2011年4月4日月曜日

毎歳忌

金剛山に於いて平成23年3月29日(火)11:00~毎歳忌が開催された。開山大室和尚の供養を大本山より霊雲院則竹秀南老大師をお迎えして執り行われた。呈茶は鎮信流宗家のお点前により厳粛に行われた。また宇和島近辺より、吉田大乗寺の御老師をはじめ臨済宗妙心寺派のご住職が参加され盛大であった。
そのあと、京都の精進料理のお田長の食事、そして鎮信流のお茶をご馳走になり散会した。
すべて初めてのことであったが、勉強にもなり、いろんな方との交流にもなり楽しむことができた。

金剛山大隆寺本堂
(扁額は隠元老大師筆と言われている。)



法要(妙心寺霊雲院則竹秀南老大師)


鎮信流宗家 松浦宏月様による呈茶


読経(臨済宗妙心寺派)


平戸藩松浦家御当主と奥様
右は宇和島藩伊達家御当主(昼食会場にて)
  

                         食事の箸包


食事五寛文


茶席にて(松浦鎮信流宗家)


茶道「鎮信流」とは

肥前平戸藩で伝えられた茶道の流派。4代藩主松浦鎮信が片桐石州に学び、また様々な流儀を研究して打ち立てた。石州流鎮信派とも。現在宗家は藤沢市にある。

歴史

松浦鎮信は平戸藩の4代藩主で、若年より茶道を好み、家臣に金森宗和から伝授を受けさせ、遠州流、一尾流、古市流、有楽流なども研究していたが、壮年に至って片桐石州に師事して藤林宗源より皆伝を受けた。そこで石州流を基本としてそこに各流儀の長所を加えて一派を打ち立て、石州流での弟弟子にあたる村松伊織を茶堂として迎え、これに豊田の姓を与えて代々伝授させた。
大名家の常として当主自らが茶道を伝承することはなく、茶堂より伝授を受けるのであるが、特に8代藩主松浦誠信は17歳で皆伝を受けるほどの達人であった。12代藩主松浦詮のときに維新を迎え、家元を豊田家から移して鎮信流を称し、東京で自ら茶道の指導を行うようになる。とくに女子学習院や日本女子大学などで茶道の教授にあたった。また和敬会(十六羅漢会)のメンバーとして持ち回り茶会を催すなど、明治期の茶道復興に貢献した人物の一人に数えられる。

第41代宗家 松浦 章氏 (宏月)  ※ 肥前平戸藩松浦家御当主でもある。


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

お茶の流派は多いんだと改めて思いました。一番多い流派は裏千家と聞いていますがどうなんでしょう?

伊達者   さんのコメント...

あまりにも多く書ききれません。ウィキペディアを参考にされてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%B6%E9%81%93