2010年9月3日金曜日
結界作成 特別展準備
特別展の目玉である「黄金の茶室」の結界作りを行いました。予算も知恵も無いところから、またもや博物館に協力していただいている、大村仁志氏にお願いしました。相変わらず気軽に作成していただき感謝、感謝です。素材は茶室ということと日本の美を表すため、財団法人伊達文化保存会より天赦園の真竹を頂きました。この場を借りて竹を切って頂いた尾崎氏に深く感謝します。
2010年9月2日木曜日
家紋「竹に雀」
宇和島藩伊達家の家紋は基本的に四つ存在します。宇和島笹と呼ばれる「竹に雀紋」、「竪三引両紋」「雪ニ薄紋」「九曜紋」です。代表的なのが仙台伊達家の「竹に雀紋」、別名「仙台」と呼ばれる家紋の変形紋「宇和島笹」。この家紋については偶然の事ながら一つの出来事がありました。昨日、伊達家関係の方より、裃を寄贈したいとの話があり、見てみると家紋は「仙台笹」、見事な裃でありがたく受け取ることにし、手続きを現在行っています。寄贈していただく方の話では「政宗が着ていたかも・・・」とか「秀宗に着せたのでは・・・」と想像できるとのこと。それにしても貴重なものをいただき、感謝に堪えません。
もう一つ、この家紋については面白いエピソードがあります。2年前、NHK大河ドラマ「篤姫」の放映中に伊達宗城(8代公)役で出演されていた森田順平氏が博物館に別の番組の収録のため来館されたことがあります。森田氏との話の中で、「伊達宗城役は来週の出演で最後となるけれど、着ていた裃の家紋が仙台笹だったような気がするのでよく見ていて下さい。」とのことでした。結果は「宇和島笹」で、「役者さんは細かいところにまで気がつくのだなあ。」と彼の宿題ができ安心した次第でした。
もう一つ、この家紋については面白いエピソードがあります。2年前、NHK大河ドラマ「篤姫」の放映中に伊達宗城(8代公)役で出演されていた森田順平氏が博物館に別の番組の収録のため来館されたことがあります。森田氏との話の中で、「伊達宗城役は来週の出演で最後となるけれど、着ていた裃の家紋が仙台笹だったような気がするのでよく見ていて下さい。」とのことでした。結果は「宇和島笹」で、「役者さんは細かいところにまで気がつくのだなあ。」と彼の宿題ができ安心した次第でした。
2010年9月1日水曜日
宇和島藩伊達家三代藩主伊達宗贇(むねよし)
二代宗利公には女の子しかなく、仙台藩より宗贇公をご養子として三保姫と妻合わせました。この宗贇公の体格は当時として大変大柄の方で甲冑を見てもその大きさがわかります。そのことが記事として取り上げられました。この記者さん、粘り強い方で約1年にわたって詳細を調べられております。着用者の身長は1m80cm、胴回りは1m50cmで大関魁皇関と同じくらいと推定しています。お姑さんが書いた手紙には「器量骨柄のめでたき」とあります。このニュースは産経新聞全国版、共同通信によって全国に流されました。このニュースを見たという知らせが各方面から寄せられています。
みなさん、当時の平均身長が1m60cmの中で、江戸城の廊下を歩いている宇和島藩宗贇公の姿を想像してみて下さい。
桜鋲紺糸黒塗具足
みなさん、当時の平均身長が1m60cmの中で、江戸城の廊下を歩いている宇和島藩宗贇公の姿を想像してみて下さい。
2010年8月31日火曜日
御当主、文化大使に!
8月30日、伊達家13代御当主伊達宗信様が宇和島市文化大使に任命されました。このことは6月11日文化講演会の席上で石橋市長さんが約束を取り付けたもので実現の運びとなりました。この日、市長室で任命書を受け取られました。
この大使、就任を受けてではありませんが、御当主がラジオ出演されます。詳細はまだ分かっていませんが、14日南海放送でパーソナリティは枡形浩人アナウンサーです。対談の内容は「特別展 戦国浪漫」についてです。この約束は枡形氏と御当主が「宇和島牛鬼祭り ガイヤカーニバル」で審査員と司会として会ってから急遽決まったもの。縁というのは不思議なものです。
この大使、就任を受けてではありませんが、御当主がラジオ出演されます。詳細はまだ分かっていませんが、14日南海放送でパーソナリティは枡形浩人アナウンサーです。対談の内容は「特別展 戦国浪漫」についてです。この約束は枡形氏と御当主が「宇和島牛鬼祭り ガイヤカーニバル」で審査員と司会として会ってから急遽決まったもの。縁というのは不思議なものです。
2010年8月30日月曜日
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