金剛山大隆寺
西の谷にはおたまやさんといい宇和島の人たちに親しまれている山家清兵衛廟が建っている。忠臣、山家清兵衛と宇和島藩領の民百姓から親しまれてきた人物である。清兵衛の暗殺には諸説あるが、現在では秀宗の上意討ちと決定づけられている。しかし、勧善懲悪を好む人も多く、悪家老の登場説も根強い。東の谷には伊達家歴代の当主の墓が祀られている。
山家清兵衛忌には本堂に絵物語のふすま絵が飾られている。父親として我が子秀宗に付けた重臣57名(伊達57騎)、伊達政宗の父親としての愛情である。その中でも山家清兵衛、志賀右衛門はなくてはならない存在だった。山家の換言は甘やかされて育った(人質として)秀宗には疎ましく感じたに違いない。困窮している財政のこともあり、他の侍たちの進言を信じ、ついには上意討ちを命じる。元和5年6月29日(晦日とも言う)。新暦では7月29日。牛鬼祭りに含まれている和霊大祭は山家清兵衛をお祀りするもので命日ではない。山家清兵衛については諸説あるが別の機会に記したい。
本堂に掲げられた伊達家7代藩主宗紀の百歳の時記した扁額(百歳書ともいう)
この山家忌に合わせ本堂にはふすま絵と小野小町の一生を記した掛け軸が展示される
世のはかなさを感じる12本の軸である
5 件のコメント:
作者が記されていないと思うのですが、
誰なのでしょう?研究はできているのですか?
原本の記になります。昔の住職が酒代に・・とかとか、他の寺ではそういうこともあったとか???
金剛山ではないでしょうが。
金剛山も同じだったと思いますよ。幕末の勤王老師(浪士ではない)の晦巌は毎晩飲んでいたと記録があります。
絵の作者は、山家清兵衛の崇拝者か、酒代で注文を受けたかでしょう。宇和島城の絵などは非常に写実性が強いですから・・・・
今後の調査にご期待を!
和霊大祭が近付くとおたまやにはお供えが並び、ここが本当の和霊様だな・・・という気持ちになります。。
貴重な写真が見れるブログを配信していただきありがとうございます。
maさんコメントありがとうございます。「和霊様」はよく知っているが「おたまや」は知らない宇和島の人が多い。
お供えは勿論、カーバイトの明かりに照らされた出店が・・・子どもの頃、芋飴をよく買ったなあ。
近く、これもよく知られていない丸の内和霊神社をアップします。
丸の内ですか・・・檜皮森の和霊様では感じない心臓を締め付けられるような思いを感じる場所ですね。
恐れ多くて自分はよう記事にできませんが、よろしくお願いします。
記事のアップ楽しみにしております。
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