2012年4月30日月曜日

伊達の黒船

何故か、今年は幕末ブームである。松山市坊ちゃん劇場では『幕末ガール』、西予市宇和町では『幕末の町医者~二宮敬作の生涯~』のミュージカルが開催される。

当時、宇和島藩伊達家も尊皇攘夷の嵐が吹きすさぶ中、高野長英、大村益次郎、イネ、二宮敬作等が活躍していた。その中でも嘉蔵(後の前原巧山)の物語は面白い。投稿の題は司馬遼太郎氏の著作「伊達の黒船」による。

先日、大阪読売新聞の取材を受けた。平成20年秋に天赦園で巧山(当時は嘉蔵といった)が日本人として始めて完成させた「火輪船」の模型(想像復元)を天赦園で試走させたことによる。



嘉蔵は八幡浜で生まれた。あまりにも貧乏だったので嫁さんにも逃げられ、宇和島で生活することになる。職業は手先が器用なので何でもこなした。提灯張り、かんざし、人形の修理など・・・時に幕末、宇和島藩伊達家には8代宗城がいた。薩摩、佐賀と並んで黒船の制作競争の話が持ち上がった。それにしてもどうすれば良いのか分からない。家臣たちに作ることができる者は居ないか探させた。目を付けられたのが嘉蔵である。試行錯誤し、長崎、鹿児島まで研修し、完成させた。出来上がったものはやっと走ることができるようなもので、実用にはならなかったが、参勤交代の帰路に乗船した宗城はたいそう喜んだと記録にある。

前原巧山(嘉蔵)肖像画


残念ながら設計図などは現存していない。そこで嘉蔵が参考として考えたであろう船を選び、想像復元を行った。基本は「真風」という鹿児島藩から購入した軍艦とした。

嘉蔵が参考にしたであろう「真風」


長崎に修行に行ったおり、書き写した蒸気機関図

嘉蔵はそのほか、スクリュー船の図とか、パン焼き器、縫製機(ミシン)、自動のこぎり、精米機などの図面を書き写している。司馬遼太郎氏は目にしていると聞いているが、縫製機(ミシン)は坂の上の雲ミュージアムで復元、その他はマスコミなど一般公開はされていない。公益財団法人伊達文化保存会の古文書の中に嘉蔵が書き写した図面一式が存在している。残念なことにその中には蒸気船(伊達の黒船の設計図)はない。

天保録マシー子図

3 件のコメント:

伊達博友の会 さんのコメント...

「伊達の黒船」は、主人公がぼけていて嘉蔵の描写が充分ではないと、小生は不満です。
司馬作品にしては、人物・資料描写が充分でないと感じます。
木下先生が地元ゆえの責任でお願いしたいですね。(笑)
ダメなら童門氏か津本氏ぐらいで手を打ちますか?

伊達者   さんのコメント...

伊達博友の会 様
その通りです。あまりにも資料が少なく、司馬氏の考えているストーリー展開にはならなかったようです。先日の宇和島紀行撮影の折、長崎で書き写した詳細な機械類の製図もまとまって在ることがわかりました。企画展に入れていく計画にしたいと考えています。

生まれ故郷の八幡浜で新しい資料が見つかれば良いのですが・・・

匿名 さんのコメント...

前原巧山の子孫の者です。あらゆる資料は何処で拝見出来ますでしょうか?ご存知でしたらお教え下さい!