2011年8月25日木曜日

説明版

博物館前の道路に大きな柳の木がある。その下に古くなった説明版があった。字も薄れ読みにくいためと柱の鉄柱が腐って新規にやり直した。今回はこの市道(昔の偕楽園内)にあった西郷隆盛・伊達宗城の会見の松の説明も付け加えた。

古い説明版


場所移動をした説明版


画面右手の説明版横の松が「会見の松」二世


説明版内容



4 件のコメント:

syoryu さんのコメント...

 「あの西郷隆盛が、四賢公の中でも一番小さい藩の伊達宗城公に相談に来たという事実は、もっと世に知らしめてもいいのに」と、ず~と思っています。
 もちろん他の3人も素晴らしい方だとは思いますが、明治政府の処遇を見ても宗城公の方が数段抜きんでていたことは事実です。
 大河ドラマ「花神」(少し古い)や「篤姫」等で取り上げられたときに、積極的に売り出せばと思ったのですが・・・・!

 今回の看板掛け替えは、少なからず私の溜飲を下げることになりました。ありがとうございました。

伊達者   さんのコメント...

syoryu さん、コメントありがとうございます。その通りです。平成14年でしたか「花神」のとき、なぜパビリオンができなかったのか、不思議です。集客は見込めたはずなんですが・・・

なぜか、ドラマでは瞬間にしか出てこない、宇和島です。昨年評判だった「JIN 仁」でも名前だけは出ていましたね。漫画でも「伊達藍山宗城」と出ていましたよ。

伊達博友の会 さんのコメント...

これは史実なのですかね>
信じたいのですが、伝聞?

それとも、西郷は史実で、龍馬は伝聞?

そうであって欲しいのは宇和島人の想い。?

伊達者   さんのコメント...

史実です。西郷と宗城が幕府に替わり四賢公による政治をするため呼びかけにきたものと言われています。会談は御殿のお庭、偕楽園の松の下で行われています。ちょうど看板の位置あたりです。

龍馬については、初出が「土居通夫君伝」大正時代に書かれたもの。才谷梅太郎の名前で書かれています。これを元に司馬遼太郎が「花屋街の襲撃」を書きました。龍馬が来たかどうかは不明です。ある方は屋敷神の和霊さんがあるのだから本殿へのお参りくらいはしただろうと・・・さて?