2020年6月30日火曜日

いざ 勝負! その3

日本一

11歳で5代藩主に亡くなる70歳まで

在任期間は60年

宇和島藩中興の祖

松浦静山の「甲子夜話」にも出てくる

三百諸侯中屈指の英主の甲冑

第5代藩主伊達村候(むらとき)所用

第一展示室に展示中

 いたるところに伊達家の家紋

 

 

続く

1 件のコメント:

橋本増洋 さんのコメント...


 「三百諸侯中屈指の良主」について一言申し上げます

この用語は大正6(1917)年発行の兵頭賢一著「北宇和郡誌」に
書かれたのが最初であり、「甲子夜話」の中にこの記述はありま
せん。もちろん、5代藩主村候が宇和島伊達家の家格を上げたり
して、歴代藩主中、中興の藩主とするのに違和感はありません。
 しかし、この用語の出所は確認しておく必要があるでしょう。
歴史研究の用語には歴史的名辞と歴史学的名辞の二つがあり、こ
れを混用すべきではないと思います。歴史学的名辞とは、歴史研
究の必要性から後代につけられた名辞であり、次元が違いますが、
一般的にはその代表として、日本史上「大和政権」や「鎌倉幕府」
「幕藩体制」などの名辞があげられるでありましょう。
 さりとて、すでに国史大辞典(吉川弘文館、昭和63年発行)の
伊達村候の項目(雄執筆田中雄)中に、この用語が使用されてい
ることなどから、無下にこの用語使用を否定するものではないこ
とを明言いたします。
 かつて宇和島伊達家史料を調査した、ある歴史学者は、村候在
世中、米沢藩主上杉鷹山より伊達村候の方が知名度があったと、
戦前の南予時事新聞の記事に書かれてありました。その生存中ユ
ニークな殿様として、これからもっと宣伝していく必要があると
思います。このことは拙著「宇和島健歩・燼余」に書いたつもり
であります。
 宇和島藩も村候以降、英名の藩主が輩出し、仙台藩祖伊達政宗
の遺伝子は、かえって宇和島藩に受けつがれたのであります。仙
台伊達家は江戸中期以降、総本家の血筋は薄れて幼沖の藩主が継
続したため、幕末のあのような混乱を招いたのであります。無用
一件、あしからず御了承ねがいます。