2012年8月30日木曜日

金茶糸五枚胴具足瑞巌寺へ

秋期特別展の集荷作業開始

公益財団法人宇和島伊達文化保存会の「政宗所用金茶糸五枚胴具足」を
瑞巌寺宝物館に貸し出しする作業が行われた。
指示するのは愛媛日通松山支店の河上建二氏。
彼については平成21年8月18日の愛媛新聞(展覧会をつくる黒子役)に記載されている。
この仕事歴15年以上で安心して仕事を任せることのできる人である。

 

2012年8月26日日曜日

政宗見参!

秋の特別展準備作業開始!

特別展開始までの作業
~9月1日 学芸員集荷作業 瑞巌寺・仙台市博物館・仙台市内・京都蟠桃院・京都市内
9月1日(土)~9月17日(月) 
         博物館連携「瀬戸内ミュージアム構想」 坂の上の雲ミュージアムにパネル展示
9月3日(月) 休館日
9月4日(火)~6日(木) 展示替え作業
9月6日(木) 15:00~ 安座供養
9月7日(金)  9:00~ 開会式 博物館ロビーにて 同9:30~ 内覧会
※ 一般のお客様は9:30より入場できます。
          

~9月1日まで仙台-東京経由-京都-宇和島と集荷作業に学芸員は出発した。
宇和島より出荷する荷物は公益財団法人宇和島伊達文化保存会の政宗甲冑

「金茶糸威五枚胴具足」で「政宗甲冑倚像」と交換になり瑞巌寺宝物館に展示される。



特別展で展示するもの

宇和島市立伊達博物館始まって以来の素晴らしい数々のものの展示である。
中でも仙台市よりあるいは宮城県より初めて他館に出るものが多い。
これだけのものを一堂に集めて見る機会は二度と無いだろう。
仙台市博物館・瑞巌寺・京都蟠桃院・高知県立歴史民俗資料館様
他お貸しくださった方々に感謝いたします。

仙台・東京・京都を経て宇和島
搬入は9月1日(土)の予定

2012年8月25日土曜日

プライベート訪問

橋下大阪市長プライベートで中村県知事と来宇
 
予定外で天赦園訪問された。
プライベートな訪問なので、マスコミ、市民などほとんど知らされなかった。
 
ご案内した折、大阪の野田地区より参勤交代の帰途、頂いた野田藤に興味を持たれていた。
最近、野田地区の藤が枯れて無くなったので天赦園の野田藤を里帰りさせましたと報告。
  
説明される石橋市長
 
 

2012年8月21日火曜日

えひめのミカタ

いやし博2012のコアイベントとなる秋の特別展について
石橋寛久宇和島市長のえひめのミカタ収録風景です。

愛媛朝日テレビの取材、放映前に特報!
テレビ局より6名、博物館学芸員1名待機と宇和島市長

2012年8月16日木曜日

龍光院

正式名称は「臨海山 福寿密寺 龍光院」
秀宗入府の折、城の鬼門として建立された。

四国八十八カ所第40番観自在寺の奥の院
四国別格二十霊場の6番
宇和島寺町通りと称する北側に位置するお寺の一番下手になる。
大超寺、大隆寺、等覚寺、潮音寺、選仏寺、西江寺、立正寺、龍光院
その内側に明源寺、真教寺、浄満寺がある。

龍光院の仁王

朝早く墓参りに訪れた。
逆行の中の仁王像。

2012年8月14日火曜日

江戸の理系力

博物館では資料の提供を求められることが多い。
洋泉社発行の洋泉社MOOK「江戸の理系力」という雑誌に情報を提供した。
宇和島藩伊達家で理系力と言えば、この人「前原巧山」である。

この本の最初には、この秋に公開される映画「天地明察」について書かれている。
原作は言わずと知れた今年度「本屋大賞」の冲方丁(うぶかたとう)氏。
監督は滝田洋二郎氏
星を追い続けた男の真剣勝負-それは日本初の暦をつくること

この本のその他の内容も非常に面白い。
よくまあ、これだけ集め、調べたものだと感心する。


前原巧山

その中に町人から蒸気船を造った功績で武士になった「前原巧山」について書かれている。
著作権の問題もあるので不鮮明だが、興味のある方は本の購入をされたい。

最近、なぜか前原巧山に関しての問い合わせが多い。
歴史的な面での日本の技術力の検証だろうか?
戦後、技術力の向上を狙って教育、産業、政治など推進してきたが、陰りが見えはじめている。
つまり、他国の技術力の推進がめざましく、日本では失速感ある。
そのための原点回帰と捉えることは無理があるか?

2012年8月11日土曜日

ハワイアン・フェスティバル

8月4、5日「きさいや広場」にてハワイアンフェスティバルが開催された。
ハワイ日米協会の方、お二人が来館された。
日本の歴史に非常に興味を持たれ、学芸員の説明に聞き入っていた。

2012年8月2日木曜日

山家清兵衛忌

  山家清兵衛公頼は最上家に仕え、伊達輝宗と義姫の婚姻の折、お付き方として伊達家に仕官する。その有能さを政宗は非常に評価し、秀宗が宇和島10万石を与えられたとき、総奉行として同行させる。当時、宇和島藩は疲弊のどん底にあり、その建て直しに清兵衛は尽力した。領民の税を免除し、家臣達の録を下げたことで、領民には慕われるが家臣達には反感をかった。持ち前のまじめさが命取りになる。この暗殺にはいろんな説があるが、最終的には秀宗の上意討ちが現在、定説となっている。元和6年6月29日深夜、丸の内の山家邸が襲われる。蒸し暑い、雨の降る晩で蚊帳の四隅を切り落とされ、刺し殺される。息子3人、娘と娘婿(塩谷匠)をその子2名の8名が尊い命を奪われた。妻と母親と二人の娘は檜皮ヶ寮(伊方屋仁兵衛の別邸)に避難させていた。追っ手を避け、松野町吉野生に逃れる途中、娘二人は斬り殺される。妻と母親は日振島の清家久左衛門によって仙台に逃れる。仙台には宇和島に来る折、残してきた長男喜兵衛がいた。

山家家家系図(背景は 伝 山家清兵衛所用甲冑)


和霊廟

 元和20年6月29日惨殺された山家清兵衛公頼の法要が、今夕(新暦7月29日)六時半より、金剛山大隆寺の「御霊様(和霊廟)」において宇和島市の臨済宗妙心寺派のご住職方によって営まれます。清兵衛の遺徳を慕い、この祭りには大勢の市民がお参りしていたが、現在では数少なく寂しい限りである。


参拝所

家紋について述べたい。提灯に描かれている家紋は「釘抜き」、もともと山家家の家紋ではなく、宇和島に来て使用したものだと考えられる。それと抱き波(五つ波)も同様である。
山家家の正式な家紋は「向沢潟(むかいおもだか」である。


本殿前の参拝所


山家清兵衛墓所(五輪の塔)

参拝所奥の本殿の中に清兵衛公のお墓がある。