2013年3月31日日曜日

ラジオウォーク

 FMガイヤでラジオのパーソナリティを8回に渡ってやりました。内容は、このブログ「伊達博通信を元にしています。何しろ、伊達家のエピソードは、あまりにも多いので、はしょってしかできなかったのが、心残りでした。このブログにその内容を貼り付けたいと思ったのですが、その機能が無いため、あきらめました。もし必要な方がおられましたら、博物館でお申し付けください。

 最後の収録の折、次のことを頼まれました。お礼奉公のつもりで引き受けました。それは広報やUCATの番組案内などで、宣伝されている「ラジオウォーク」です。アナウンサーと共に歩いて実況中継をするという役目・・・どうなることやら、初めてのことなので分かりませんが、何とか務めたいと思っています。

 このブログ、担当の一人だった私は3月31日で退職します。これからも「伊達博通信」は続けていきますので、ご愛顧の程よろしくお願い致します。ラジオウォークでお会いしましょう。

広報パンフレット表


広報パンフレット裏

2013年3月27日水曜日

城と宇和島さんさ

青空に映える宇和島城
 
別名「鶴島城」にふさわしい姿である。
 

2013年3月24日日曜日

宇和島藩伊達家菩提寺

銅版画展

伊達博物館ロビーにて展示中!


龍華山等覚寺

銅版画を刷り、拡大コピーしたものである。


金剛山大隆寺

銅版画を刷り拡大コピーしたものである。


解説版

金剛山大隆寺 龍華山等覚寺

銅版画の発見について
 
 金剛山大隆寺において明治35年(1902年)に作成された銅板が原版が発見され、龍華山等覚寺に伝わる原版と併せて、明治時代の伊達家菩提寺の様子が明らかとなりました。

◆発見の経緯

 龍華山等覚寺には「明治35年3月金沢済美館製版」と記された銅版画原版が伝わっており、以前から知られていました。昨年9月頃、金剛山大隆寺において新たに住職を迎えるために整理を行っていたところ、「明治35年2月刻金沢済美館製版」と記された原版を発見しました。

◆銅版画の内容について

 銅版画はいずれも寺域を俯瞰で描写し、「龍華山等覚寺之景」では再建前の本堂や、今は無い霊牌堂、伊達家墓所の拝殿などの様子が描かれています。ただし、文字情報では「鶴松城」や「山門 設計中」など事実と異なる記載も見受けられます。「金剛山大隆寺の景」では明治38年に亡くなった9代藩宗徳公の墓所が無い点、戦災で焼失した和霊廟山門と参籠堂が描かれている点、御霊屋と本堂の間に「設計中」とかかれた渡り廊下が描かれている点など、現在と異なる様子が描かれています。両絵図ともに明治期の両菩提寺を今に伝える貴重な資料です。




2013年3月13日水曜日

全国藩校サミット鹿児島宣言

  全国藩校サミット鹿児島大会に参加し、その宣言文を聞き、現在の日本の国が抱えている教育の問題点を解決する手立てが、藩校の教えによって、唱えられていることを改めて確認しました。江戸の昔より、教育の基本理念を各藩では、言葉は違えども実践しています。会津の「什の教え」、鹿児島の「郷中」などが代表的なものだと思います。それを生かすための心身としての、宣言文をここに掲載させて頂きます。

全国藩校サミット鹿児島宣言

  春3月、私達は鹿児島の地に集い、11回目の全国藩校サミットを開催しました。これまで各地で催された10回のサミットの成果の上に、各藩校で、誇り高く自らを錬磨した先人達の真摯な態度と精神に学び、その実りを共有してきました。薩摩でも幼少期に「負けるな。嘘をつくな。弱い者をいじめるな。」と、厳しく躾けられ、また、「いにしえの道を聞きても唱えても我が行ひにせずば甲斐なし」などの教えを具体的に学び、進取の気性に富む若者を育んできました。
  鹿児島大会開催に当たり、昨年の水戸宣言の「往ぎたるを彰かにして来たるを考え」を多とし、往時の実りを現代化し、未来にどう繋ぐかを工夫して参りました。実行委員会に県下の大学生達が参加し、学生達の活動も大きな成果を遺しました。今後も「造士館講座」「郷校講座」等の試みを地道に重ね、このサミットを通過点とし、我が国の、そして世界の未来を担い、人類の豊かな将来を確乎として構築する若者達と共に、全国藩校サミットの成果を共有したいと心に期しました。
  私達が自らも学び、行動し続けることによって、若き彼らが、もっと成長し、豊かな、美しい日本を、世界を、逞しく多様に創出してくれ、若者達の夢が、いよいよ大きく膨らむように、また力強く学び続けられるように、能う限りの支援をし続けることをここに宣言します。
                                   
                                 平成25年3月9日
                                                                          第11回全国藩校サミット鹿児島大会

2013年3月12日火曜日

第11回全国藩校サミット鹿児島大会

 宇和島藩伊達家は今回からの参加となった。御当主と藩校である「南予明倫館」の職員の方々が参加されるのが、当然だが「南予明倫館」は今の時期が一番忙しく東京から離れられないのが現状だった。そこで宇和島より2名の者が代行し、御当主に随行した。私にとってこのような機会は勿論、初めてであるし、このブログを見てくださる方々も知らない方が多いと思う。可能な限り、報告したい。

全国藩校サミット開催の記録               ※ この記録は要項より抜粋したものです。

 全国藩校サミットは、平成14年に東京都の湯島聖堂で開催されたのが始まりです。経済界、教育界の有志が中心になって設立された「漢字文化振興会(現漢字文化振興協会)」が呼びかけて実現しました。戦後の日本では、漢字文化が衰微する一方で、外来語の乱用、日本語の乱れなどが広範にみられます。この日本譜の状況を憂え、漢字文化を後代にきちんと伝え、受け継いでいくことが、藩校サミットの基本理念です。
 江戸時代、藩校は全国の260余の藩に次々に設立されました。その教育は、各藩それぞれに特色があり、その地方の青少年教育および文化の振興に大きく寄与してきました。それぞれの地域に息づいている藩校の伝統や精神を、現代の視点で見直して評価し、生かすべきは生かしていこうという趣旨で、毎年全国の藩校所在地回り持ちで開催し、鹿児島大会で11回を重ねました。

 これまでの開催地は、次の通りです。

第 1回  平成14年(2002年) 江戸幕府昌平坂学問所(湯島聖堂) =東京都文京区
第 2回  平成15年(2003年) 会津藩・日新館 =福島県会津若松市=
第 3回  平成16年(2004年) 佐賀藩多久邑・東原序舎 =佐賀県多久市=
第 4回  平成17年(2005年) 備中桧山藩・有終館 =岡山県高梁市=
第 5回  平成18年(2006年) 高遠藩・進徳館 =長野県伊那市=
第 6回  平成19年(2007年) 庄内藩・致道館 =山形県鶴岡市=
第 7回  平成20年(2008年) 能州本藩・時習館 =熊本県熊本市=
第 8回  平成21年(2009年) 長同港・崇徳館 =新潟県長岡市=
第 9回  平成22年(2010年) 松江藩・文明館 =島根県松江市=
第10回  平成24年(2012年) 水戸藩・弘道館 =茨城県水戸市=
第11回  平成25年(2013年) 薩摩藩・造士館 =鹿児島県鹿児島市=
第12回  平成26年(2014年) 忍藩・進脩館 =埼玉県行田市=   (予定)

大会要項(表表紙)
 

大会要項(裏表紙)
 

2013年3月4日月曜日

春一番

春一番が吹いた日、木蓮の開花
 
裏庭の木蓮と杏が咲けば、春到来!
館内は「ひな人形展」で大勢のお客さんである。
昨年は花付きが悪く、寂しかったが、今年は一杯のつぼみが・・・