2013年9月8日日曜日

特別展 「結の華 -佐賀鍋島家と宇和島伊達家の幕末・明治-」   開会式を迎えました。

  9月6日(金)午前9時から、恒例の平成25年度特別展の開会式及び内覧会を行いました。当日は、各地に被害をもたらした台風17号も去り、秋の日差しが注ぐなか、公益財団法人鍋島報效会より鍋島家第15代御当主鍋島直晶様をお迎えして開催しました。厳粛な中にも華やかな開会式、内覧会の様子をお知らせします。

  
80余名のご出席をいただき、エントランスホールで開会式を行いました。

         主催者を代表して、石橋寛久宇和島市長のあいさつで開会しました。

 宇和島伊達文化保存会理事長・宇和島伊達家第13代御当主伊達宗信様よりごあいさつをいただきました。 

 公益財団法人鍋島報效会会長・佐賀鍋島家15代御当主 鍋島直晶様よりご祝辞をいただきました。

芳心会木村事務所木村宗慎様よりご祝辞をいただきました。

引き続いてテープカットを行いました。 

 続いての内覧会では、今回の特別展を担当した伊達博物館学芸員が今回の特別展のねらい、見ていただきたい点などについて詳細に説明を行いました。

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【第1展示室】







【第2展示室】








  【第3展示室】








 

(ゆい)(はな) -佐賀鍋島家と宇和島伊達家の幕末・明治-』


1.期間    平成25年9月6日(金)~10月14日(月)  (開館34日)

2.開催趣旨

 佐賀鍋島家と宇和島伊達家とは深い縁で結ばれており、江戸時代に両家では3組もの縁談が結ばれた。宇和島伊達家5村候(むらとき)、7宗紀(むねただ)、8宗城(むねなり)のもとへそれぞれ(もり)姫、(みよ)姫、(なお)姫が夫人として迎えられている。この縁から,現在でも伊達
家には鍋島家の家紋である杏葉(ぎょうよう)紋のあしらわれた調度群や佐賀焼きと記された

磁器類も残されており、また宇和島市内個人宅には観姫所用と伝わる雛人形・雛道

具類も現存している。

 鍋島家は九州北西部に位置する35万7千石の雄藩で、明治期には侯爵家として活躍した。旧佐賀藩主11直大(なおひろ)は皇室の信任厚く 「鍋島は神のような人柄だか

(『鍋島直映公傳』)と称されるほどであり、明治天皇ゆかりの品も残される。
 藩政期には、有名な武士の経典『葉隠(はがくれ)』が佐賀藩祖鍋島(なお)(しげ)を理想像として書

れており、歴史に根ざす一貫した人間教育には現代にも通じるところがある。幕末

には西洋文化を積極的に取り入れ、長崎警備の重要性から西洋式軍備の増強を
図っており、10(なお)(まさ)が西洋の蒸気船に試乗する様子を描いた「鍋島直正和蘭
船乗込図」と題される絵巻物も残される。近年この絵図に酷似した絵図が伊達家に
 
現存することが見出され、当時の両家の深い結びつきが伺われる。また、佐賀では藩御用の鍋島藩窯(はんよう)・鍋島更紗(さらさ)・鍋島緞通(だんつう)などの優れた工芸品を産出し鍋島ブラン

ドを確立し、今に伝えている。                                                                              

 平成6年度に開催された当館の開館20周年記念特別展において、鍋島家と伊達

との深い縁を紹介し好評を得たが、再び鍋島家資料の閲覧を羨望する声も多い。

藩の結びつきから、現存する親交の深さを感じられる品や美術工芸品を紹介する

ことで、相互の地域振興や文化の広がりに貢献していきたい。
   


3.会場  宇和島市立伊達博物館

    (展示室:空調完備―平均気温22度・相対湿度60%±2) 


4.主催 
  
  宇和島市・宇和島市教育委員会・公益財団法人宇和島伊達文化保存会


5.協力

公益財団法人鍋島報效会(徴古館)・佐賀県立博物館・佐賀県立美術館

佐賀県立佐賀城本丸歴史館・佐賀県立図書館・武雄市図書館歴史資料館・
九州国立博物館


6.後援(名義使用・宣伝活動)

NHK松山放送局・南海放送・テレビ愛媛・あいテレビ・愛媛朝日テレ

宇和島ケーブルテレビ・愛媛新聞社・読売新聞大阪本社

朝日新聞社松山総局・毎日新聞社松山支局・産経新聞社松山支局


7.展示構成

 【第1展示室  「大名華族」 】

明治期以降の侯爵家ゆかりの品、天賜品

 鍋島家:鍋島家11(なお)(ひろ)とその夫人栄子(ながこ)を中心とした明治天皇ゆかりの品

 永田町鍋島邸西洋館(関東大震災により崩落)を飾った品

 伊達家:伊達家8代宗城を中心に、天皇から拝領した皇室ゆかりの品 

【第2展示室 「婚礼の華」】

婚礼にまつわる調度品

  伊達家:鍋島家の家紋・杏葉紋蒔絵調度品

  伊達家7代宗紀・観姫所用の品

  鍋島家:観姫輿入時の記録 

 
 【第3展示室  「幕末の華」 】

幕末の殖産興業品

  鍋島家:鍋島家10代直正ゆかりの品

  鍋島藩祖・佐賀藩初代の品

  伊達家:伊達家8代宗城所用の品

  殖産興業:鍋島ブランド(鍋島更紗(さらさ)、鍋島段通(だんつう)、鍋島(はん)(よう)

  西洋軍事(蒸気・大砲鋳造に関する品) 


8.   観覧料

大人/500円 大・高生/400円 中学生以下/無料

※団体(20名以上)並びに敬老(65才以上)及び身障者手帳を所持する方は

大人/400円 大・高生/200円 中学生以下/無料

2013年8月17日土曜日

平成25年度特別展 「結の華 -佐賀鍋島家と宇和島伊達家の幕末・明治- 」 ご案内

 伊達博物館では、来る 9月6日(金)~10月14日(月) の期間、恒例の秋の特別展を開催します。
 
 今回は 「結(ゆい)の華 -佐賀鍋島家と宇和島伊達家の幕末・明治- 」 と題して、宇和島伊達家と関係の深い佐賀鍋島家から、華やかな調度・衣装類や武器、武具などをお借りして展示を行います。幕末から明治期にかけ、我が国の近代化の先駆となった両藩の活躍の一端をご覧いただけるものと思います。多数の皆様のご来館をお待ち申し上げます。
 

※ 特別展初日9月6日(金)は、開会行事実施のため午前10時開館となりますのでご了承ください。 

 
 
 
 
展示期間:平成25年9月6日(金)~10月14日(月)
休  館  日:月曜日 ※月曜日が祝祭日の場合は月曜開館、火曜日休館
展示替日:平成25年9月3日(火)~5日(木)/10月16日(水)~18日(金)
       上記期日は展示替作業のため臨時休館

展示内容

  佐賀鍋島家と宇和島伊達家との縁は深く、江戸時代には3組の縁談が結ばれている[5村候(むらとき)(もり)姫)、7宗紀(むねただ)(みよ)姫)、8宗城(むねなり)(なお)姫)]。また、両家とも明治期には侯爵となり、江戸から明治を通して活躍した大名華族である。
これらの縁から、本展示では両家に伝わる大名家ならではの婚礼調度品、幕末期を中心とした大砲などの西洋軍事や両家の親交が伺われる品を紹介する。
今回は特に、従来当館では公開する機会の少ない侯爵家ゆかりの華やかな品も公開する。 

   

 第1展示室 -大名華族-  侯爵家ゆかりの品、天賜品

 

鍋島家:11(なお)(ひろ)とその夫人栄子(ながこ)を中心とした明治天皇ゆかりの品
永田町鍋島邸西洋館(関東大震災により崩落)を飾った品 など
伊達家:8宗城(むねなり)所用の天皇ゆかりの品 など
 

   第2展示室 -婚礼の華-  婚礼にまつわる調度品

伊達家:鍋島家の家紋・杏葉(ぎょうよう)紋蒔絵調度品
伊達家7代宗紀(むねただ)(みよ)姫所用の品 など
鍋島家:観姫越し入れ時の記録のほか、九曜(くよう)紋蒔絵調度(鍋島家7重茂(しげもち)に嫁した(もと)〈仙台伊達家6宗村(むねむら)女〉所用と考えられる) など 
 

   第3展示室 -幕末の華-  幕末の殖産興業品

鍋島家:10直正(なおまさ)ゆかりの品、鍋島藩祖(なお)(しげ)・鍋島初代(かつ)(しげ)の品
    
伊達家:8代宗城所用の品
殖産興業:鍋島ブランド(鍋島更紗(さらさ)、鍋島段通(だんつう)、鍋島(はん)(よう)
西洋軍事(蒸気・大砲鋳造に関する品)関連の品など
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2013年8月10日土曜日

博物館実習を行っています。

 
ただいま伊達博物館では、学芸員資格を取得するための実習生が博物館実習を行っています。例年1名程度ですが、今年は3名の実習生です。
 
8月6日(火)から11日(日)の間、6日間の実習です。期間は短いのですが、学芸員の指導のもと懸命に実習に取り組んでいます。
 
(主な実習内容)
・博物館実習についての概要
・資料の保存と館内の環境維持について
・機器の取り扱い、照度計の合わせ方ほか
・資料の取り扱いに関する実習、防虫剤梱包について、
・金剛山大隆寺見学、資料閲覧
・古文書類、掛け軸の取り扱いに関する実習
・文化課学芸員の指導による実習(民具の取り扱いほか)
・展示計画の作成ほか
 
 
古文書の扱いについて実習中。

 



 
 
 
古民具の整理・保存について実習中。






9月から大学に帰って,学芸員資格を取得するための勉強を続けるそうです。今回の実習が十分に生かせるようがんばってほしいと思います。










2013年7月31日水曜日

平成25年度後期展  『長寿、宗紀 -長寿大名100年を謳歌- 』 ご案内 (その3)

第3展示室テーマ 「  福寿、宗紀(むねただ) 」   




     100歳という長寿を全うした宗紀。明治22年、100歳になった宗紀を祝うため百歳祝の宴が開かれました。明治天皇はじめ、親しい大名、親類はもちろんのこと、宇和島市全体を挙げて老若男女に至るまで多くの人が宗紀を祝ったようです。
      本展示室では、その祝いの様子や、長寿祝いの品の一端を紹介します。隠居後余生を過ごした天赦園の様子や宗紀自作による作品も併せて公開します。

※ 写真の著作権は公益財団法人宇和島伊達文化保存会にあり、無断転載を禁じます。


伊達宗紀 書 「龍出洞門常作雨 鶴巣松樹不知年」

明治22年、宗紀百歳の書。勢いに満ち溢れる書入れである。宗紀は宇和島邸で鶴の飼育をしていたとされ、また山内(やまのうち)家から(番(つがい))の鶴を贈呈されるなど、鶴を愛していた様子が伺われる。


 公益財団法人伊達文化保存会蔵

 

 赤楽茶碗(あからくちゃわん)  楽吉左衛門(らくきちざえもん)作

楽焼は千利休が大成した侘び茶好みにかなうよう、天正年間に長次郎が創出したと伝わる。本資料は長次郎を祖とする楽家10代旦入作の赤楽。
                                            

                    公益財団法人伊達文化保存会蔵            


  
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   瀬戸物染付福寿文 平皿(せともそめつけふくじゅもん ひらさら) 

「福」の字の中に「寿」(ことぶき)の字が組み込まれたおもしろみのあるデザインが人目を引く。中央の文字を囲むように幸・菱・七宝・青海波などの吉祥文様が染付される。


 公益財団法人伊達文化保存会蔵



   伊達宗紀 書 「楽春」

「九淵」(きゅうえん)は宗紀の号。本資料には、宗紀の代表的な号「春山」の「春」の一字が含まれる。季節の春そのものを楽しむ心を自身に重ね合わせての書か。 

                              
                    公益財団法人伊達文化保存会蔵

               
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伊達宗紀 書 辞世短冊

  辞世 遺言 「 よきも夢 あしきも夢の世の中を 捨てて今より後は極楽 」   春山


                    公益財団法人伊達文化保存会蔵


                 父、村壽(むらなが)について

   宗紀の父、村壽は5代藩主村候の四男。在任中は天明の飢饉により藩財政が窮乏し、たびたび倹約令を出す。宗紀の記録に倹約家としての一端が見受けられるのには、こうした父の姿を見ていたことも影響していると考えられる。村壽は家督を宗紀に譲った後「甲長館」を建て、隠居大名として余生を送っている。
 伊達家の記録や伝来品から、宗紀が村壽を慕っていた様子が想像される。能好きの父村壽とともに能見学をし、あるいは稽古相手をつとめ、また村壽が隠居後慰みとして興じた楽焼の趣味を偲ぶかのように宗紀作の楽焼茶碗も伝来する。
    村壽が病に伏せた天保7(1836)年には、幕府へ帰国願いを提出し、父の病気見舞いをしている。幼くして実母を亡くし、複雑な環境を経て藩主として君臨した宗紀であるが、遺された記録類から父に対する敬愛と感謝の心を偲ばれる。   
                                                                                  ※宗紀の年齢は官年(公式記録)を採用
                                       

長寿大名、宗紀に関するエピソード集    (  「春の山影」より引用、要約)

宗紀の大笑い
~偽物発見を笑い飛ばす~

◆明治10(1877)年 6月17日 88歳
竹場所持の文徴明ノ書ト云フヲ御覧、偽筆トテ大笑遊バサル、ト
竹場(人名)が持っている文徴明の書(有名な書家の、めったにない貴重な書)というのを見せてもらったところ、それが偽物(にせもの)だったので宗紀は大笑いした。

◆明治16(1883)年12月12日 94歳
御書ノ偽筆出ヅ、御覧アリ「實ニヨク似セ候モノ」ト御笑ヒアリ
宗紀の書の偽物が出てきた。それを見て「実によく似ているなぁ!」と笑った。
                                                         

~性質は不器用だった!~

    若い頃から日本や中国の名筆古法帖などで練習したが(自分の)性質が不器用で簡単には上達しなかった。ふと、唐伯虎の軸物を手に入れ、これを壁にかけて朝夕習字をしていると、偶然揮毫の秘訣(ひけつ)を悟(さと)り、それから少しずつ書道が上達していった。
 書は単に字形を習うだけでは上達せず、昔の人の手跡(しゅせき)にはそれぞれ習うべき秘訣がある。これを心がけて工夫を積むことが大事だ。
     (揮毫=きごう、筆で書を書くこと。)
     (唐伯虎=とうはくこ、唐寅<とういん>。明代四大画家の一人で、詩の名人。)
                                                                   

~99歳「回生(かいせい)翁(おきな)」~

~明治20年の罹病~
    初めは軽い風邪、それから発熱、胸部の痛み、腹部の痙攣(けいれん)、吐気・水瀉((すいしゃ)(下痢)・頭痛。8月には少し軽くなり、9月に入ると、顔部の腫物(はれもの)・上顎のただれ・口内水疱疹・顔面水泡ロースなどがつぎつぎに見られたが、10月末から11月にかけて回復に向かい11月下旬近くに全快し床上げ祝宴。
    長病からの平癒を喜び、年末に作る来年用の印は、「九十有九叟」と共に「回生翁」(回復した男の老人)を命じる。                               

~「通れーッ」~天赦園の拝観~

    宗紀の存命中、毎年4~5月は天赦園を一般市民へも開放していた。宗紀はこれを一つの慰みともしていたようで、時には縁側へ出て見ていたこともあったという。ある老人の話によると、そうとも知らず入園した市民がご隠居様の急な登場に恐れ入り、まごまごしていると、宗紀は大きな声で「通れーッ」と言ったという。
                                                          

 ~健脚(けんきゃく) 階段を手放しで昇降~

     90歳の頃までは、2階への階段を手放しで自在に昇降していた。この階段はとても勾配が急で、手すりの側に頼り縄を附けており壮者(そうしゃ)(働き盛りの人)でさえ手放しでは困難なのを、少しも危なげなく上下していたという。                                                                                    
                                                                                          



※ 今回の展示に合わせて、第3展示室では修復作業を終えた「東海道五十三次蒔絵組杯・黒塗牡丹蒔絵杯箱」を展示しています。現在の修復技術の粋がうかがえます。ぜひご覧ください。

東海道五十三次蒔絵組盃・黒塗牡丹蒔絵盃箱
(とうかいどうごじゅうさんつぎまきえくみさかずき・くろぬりぼたんまきえさかずきばこ)

盃は朱塗りに金・銀を使って東海道にあった53の宿場が描かれる。盃を収納する箱は、蝶をかたどった蝶番で連結され、黒塗りに牡丹が蒔絵される。

公益財団法人伊達文化保存会蔵


公益財団法人伊達文化保存会蔵




公益財団法人伊達文化保存会蔵


(部分を拡大したもの)
公益財団法人伊達文化保存会蔵













2013年7月23日火曜日

「うわじま牛鬼祭り」 真っ最中です。

今年も、宇和島の夏を彩る「うわじま牛鬼祭り」が7月23日、24日の2日間(22日は前夜祭で「ガイヤ・カーニバルがあります。)、盛大に開催され、宇和島はお祭り一色になります。


 (主催:うわじま牛鬼祭り実行委員会)
(宇和島青年会議所)

 子どもの頃から「和霊様のお祭り」と呼んでいましたが、先日、知り合いの小・中学生に、「和霊様のお祭り」について聞いてみました。和霊様に祀ってある人や、いわれについて知っている子はあまりいませんでした。

お祭りに併せて 7月23日~7月30日の間、伊達博物館では山家清兵衛公頼(やんべせいべいきんより)所用と伝えられる「甲冑」と「刀」を展示します。ぜひ博物館に足を運んでいただきたいと思います。

伝 山家清兵衛公頼所用の甲冑



伝 山家清兵衛公頼所用の刀


どうして和霊神社はできたのか?

お祭りはなぜこの日なのか?

和霊神社は何故市内に2カ所あるのか?


(宇和島の地域情報紙である「きずな」夏号に、特集として「宇和島騒動」のことが詳しく書かれていました。)


(金剛山大隆寺)

毎年、7月29日に、山家清兵衛公頼の墓がある金剛山大隆寺の和霊廟で行われる「おたまや祭り」も、知っている人が少ないのか、寂しくなっているとか・・・・

              今年はぜひ行ってみたいと思います。



「出前授業2013」 実施中です。

「出前授業2013」 県立宇和島南中等教育学校に出かけました。


この出前授業も、今年で6年目を迎えました。「来て見てもらうことから脱却し、出かけて説明し、子どもたちの歴史に関する興味や関心を呼び覚まそう。」そして「宇和島伊達文化に関する理解を通じて、「ふるさと宇和島」に対する愛着をはぐくもう。」 このことをねらいとして始めました。

今回は宇和島南中等教育学校の1年生を対象に2日間にわたって行いました。1日目(7月17日)には、博物館見学により本物の展示物を鑑賞して「生の学習」を、2日目(7月18日)には、学芸員が学校に赴き、体育館で「出前授業」をしました。

テーマは「幕末の宇和島」です。




伊達博物館の学芸員から、博物館の概要、展示中の宝物について説明しました。



大勢の生徒諸君からの質問に対して学芸員も熱が入りました。




宇和島南中等教育学校の校長先生のお話によると,今年は南予一円の80の小学校から160人が入学してきたそうです。小学校6年生で学習した社会科の歴史について興味を持っている生徒も多く、真剣に授業に取り組んでいました。「宇和島学」という総合学習の取り組みの一環として行いました。



ペリーが浦賀に来航した時の図面を熱心に見ている様子です。



ペリーの似顔絵もあります。 


当時の宇和島藩8代藩主伊達宗城の命令により、前原巧山の手で外輪船が作られ、宇和島湾を走りました。外輪船のミニチュア模型(大村仁志氏制作)も生徒の興味を引いていました。


大勢の生徒からの質問が、学芸員の意欲をかき立てます。






 「出迎え授業」も随時受け付中です。伊達博物館に気軽に連絡してください。


小学生も博物館に来ています。今年は津島町の下灘、畑地小学校、岩松小学校ほか多くの小学校の児童が遠足や校外学習で博物館を訪れています。これからもっともっと大勢の小・中学生に博物館に来て欲しいです。

2013年7月13日土曜日

平成25年度後期展『長寿、宗紀 -長寿大名100年を謳歌-』    ご案内(その2)



  第2展示室テーマ 「宗紀(むねただ)の春(はる)」

 文化13(1816)年2月23日、宗紀が27歳(数え年)の年、佐賀鍋島家治茂(はるしげ)の娘観姫(みよひめ)との婚礼祝儀が執り行われました。長男ながら庶子として生まれた宗紀は、家督を継ぐまでに複雑な境遇にあったものの、文化7(1810)年に幕府の承認を受けた後、35万7千石の雄藩である鍋島家から正室を迎え、晴れて婚礼の日を迎えることとなります。
 本展示室では、伊達家に伝来する鍋島家の家紋・杏葉紋(ぎょうようもん)の付された調度品や佐賀ゆかりの品など大名家ならではの婚礼調度品を中心に紹介します。

※ 写真の著作権は公益財団法人宇和島伊達文化保存会にあり、無断転載を禁じます。

宗紀の甲冑(むねただのかっちゅう)
藍白地黄返小桜染革威鎧
(あいしろじきがえしこざくらそめかわおどしよろい) 
 
 公益財団法人伊達文化保存会蔵

 春日大社に奉納されている御神宝とされる鎧(鎌倉時代作「赤糸威鎧(あかいとおどしよろい)現在は国宝である。)を模本として、天保10年(1839)徳川将軍家お抱え甲冑師岩井の手によって作られたものである。このため別名春日野鎧(かすがのよろい)とも呼ばれている。




                    和歌の浦蒔絵料紙箱・硯箱
                (わかのうらまきえりょうしばこ・すずりばこ)
                                                      公益財団法人伊達文化保存会蔵

                    (部分を拡大したもの)


葦(あし)が生い茂る海辺の情景と、空に群れをなして飛翔(ひしょう)する鶴が描かれる。『万葉集』山辺赤人(やまべのあかひと)の和歌を表現したものか。
     「和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」



竹に雀紋付松竹梅鶴文様衣装
(たけにすずめもんつきしょうちくばいつるもんよういしょう) 
 公益財団法人伊達文化保存会蔵

 (部分を拡大したもの) 

 吉祥文様の松竹梅や鶴が華やかに彩られる。宇和島藩6代藩主村壽(むらなが)婦人順(むね)姫ゆかりの品と考えられる。順姫は仙台藩7代藩主重村の娘。
            

                   黒塗杏葉紋散笹牡丹蒔絵茶箪笥
         (くろぬりぎょうようもんちらしささぼたんまきえちゃだんす) 
                                  

                    公益財団法人伊達文化保存会蔵

 黒塗地に左手前の土坡(どは)から竹が伸び牡丹の花が寄り添うように蒔絵され描かれる。竹の傍らには筍(たけのこ)が生える姿も描かれる。


                黒塗杏葉紋散松竹橘紋蒔絵長髢箱
     (くろぬりぎょうようもんちらししょうちくたちばなもんまきえながかもじばこ)
 公益財団法人伊達文化保存会蔵

 髢(かもじ)は髪を結うときに用いる付け髪。本資料内側の懸子(かけこ)には透文様(すかしもんよう)が施され、下に香炉を入れ髢に香を焚(た)き染(し)める構造となっている)。


懸子(かけこ)の透文様(すかしもんよう)・・・源氏香(げんじこう)の図 


公益財団法人伊達文化保存会蔵

※ 源氏香(げんじこう)
                                             
 5種類の香木を5包ずつ計25包用意し混ぜ合わせ、そこから任意の5包を取り出して炷き、同香か異香かを聞き分ける遊び。     
 源氏香の図は縦5本の線を基本として構成される。各線の示す香りは、右から第1香、第2香、…、第5香の順と決まっている。源氏香において、5つの香りを聞いた後、同香だと思ったものの頭を横線でつなぐことで源氏香の図が表現される。たとえば、2番目の香と5番目の香が同じで、他は全て異なる香であると思ったら、藤袴になる。全部で52通りのつなぎ方があり、源氏物語全54帖のうち、桐壺と夢の浮橋の2帖を除く52帖の巻名が一つ一つの図に附されている。
 源氏香の図は、その芸術性の高さからか、着物やその帯、重箱などの模様、家紋としてもよく使われている。また、和菓子においてもこれを模しているものが存在する。
                               (ウイキペデイアより)


それぞれの調度品の杏葉紋(ぎょうようもん) (部分を拡大したもの)

    杏葉紋は、一説に馬具の杏葉(ぎょうよう)を象(かたど)ったものとされ、その形の優雅さから鎌倉時代初期から家紋として用いられたとされる。武家では、室町時代からよく用いられるようになり、江戸時代の大名では鍋島氏、立花氏に使用例がある。
 宇和島藩伊達家に伝わる杏葉紋調度は、佐賀藩鍋島(なべしま)家が伊達家への婚礼のために準備した品と考えられる。
      伊達家と鍋島家との縁は深く、江戸時代に3組の縁談が結ばれた。それぞれ、5代村候(むらとき)と護(もり)姫、7代宗紀(むねただ)と観(みよ)姫、8代宗城(むねなり)と猶(なお)姫である。現存する調度群や佐賀ゆかりの磁器類などから両家の親交の深さが偲ばれる。


源氏春松桜之図屏風
(げんじはるまつさくらのずびょうぶ) 
                                         
公益財団法人伊達文化保存会蔵

                    (部分を拡大したもの)

 山水に松、桜が咲きほころび春霞(はるがすみ)のような金雲が間を縫うように配される。春の長閑(のどか)な情景の中、人々が野遊びに興じる様子が描かれる。
 左隻中央部に源氏と思われる白地の狩衣を着た公達(きんだち)が優雅にたたずむ。



         宗紀、藩主となるまでの経緯


    宗紀は伊達家の財政難を回復させるなど多くの功績を残している。また、民に慕われ将軍家からの信任も厚かったが、藩主となるまでには出生の理由によりさまざまな紆余曲折(うよきょくせつ)があった。
    寛政4(1792)年、6代藩主村壽(むらなが)の長男として誕生した宗紀。長男とはいえ庶子であったため、9歳で村壽正室順(むね)姫の養子となり長男となるも、正室に男子が誕生した場合は次男格扱いとなるという条件付嫡子であった。これは、順姫が仙台伊達家7代藩主重村(しげむら)の娘であったことから、仙台藩に配慮したためと考えられている。この翌年、正室に男子・村明(むらあきら)が産まれ、宗紀は次男となる。しかしその9年後に村明が死去する。
    このような経緯の後、文化7(1810)年に幕府の承認を受け、宗紀は正式に御曹司(おんぞうし)嫡子となるのである。   
                                                         ※宗紀の年齢は官年(公式記録)を採用