 遊女の化粧と関連。
※くすみ防止のための頬紅(下紅) 地肌そのものを明るく見せるために、下地として紅を用いることもあった = 現在のベースメイク、コントロールカラーに相当。
・口紅・・・頬紅同様、薄付きが基本。小さな口(おちょぼ口)が好まれたため、唇の輪郭を白粉で隠し、唇を小さく見せる工夫が行われた。
※紅を「さす」=点す →紅を少量、唇にのせ、小さく控えめに飾った。
※笹 ささ 紅 紅の流行(文化・文政期 1806~29)
笹紅 = 下唇に紅を重ね付けし、玉虫色(笹色)にする化粧法。一世を風靡した紅化粧。 → 庶民が墨を使った裏技を考案、疑似笹紅化粧。「女の口紅笹色なるは一付け三十文」
おそるおそるでしたが昔の鏡に触りました。
紅をとくとこのようなきれいな玉虫色になるそうです。赤い色がこのように変化しています。
・目弾き(めはじき)・・・目の縁や周辺に紅を付ける、現在のアイメイクに相当。役者の舞台化粧から派生したもの。それを町方の女中が真似たことに始まり、次第に広まっていったとされる。
※紅点し指 薬指の別称。薬指に紅をとってのせたり、紅を伸ばしたりした。
・爪紅(つまべに)・・・現在のネイルアートに相当。本来は身分の高い人の化粧だった。爪全体を赤く塗るのではなく、つま先に点状(ドット)の模様を描くようにして紅をのせた。
※紅のほかに、ホウセンカやカタバミで爪紅を施す。
皆さん、熱心に聞いておられました。
◎白
白粉・・・京白粉(はふに又は唐の土→鉛白が原料)・・・・・塗り上がりは美しいが毒性を持つ。
伊勢白粉(御所白粉又はハラヤ→水銀(みずがね)が原料)
江戸中頃からは、生白粉・唐の土の3種となる。
※粉白粉・水白粉・練白粉
◎黒
「お歯黒をして半元服(結婚?)、眉と落として本元服(出産?)」
眉墨・・・眉を剃ってから眉墨(青黒い土・松煙墨)で様々に描く。公卿、武士にも広まる。
※捏墨は紫草の花の黒焼・油煙・金粉をごま油で練る。 → 堂上夫人
麦の黒穂・油煙・墨、
お歯黒・・・鉄ね(かね)(鉄片と酢や酒で造る液)を火にかけて沸かし羽楊枝に五倍子末をつけて塗抹した後口を漱ぐ。 → ひどい様になるので家人にみられぬようにした!
※京の公卿の風習に染まった武士(平氏など)は薄化粧・お歯黒
※黒という色は、変色しない → 二君に仕えず・両夫に仕えない貞操
今日のワークショップは短い時間でしたが、江戸時代の化粧について体験した皆さんは満足されていたようです。当時のお化粧道具など、開催中の伊達博物館40周年記念特別展「天下の伊達 -武将のモードと文化-」にて展示中ですので、皆様ぜひ足を運んでください。なお、このワークショップの模様はNHKテレビ夕方のニュース610(ろくいちまる)でも放映されました。
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