博物館用語だろうか? そのまんまか?不明である。いろんな講座や講演、教室などを実施すると必ず、質問がある。今回はその中から面白いものを抜粋した。
1 お通り橋の名の由来
2代藩主宗利がお女中(江戸上屋敷の奥女中だった表の局)の所に夜な夜な通った橋と言われています。(伊達家家中由緒書より)どうも正室に遠慮して家臣の所に住まわせていたようです。また、宗城も同じように通ったといわれています。(鶴鳴余韻より)
余談ながら、司馬遼太郎「花神」ではおイネさんが藏六の元に通ったとか。(虚構?)
2 戸板口(現妙典寺前5区)の町名の由来
山家清兵衛が惨殺され、家族の遺骸と共に法円寺の境内に戸板に乗せられ安置された。その後、上意討ちであることを知り、遠慮して正眼院(金剛山)西の谷に葬られた。戸板に乗せられていたことから町名になったものと思われる。この墓の場所に安置されていた。
3 伊達家の発祥は藤原
藤原鎌足から数えてではなく、伊達家の始祖朝宗(ともむね)から数えることが多い。
伊達家始祖の朝宗(ともむね)公から数えて
仙台伊達藩祖 政宗は17世
宇和島伊達5代 村候は22世
ちなみに、伊達始祖の朝宗については
藤原鎌足から3世(孫)左大臣魚名
↓
魚名から12世(ひいひい…孫)従五位下 光隆
↓
光隆第2子 朝宗
4 富田の墓について
富田信高は関ヶ原の功績により、慶長13年、伊予宇和島10万石を賜った。父親の 菩提を弔うため正眼院を建立。そのあと坂崎出羽の守と対立し、失脚、お取りつぶし になる。原因は奥方の姉の弟、宇喜多左門の刃傷沙汰による。幕府の命令だろうと思 うが、金剛山大隆寺(村候の戒名大隆院殿により大隆寺と改名)には墓、位牌はない。 福島県いわき市に寺、墓、位牌が存在する。
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