2014年7月23日水曜日

「山家清兵衛甲冑」を展示しています。

和霊大祭うわじま牛鬼まつりが7月22日から24日まで開催中です。今日はなかびの23日、町中から笛の音が聞こえてきます。毎年、和霊様のお祭りの頃が一番暑いように感じます。宇和島の暑い夏を彩る一番の祭りです。先日から博物館にも夏休みで帰省中の学生さん、家族連れなどが大勢訪れています。また、この時期、宇和島市の姉妹都市から大勢のお客さんにも来ていただきます。宇和島のまつりを大いに楽しんでいただきたいと思います。

主催:うわじま牛鬼まつり実行委員会(宇和島市・宇和島市商工会・宇和島市観光協会) 
 
7月29日には、金剛山大龍寺にある和霊廟にて、山家清兵衛忌の法要が行われます。「おたまやさま」と呼ばれて、かつては縁日の露店なども出て賑わっていたそうです。昨年初めて行ってみました。大勢の参詣者で賑わっており、和霊廟では近隣の寺から大勢の僧侶が集まり、荘厳な雰囲気のなか、読経が行われていました。  
 

お祭りに合わせて、7月19日~7月29日(山家清兵衛忌)の間、伊達博物館では山家清兵衛公頼(やんべせいべいきんより)所用と伝えられる「甲冑」と「刀」を展示しています。ぜひ博物館に足を運んでいただきたいと思います。

 伊達博物館蔵

 個人蔵
 

和霊騒動(われいそうどう)
和霊騒動は、元和6年(1620年)6月29日に発生した宇和島藩のお家騒動のことである。山家清兵衛事件ともいう。
宇和島藩は、慶長19年(1614年)に伊達政宗の庶長子伊達秀宗が伊予に10万石を与えられて成立した藩である。政宗は秀宗に「五十七騎」と呼ばれる家臣を付け、重臣として藩を運営させた。その中で山家清兵衛公頼が筆頭家老として実質的に藩政を執った。
初期の宇和島藩の課題は藩の支配体制を確立することであるが、宇和島は豊臣氏の時代から領主家が頻繁に入れ替わったため、領内は疲弊し藩は早くから財政難に見舞われた。その為、秀宗は父政宗から6万両を借り、それに当てた。その返済は寛永12年(1635年)まで続き、初期の宇和島藩にとって大きな負担となった。また、元和5年(1619年)には大坂城の石垣修復普請を請け負ったことから藩の運営を巡り、山家清兵衛と桜田玄蕃元親が対立を起こす。しかし、山家清兵衛が政宗から信任が厚かったことから秀宗は清兵衛を疎んじ、桜田玄蕃を重用し、清兵衛は失脚する。翌6年(1620年)6月29日深夜、山家邸が襲撃され、山家一族は皆殺しにされた。秀宗の命により桜田玄蕃が襲撃したと言われる。
秀宗はこの事件を幕府は疎か、政宗にも報告しなかった。これに怒った政宗は、五十七騎の一人で重臣の桑折左衛門を通じて秀宗を詰問して謹慎を命じ、幕府に宇和島藩の改易を嘆願した。慌てた秀宗は幕府や政宗に釈明の使者を出したり、妻の実家である彦根藩に仲介を依頼した。宇和島藩は改易を免れたが、これにより宇和島伊達家は本家と気まずい仲になる。事件後、桜田玄蕃をはじめとする山家清兵衛の政敵達が不慮の事故で相次いで死亡し、秀宗も病床に伏す。このことを「清兵衛が怨霊となり怨みを晴らしているのだ」と噂となったため、秀宗は清兵衛邸跡に和霊神社を創建し、清兵衛の霊を慰めた。宇和島の子供たちは蚊帳を吊る季節になると両親や祖父母から和霊伝説を聞かされていた。
昭和61年(1986年)頃の「愛媛新聞」に、当時の山家家・桜田家の当主の「そのような伝説は聞いたことがない」旨の発言が掲載され、史実との対比が話題となった。

山家公頼(やんべきんより) 
戦国時代末期から江戸時代初期にかけての伊達氏の家臣。通称は清兵衛(せいべえ)。
最初は最上氏に仕えていた。伊達政宗に仕えて頭角を現し、政宗の庶長子である伊達秀宗が宇和島藩に封じられた際に藩惣奉行(筆頭重臣・1000石)として付けられた。初期藩政の構築のみならず、仙台藩(伊達宗家)や江戸幕府との関係調節に苦慮し、仙台の政宗に宇和島藩10万石のうち3万石を隠居料として割くことで宗家からの借財返済を繰り延べたり、幕府の大坂城石垣修復事業に参加したりした。こうした行為が秀宗や桜田元親ら他の重臣らとの対立を招いた。また山家自身、政宗が秀宗を監視するために送った目付を兼ねており、浪費の改まらない秀宗の行状を政宗に報告し、政宗が秀宗を諌める書状を出しているほどであった。
元和6年(1620年)1月の大坂城石垣普請工事で共に奉行を務めた桜田元親が不正をしたと秀宗に讒訴したため、山家は帰国して秀宗に弁明し、謹慎した。これは工事の進捗状況の報告で山家と桜田の報告に齟齬があり、山家が正当だったので面目を失った桜田が讒訴に及んだとされる。元和6年(1620年)6月29日、秀宗の命を受けた桜田一派の家臣達が山家邸を襲撃、翌未明に公頼らは討ち取られた。享年42。
この襲撃事件で山家のみならず、次男と三男も斬殺され、9歳の四男に至っては井戸に投げ込まれて殺された。あまりに幼子であったため井戸には祠が祭られている。さらに娘婿の塩谷内匠父子3人も殺され、生き残ったのは商人に匿われた山家の母と夫人だけだった(長男は仙台にいたため無事だった)。
山家の死後、宇和島藩内では怨霊騒動などが続いた。政敵の桜田元親は変死し、宇和島を襲った大地震や台風・飢饉などの凶事をはじめ、秀宗の長男宗実と次男宗時、六男徳松の早世、秀宗の発病などは全て山家の祟りとして恐れられた。このため承応2年(1653年)に秀宗の命により和霊神社が創建されることとなった(和霊騒動)。ただし怨霊伝説がある一方で山家には殺害の首謀者であった秀宗の夢枕に立って火事を事前に伝えたなどとされる忠臣伝説もあり、宇和島では山家は「和霊様」と呼ばれている。
山家は財政難の宇和島藩において質素倹約を旨とし、領民に重い年貢を課そうとせずできるだけ負担を軽くしようとしたため、領民からは慕われていた。ただそのために軍費を厳しく削減したため、桜田元親ら武功派には恨まれた。遺骸は山家公頼を慕う領民により、金剛山大隆寺の西方約60mの場所に密かに葬られた。また、山家公頼は蚊帳の四隅を切断され抗ううちに殺されたことから、命日などは蚊帳を吊らない風習が近代まで残るなど領民に慕われたことが伺える。

                                           (ウイキペデイアより)


いろいろな言い伝えがあるようです。謎の多い宇和島騒動ですが、伊逹秀宗入部400年を迎える宇和島の歴史、ロマンを感じさせます。

2014年7月9日水曜日

出前授業を行いました。 「宇和島藩の参勤交代」 「幕末の宇和島藩」

 
7月1日、8日の2回にわたって、市内吉田中学校で出前授業を行いました。1回目は「宇和島藩の参勤交代」、2回目は「幕末の宇和島藩」というテーマ、1年生76名を対象に行いました。
 
吉田中学校の生徒たちは、小学校の時から自分たちの郷土「吉田町」についての学習を深めてきました。吉田三傑といわれる「山下亀三郎」「村井保固」「清家吉次郎」の3人の人物の業績を中心に学習を積み上げています。
 
また、以前ご紹介しましたが、宇和島伊達家の分家である吉田藩についての学習も重ねており、両替商であった「おかけや」について学習しています。今回の出前授業は、宇和島伊達家伝来の本物の古文書等を自分の目で見て、これまでの学習をさらに深めることを目的として行いました。
 
 
 
梅雨晴れの一日、体育館は蒸し暑かったですが熱心に学習しました。

  
                      幕末の宇和島藩で作られた蒸気船の模型も展示しました。


 宇和島歴史文化研究会の赤松副会長があいさつの中で、「吉田藩の藩主が参勤交代の時、「おふなて(御舟手)」から船で参勤交代に出発したこと」、「出発の合図はほら貝だったこと」などを紹介されました。「御舟手」は現存する吉田町内の地名です。


          江戸時代の藩の領地の図から「伊予八藩」について学習しました。


当館の学芸員による「幕末の宇和島藩」についての講義です。8代藩主伊逹宗城(だてむねなり)が開明的な主君だったこと、外国からの優れた技術を導入したこと、有能な家臣を養成し、適材適所の配置をしたこと、そのことによって幕末の宇和島藩が全国的に大きな役割を果たしたことなどを紹介しました。前原巧山(まえはらこうざん)による蒸気船作りのことも取り上げました。薩摩藩に次いで2番目に蒸気船を作ったこと、そして純粋の国産であったことなども紹介しました。

  
宇和島伊達家に伝来する古文書類を、実際に自分の目で見て学習しました。
 
 
               蒸気船の模型に興味津々でした。
 
 
            貴重な古文書類を展示。本物の迫力を感じます。
 
この出前授業は、宇和島歴史文化研究会と伊達博物館の共催事業として毎年行っています。今年度も市内小・中学校、中等教育学校から多数の出前授業の申し込みをいただきました。
 
あわせて、伊達博物館に小学生や中学生をお迎えしての出迎え授業も受け付けています。小・中学生の見学は無料、引率の先生方については減免措置が行えますので、気軽に連絡してください。
 

2014年6月29日日曜日

香港のテレビ局が取材に訪れていただきました。

伊達博物館を訪れる外国のお客様が増えています。なかでも韓国、中国からのお客さんが多いのですが、このたび、愛媛県国際交流課の案内で、香港のテレビ局スタッフの皆さんが、取材のために伊達博物館を訪れていただきました。香港のアジアテレビ(ATV)の皆さん方です。この夏から秋にかけて放映される「自遊自在食住衣」という新番組の撮影も行われました。
 
      入念な打ち合わせののち撮影開始。
 
 
                   伊達家の家紋「竹に雀」について紹介しています。
 
 
 
     番組では伊達家の歴史を紹介するとのこと。刀(模造刀)を持っての撮影です。


  
松根家に伝わる「生首の旗」の前でのリポートです。

 

リポーターは香港の人気歌手 蔡梓銘(Danny Choi)さん。長身で2枚目の好青年でした。






記念にサインをもらいました。「天下第一の伊達博物館」「元気」「幸福」・・・
蔡梓銘さん、どうもありがとうございました。


前日は高知県の四万十市で四万十川周辺の紹介、今日は宇和島市で伊達博物館、天赦園の撮影をしたあと大洲市肱川での「鵜飼い」撮影に行くとのことでした。番組は、8月から9月にかけてシリーズで放映されるとのこと、香港からのお客さんが大勢きていただけるよう期待しています。

2014年6月20日金曜日

後期展、開催しました。

    平成26年後期展 宇和島市立伊達博物館 祝 開館40周年

      「モード★伊達 ~おしゃれ大名のよそおい~」

      期間:平成26年6月20日(金)~12月24日(水)
 
天正19(1591)年3月、朝鮮出兵のため京都を発つ伊達政宗の軍勢に人々は驚嘆しました。彼らの装いは、紺と黒を基調に金色・銀色を随所に使い、さらには豹の皮・孔雀の羽根などもあしらった華麗なものでした。その「伊達」な装いは語り継がれ、以降、伊達家はセンスのよい家中として知られるようになりました。
 

 その政宗の長男秀宗から始まる宇和島伊達家には「伊達」の名にふさわしい重厚で華麗な装いに関する品々が伝来しています。今回の展示では、宇和島市立伊達博物館の開館40周年を迎えたことを記念して、館の名称でもある「伊達」にちなみ、宇和島伊達家に関する大名家の「伊達」な装いを紹介します。
 
 

 第1展示室 男の装身具 ~藩主のよそおい~

宇和島伊達家の藩主が身に付けた武装具、衣装や装身具を展示して、宇和島伊達家の藩主の装いを紹介します。

金茶糸威五枚胴具足             青江貞次 小剣

黒羅紗紫糸威畳具足             煙草入・煙管入(鶴模様)・煙管・三徳

手槍 銘 菊一助宗             竹に雀紋 黒麻裃(長袴)ほか


 第2展示室 女の装身具 ~姫のよそおい~

宇和島伊達家の女性たちが身に付けた衣装や簪(かんざし)などの装身具、懐剣・薙刀(なぎなた)などの武具、さらに香道具や和歌などを展示して、宇和島伊達家の姫の装いと教養を紹介します。

薙刀 銘 紀州住長次            髪飾 鼈甲簪・櫛・笄

白綸子地 打掛               ダイヤモンド・真珠・サファイヤ ほか



第3展示室 メイキャップ★モード ~近世蒔絵の化粧道具~

宇和島伊達家に嫁いできた夫人たちが持参した化粧道具を展示し、大名家の姫の部屋を彷彿とさせる空間を紹介します。

花菱月丸扇紋散蒔絵 黒棚飾         花菱月丸扇紋散蒔絵 湯桶・盥

花菱月丸扇紋散蒔絵 柄鏡箱・柄鏡・鏡建   花菱月丸扇紋散蒔絵 御歯黒道具

花菱月丸扇紋散蒔絵 櫛台          梨子地牡丹に蝶高蒔絵 鼻紙台 ほか

     ※ 展示品は館蔵品・公益財団法人宇和島伊達文化保存会所蔵

     ※ 第4展示室では、企画展「伊達家の祈り」を同時開催中です。
 
 
 

2014年5月27日火曜日

夏を探しました。

天赦園の花菖蒲(はなしょうぶ)が咲き始めました。今年は、例年に比べて咲き始めるのがやや遅かったようです。色とりどりの花が咲き誇る様は壮観です。
 
 
 

 
 花菖蒲(はなしょうぶ)・・・
アヤメ科の多年草。ノハナショウブを原種として、日本で改良された。高さ約80センチメートル。葉は剣状でとがり、平行脈と中肋脈がある。初夏の頃、白・桃・紫色などの美花を茎頂につける。俗に「しょうぶ」というが、節句に用いるショウブ(サトイモ科)とは別。〈季・夏〉
 
菖蒲(しょうぶ)・・・
サトイモ科の多年生草本。根茎は水底の泥中に横たわり、葉は長剣状で80セントメートル余り。初夏、花茎の中程に黄緑色の小花を棒状に密生。葉は芳香があり端午の節句に菖蒲湯(しょうぶゆ)とする。根茎を乾して「菖蒲根」と呼び健胃薬とする。古くは「あやめ」と読んだが、アヤメ科のアヤメ・ハナショウブの類とは葉の形が似るだけで全くの別種。茸草。軒菖蒲。漢名、白菖。〈季・夏〉
 
 
ヤマボウシも咲いていました。クリーム色の優しい花です。 
 
山法師(ヤマボウシ)・・・
(「山帽子」とも書く)ミズキ科の落葉高木。山地に自生。高さ6~10メートル。葉は楕円形。夏、細花を球状に密生し、その周囲にある4枚の苞は白色卵形で大きく、花弁のようで美しい。果実は球状で紅色、食用。庭園樹とする。ヤマグワ。漢名、四照花。
 
 
              ユスラウメでしょうか?一つつまみたくなります。

ゆすらうめ(桜桃・山桜桃・梅桃)・・・
バラ科の落葉低木。中国原産。高さ約3メートル。葉は楕円形。春、葉に先立って葉のつけ根に白色5弁の小花を開く。花後、小球形の核果を結び、梅雨の頃紅熟、食用。ゆすら。漢名、英桃。〈季・夏〉。「山桜桃の花」は〈季・春〉。
 
 
鮮やかな朱色の花、キョウチクトウでしょうか? 
 
夾竹桃(きょうちくとう)・・・
キョウチクトウ科の常緑大低木。インド原産。高さ約3メートル。葉は細く革質、3葉ずつ輪生。乳液を含み有毒。夏、桃色の花を開く。白花・八重咲などの園芸品種もある。庭木とし、葉は強心・利尿に有効という。〈季・夏〉
 
 
                枝も折れんばかりのアンズ。まだ熟れていません。

あんず(杏子・杏)・・・
(唐音)バラ科サクラ属の落葉高木。中国の原産。果樹として広く世界で栽培、日本では東北地方・長野県で栽培。幹の高さ約3メートル。葉は卵円形で鋸歯(きょし・のこぎりば)がある。早春、白色または淡紅色の花を開く。果実は梅に似て大きく、初夏に実り、果肉は砂糖漬・ジャムなどにする。種子は生薬の杏仁(きょうにん)で、咳止め薬の原料。カラモモ。アプリコット。〈季・夏〉。「杏子の花」は〈季・春〉。〈下学集〉
 
〈下学集〉(かがくしゅう)・・・
室町時代の国語辞書。2巻。著者未詳。1444年(文安1)成る。意義により天地・時節など18門に分類して漢字をあげ、片仮名で和訓をつけ、漢文体で意義・語源を簡潔に注記する。
 
 
 
いよいよ宇和島にも夏がやってきました。 
 
 

2014年5月21日水曜日

    平成26年後期展 宇和島市立伊達博物館 祝 開館40周年
 
      「モード★伊達 ~おしゃれ大名のよそおい~」
 
     期間:平成26年6月20日(金)~12月24日(水)
 
 
天正19(1591)年3月、朝鮮出兵のため京都を発つ伊達政宗の軍勢に人々は驚嘆しました。彼らの装いは、紺と黒を基調に金色・銀色を随所に使い、さらには豹の皮・孔雀の羽根などもあしらった華麗なものでした。その「伊達」な装いは語り継がれ、以降、伊達家はセンスのよい家中として知られるようになりました。
 

 その政宗の長男秀宗から始まる宇和島伊達家には「伊達」の名にふさわしい重厚で華麗な装いに関する品々が伝来しています。今回の展示では、宇和島市立伊達博物館の開館40周年を迎えたことを記念して、館の名称でもある「伊達」にちなみ、宇和島伊達家に関する大名家の「伊達」な装いを紹介します。
 
 

 第1展示室 男の装身具 ~藩主のよそおい~

宇和島伊達家の藩主が身に付けた武装具、衣装や装身具を展示して、宇和島伊達家の藩主の装いを紹介します。

 第2展示室 女の装身具 ~姫のよそおい~

宇和島伊達家の女性たちが身に付けた衣装や簪(かんざし)などの装身具、懐剣・薙刀(なぎなた)などの武具、さらに香道具や和歌などを展示して、宇和島伊達家の姫の装いと教養を紹介します。

 第3展示室 メイキャップ★モード ~近世蒔絵の化粧道具~

宇和島伊達家に嫁いできた夫人たちが持参した化粧道具を展示し、大名家の姫の部屋を彷彿とさせる空間を紹介します。
※第4展示室では、企画展「伊達家の祈り」を同時開催中です。




(展示品の中から) いずれも(公財)宇和島伊達文化保存会所蔵

朱地藤文縫取小袖 
 
朱地に藤と七宝の文様を、金糸も用いて縫いとった華やかな小袖である。宇和島伊達家の女性が着用したものと考えられるが、誰の所用かは伝来していない。
  
 

  三徳(鶴模様)  1具
 
銀綴(つづれ)織に白い鶴と紺の雲文様が描かれている。煙草入と共裂(ともぎれ)で揃えられている。綴錦は、女性用の煙草入の素材としてよく利用される。見るからに豪華な雰囲気のものであり、庶民にはあまり用いられず、公家・武士・富裕町人などの階層が使用した。
本資料は、明治6年(1873)4月12日英照皇太后が伊逹宗城邸において直に下賜された。
 
 
 
                    
 
  (上から3つで一組である。)
      
銀製桜文彫煙管  1本
 
慶応3年(1867)に近衛忠煕より宇和島藩第8代宗城が譲られた。(もと孝明天皇所用品)。
煙管(きせる)は刻みタバコを吸う道具である。一般には金属製のものや、竹の管(羅宇〈ラウ〉)の両端に金属製の雁首(がんくび)と吸口をつけた張り交ぜなどがある。本資料は、金属製の管(羅宇〈ラウ〉)で両端の雁首(がんくび)と吸口は銀でつくられている。
 
 
                       銀糸萌黄段織梅文煙管入  1袋
 
慶応3年(1867)に近衛忠煕より宇和島藩第8代宗城が譲られた。(もと孝明天皇所用品)。
綴錦が用いられる。優雅な意匠と萌黄と銀の色彩が鮮やかに組み合わせられる。
 
 
    銀糸萌黄段織梅文煙草入 1袋
色・太さ、撚(よ)りの強弱、原料などが違う緯糸(よこいと)が交ぜて織ってあり、高低や色などが横方向に段になって表れている段織(だんおり)でつくられた銀綴錦が使用されている。萌黄(もえぎ)は、葱(ねぎ)の萌え出る色を意味する。黄と青の中間色で、黄色がかった緑色である。「もよぎ」とも称される。優雅な意匠と萌黄と銀の色彩が鮮やかに組み合わせられる。
 
これらの資料は孝明天皇(1831~1866、第121代天皇、在位1847~1866)在世中に近衛忠煕(ただひろ、1808~1898)へ下賜された煙管と煙管入を慶応3年(1867)8月13日近衛忠煕より桜木館において宇和島藩第8代宗城が譲られた。
 
 

藍白地黄返小桜染革威鎧  伊達宗紀所用
(宇和島市指定有形文化財)
 
宇和島藩第7代宗紀(むねただ、1792~1889)の所用である。春日大社に奉納されている御神宝とされる鎧(鎌倉時代作「赤糸威鎧」、現在は国宝である)を模本として、天保10年(1839)徳川将軍家お抱え甲冑師岩井の手によってつくられたものである。このため、別名を春日野鎧(かすがのよろい)と称されている。竹に雀の装飾金物を打っている。兜は宗永の作になると伝えられる。この二十二間星兜鉢には前立として、大鍬方を使用し、その中央の祓立(はらいだて)に瓢箪をひとつかざしている。瓢は秀吉の馬印(うまじるし)とされている千成瓢の一つを入手したものと記録されている。祓立には「春日」の文字が見える。
 

2014年5月9日金曜日

宇和島東高校の出迎え授業を行いました。

宇和島東高校1年生160名がスーパーサイエンス講座で伊達博物館を訪れました。
 
これは愛媛県教育委員会の研究指定(スーパーサイエンスハイスクール)を受けている宇和島東高校の「地域史学習」の一環で、「宇和島の歴史を知ろう」というものです。事前のアンケートでは、宇和島の歴史について興味を持っている生徒が多い割には、「あまり知らない」という結果が出ています。博物館とは目と鼻の先にある高校ですが、伊達博物館を訪れたことのある生徒は半分もいませんでした。今回の講座で初めて伊達博物館を訪れた生徒も多かったのですが、生徒諸君のふるさと宇和島に対する正しい知識と理解、誇りを育てることができればうれしいです。
 
 
                文化課と博物館学芸員が総出で出迎えました。



            昨年は高校への出前授業を行いましたが、今年は出迎え授業です。




  展示中の「江戸の狩野派」について学習しました。 また毎年、大型連休を中心に展示される重要文化財「豊臣秀吉画像」も、生徒たちの目を引いていました。 





博物館での見学を終えた後、各自がレポートを提出しています。その後、高校に移動して本日の学習のまとめを行いました。 
 
今年度も、「出前授業」「出迎え授業」を行います。学校へも学芸員が出張して、本物の美術品を目の前で公開します。いつでも博物館までお問い合わせください。
 
(連絡先)  宇和島市立伊達博物館  TEL 0895-22-7776
                         FAX 0895-22-7819
 

2014年5月2日金曜日

御浜御殿の遺跡を発掘しています。

 


国道56号線の歩道拡幅工事が行われていますが、伊達家の御浜御殿の塀跡の発掘作業が行われています。先日、見に行くと発掘がだいぶ進んでいました。
 
宇和島東高校と天赦園グランド間の国道56号線の歩道拡幅工事中。 

愛媛県埋蔵文化財センターの職員による調査が行われていました。湧いてくる地下水をくみ上げるため排水ポンプを稼働させながらの調査です。                                                                                 






                       調査終了後は、埋め立てられるそうです。
 

以前、紹介しましたが、厩(うまや)の遺跡が発掘されました。伊達博物館の周辺は、江戸時代に伊達家の御浜御殿があったところで、地下には様々な遺跡が眠っているようです。現在の御殿町という地名の由来にもなっています。 


2014年4月24日木曜日

「豊臣秀吉画像特別展」を開催します。


           重要文化財  (公財)宇和島伊達文化保存会蔵
 

「太閤画像特別展」のご案内


伊達博物館では5月の大型連休を中心に、国指定重要文化財である「豊臣秀吉画像」(公財 宇和島伊達文化保存会蔵)を展示公開します。限られた期間の展示ですがたくさんの皆様のお越しをお待ちしております。

開催期間   4月26日(土)~5月11日(日)  

       開館時間  9:00~17:00(入場は16:30まで)

  ※ 但し4月28日(月)、5月7日(水)は休館日です。



豊臣秀吉が亡くなった1599(慶長4)年、秀吉の側近であった富田知信が、遺徳を偲んで描かせたとされています。知信もその年に亡くなり、息子の信高が引き継ぎました。

慶長4(1599)年2月18日(18日は秀吉の命日)付の賛文は、西笑承兌が揮毫しています。

 ※西笑承兌(せいしょう・じょうたい)・・1548~1607。相国寺第98世。秀吉、家康のブレーンの一人。

信高が1608年(慶長13)に宇和島に転封。秀吉画像も持参。信高は、この地に父の菩提を弔うため金剛山正眼院(現在の金剛山大隆寺)を建立し、この肖像画を奉納しました。幕末、金剛山で当時住職をしていた晦巌(まいがん)から、宇和島伊達家8代藩主宗城に献上されました。
以後、現在に至るまで宇和島伊達家に伝来しています。
 

2014年4月18日金曜日

天赦園の上り藤が満開です。

博物館の隣の天赦園の上り藤が満開です。新聞やテレビでも報道されたので見に行きました。 








 


                                                                    一つ一つの花が力一杯咲いています。
                瑞々しい若葉の色に心が洗われました。
  博物館横の通りも色鮮やかです。

     
          

                                                                                                                                                                                                 博物館の庭「偕楽園」の藤も開花し始めました。   
 

 
 

「太閤画像特別展」のご案内 

 
伊達博物館では5月の大型連休を中心に、国指定重要文化財である「豊臣秀吉画像」(公財 宇和島伊達文化保存会蔵)を展示公開します。限られた期間の展示ですがたくさんの皆様のお越しをお待ちしております。
 
開催期間   4月26日(土)~5月11日(日)   
 
開館時間  9:00~17:00(入場は16:30まで)
 
  ※ 但し4月28日(月)、5月7日(水)は休館日です。