山家清兵衛屋敷跡
丸之内和霊神社
ここは大手門から堀(現在の国道56号線)を渡り、城内の一郭である
そこに山家清兵衛の屋敷があった
和霊神社
市指定史跡 山家公頼の邸宅跡
ここは、和霊神社祭神山家清兵衛公頼の屋敷跡である。公頼は仙台藩伊達政宗から藩祖秀宗に付けられ、総奉行として藩の創設につとめた。しかし、入部当時の借金の返済として政宗に十万石のうち三万石を割くなどの問題から、元和六年(1620)6月30日夜、反対派に襲われ、その子三人とともに命をめいじ落とした。のち屋敷は藩の倉庫となり、明治初年には丸之内和霊神社の小祠が設けられ明治31年には伊達家が敷地を寄進し、同41年に宇和島城内の日吉神社の本殿を移築した。また、本殿の裏の古井戸には、四男美濃の死にまつわる伝説がある。
昭和43年1月9日指定 宇和島市教育委員会
和霊神社本殿
四男美濃が投げ入れられたという井戸跡
説明版
この神社内には「人麻呂神社」(柿ノ本人麻呂を祀っている)、中島神社(お菓子の神様)、日吉神社(城の守り神)の小祠もある
4 件のコメント:
現在境内が月極め駐車場のようになっているような感じであっても、この神社の前に立つと背筋が伸びるような畏まった気持ちになります。
本当に霊験新かな和霊さまだと思います。
もとになる日吉神社は最初は宇和島城内にあったのですね…
創建はいつの時代でしょうか。。
戦国時代の頃、築城をするとき神社を勧進して安全を祈願したとされます。どこの城もこの神社があることからも分かります。日吉神社とか日枝神社などという名前の神社は城下の守護神だったのです。ちなみに江戸には赤坂に日枝神社があります。
記録は定かでありませんが、1600年頃の勧進だと思います。はとぽっぽの和霊様ですね。この裏に美濃を祀ってある祠はあまり知られていません。
和霊信仰にはいろいろあって、山家清兵衛の遺骸は海に流されたという説もあります。そこで御霊は海上渡御をして川を上がって神社に入る走り込みができたとも・・・真偽は定かではありません。
由緒ある神社であっても、駐車場もやらなくては台所は苦しいと言うことでしょうね。
高校時代に行ったような気がしますが、ほとんど霞んでいます。
それ以後にも、駐車場に入れた記憶もあるので行ったのかなー?
これを読んで、改めて行ってみようと思います。
いろいろと詳しいですね。さすが、歴オジです。(笑)
歴ドールさん、本当のところ寺社の実入りについては分かりません。お寺の檀家と違って確実に収入できるのはお賽銭のみのようです。この神社は護国神社(昔の鶴島神社)と宮司さん兼任のようです。駐車場経営は都会では普通のようですね。
本殿から後ろの四男美濃が投げ込まれたという井戸の上の祠を丁寧に拝んでください。伝説とはいい、心打たれます。
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