2011年3月31日木曜日

企画展

企画展第二弾! 「志賀家展」のご案内をいたします。
平成23年12月25日まで

宇和島藩の志賀家とは、政宗の忠臣だった志賀右衛門が宇和島に入府の折、山家清兵衛とともに秀宗に従ったことに始まる。家老職として職責を全うし、現在に至っている。



2011年3月27日日曜日

天赦公園駐車場整備

昭和49年開館の頃には貸し切りバスのお客さんが多く、駐車場はバスで埋まり、入館者数も多かった。現在では自家用車が主流でバスの駐車場も多いときには利用しなければならない。2年前の特別展では旧天赦園グランドに廻ってもらった。しかし、今では天赦公園(旧天赦園グランド)の工事中なので特別展の駐車場は悩みの種だった。その解決策で新津石油跡を市が購入し、現在、駐車場として活用できる工事を行い完成した。管理は都市整備課で、普段は来年度完成する天赦公園の駐車場となるが、特別展やイベントの時には博物館の駐車場としても使用できると聞いている。


2011年3月24日木曜日

高野長英

宇和島市新町にある史跡である。このたび、敷地跡を宇和島市が購入し、公園を造っている。その碑文が住宅が撤去されることによって現れている。この石碑は公園内に移設される。高野長英が住んでいたときの住居は残っていない。吹き荒れる「尊皇攘夷」の時代に生きた長英、何を考え、何を成そうと思ったのか。作家吉村昭氏は「長英逃亡」執筆のため、宇和島のこの地を始め、たびたび訪問している。

                       高野長英の居住地跡


2011年3月21日月曜日

樺崎砲臺の碑

風化され文字も解読できないような状態となっている。宇和島の文化として保存しておく必要があり、いろんな方にお聞きした。本があるはず?とか誰やらが取り込んでいる?とか聞いたけれど資料は手に入らなかった。しかし、ある方が伊達図書館長だった兵頭賢一氏が和霊小学校より出版したの伊達家の流れの中にあることを紹介してくださり、その本を貸していただいた。そのコピーをアップしようかと思ったが、打ち直した方が見やすいし、今後のためになると思い、文言は旧字体で打った。しかし文字もパソコンにないものとか、欠字もあり、昭和初期においても判読不明なところもある。文の解読に関しては今後アップしたい。

2011年3月16日水曜日

お見舞い

東日本大震災の被災者の皆様方
               心よりお見舞い申し上げます。

                  宇和島市立伊達博物館職員一同


宇和島藩伊達家初代「秀宗」所用甲冑

「紫糸威二枚胴具足」