2013年3月31日日曜日

ラジオウォーク

 FMガイヤでラジオのパーソナリティを8回に渡ってやりました。内容は、このブログ「伊達博通信を元にしています。何しろ、伊達家のエピソードは、あまりにも多いので、はしょってしかできなかったのが、心残りでした。このブログにその内容を貼り付けたいと思ったのですが、その機能が無いため、あきらめました。もし必要な方がおられましたら、博物館でお申し付けください。

 最後の収録の折、次のことを頼まれました。お礼奉公のつもりで引き受けました。それは広報やUCATの番組案内などで、宣伝されている「ラジオウォーク」です。アナウンサーと共に歩いて実況中継をするという役目・・・どうなることやら、初めてのことなので分かりませんが、何とか務めたいと思っています。

 このブログ、担当の一人だった私は3月31日で退職します。これからも「伊達博通信」は続けていきますので、ご愛顧の程よろしくお願い致します。ラジオウォークでお会いしましょう。

広報パンフレット表


広報パンフレット裏

2013年3月27日水曜日

城と宇和島さんさ

青空に映える宇和島城
 
別名「鶴島城」にふさわしい姿である。
 

2013年3月24日日曜日

宇和島藩伊達家菩提寺

銅版画展

伊達博物館ロビーにて展示中!


龍華山等覚寺

銅版画を刷り、拡大コピーしたものである。


金剛山大隆寺

銅版画を刷り拡大コピーしたものである。


解説版

金剛山大隆寺 龍華山等覚寺

銅版画の発見について
 
 金剛山大隆寺において明治35年(1902年)に作成された銅板が原版が発見され、龍華山等覚寺に伝わる原版と併せて、明治時代の伊達家菩提寺の様子が明らかとなりました。

◆発見の経緯

 龍華山等覚寺には「明治35年3月金沢済美館製版」と記された銅版画原版が伝わっており、以前から知られていました。昨年9月頃、金剛山大隆寺において新たに住職を迎えるために整理を行っていたところ、「明治35年2月刻金沢済美館製版」と記された原版を発見しました。

◆銅版画の内容について

 銅版画はいずれも寺域を俯瞰で描写し、「龍華山等覚寺之景」では再建前の本堂や、今は無い霊牌堂、伊達家墓所の拝殿などの様子が描かれています。ただし、文字情報では「鶴松城」や「山門 設計中」など事実と異なる記載も見受けられます。「金剛山大隆寺の景」では明治38年に亡くなった9代藩宗徳公の墓所が無い点、戦災で焼失した和霊廟山門と参籠堂が描かれている点、御霊屋と本堂の間に「設計中」とかかれた渡り廊下が描かれている点など、現在と異なる様子が描かれています。両絵図ともに明治期の両菩提寺を今に伝える貴重な資料です。




2013年3月13日水曜日

全国藩校サミット鹿児島宣言

  全国藩校サミット鹿児島大会に参加し、その宣言文を聞き、現在の日本の国が抱えている教育の問題点を解決する手立てが、藩校の教えによって、唱えられていることを改めて確認しました。江戸の昔より、教育の基本理念を各藩では、言葉は違えども実践しています。会津の「什の教え」、鹿児島の「郷中」などが代表的なものだと思います。それを生かすための心身としての、宣言文をここに掲載させて頂きます。

全国藩校サミット鹿児島宣言

  春3月、私達は鹿児島の地に集い、11回目の全国藩校サミットを開催しました。これまで各地で催された10回のサミットの成果の上に、各藩校で、誇り高く自らを錬磨した先人達の真摯な態度と精神に学び、その実りを共有してきました。薩摩でも幼少期に「負けるな。嘘をつくな。弱い者をいじめるな。」と、厳しく躾けられ、また、「いにしえの道を聞きても唱えても我が行ひにせずば甲斐なし」などの教えを具体的に学び、進取の気性に富む若者を育んできました。
  鹿児島大会開催に当たり、昨年の水戸宣言の「往ぎたるを彰かにして来たるを考え」を多とし、往時の実りを現代化し、未来にどう繋ぐかを工夫して参りました。実行委員会に県下の大学生達が参加し、学生達の活動も大きな成果を遺しました。今後も「造士館講座」「郷校講座」等の試みを地道に重ね、このサミットを通過点とし、我が国の、そして世界の未来を担い、人類の豊かな将来を確乎として構築する若者達と共に、全国藩校サミットの成果を共有したいと心に期しました。
  私達が自らも学び、行動し続けることによって、若き彼らが、もっと成長し、豊かな、美しい日本を、世界を、逞しく多様に創出してくれ、若者達の夢が、いよいよ大きく膨らむように、また力強く学び続けられるように、能う限りの支援をし続けることをここに宣言します。
                                   
                                 平成25年3月9日
                                                                          第11回全国藩校サミット鹿児島大会

2013年3月12日火曜日

第11回全国藩校サミット鹿児島大会

 宇和島藩伊達家は今回からの参加となった。御当主と藩校である「南予明倫館」の職員の方々が参加されるのが、当然だが「南予明倫館」は今の時期が一番忙しく東京から離れられないのが現状だった。そこで宇和島より2名の者が代行し、御当主に随行した。私にとってこのような機会は勿論、初めてであるし、このブログを見てくださる方々も知らない方が多いと思う。可能な限り、報告したい。

全国藩校サミット開催の記録               ※ この記録は要項より抜粋したものです。

 全国藩校サミットは、平成14年に東京都の湯島聖堂で開催されたのが始まりです。経済界、教育界の有志が中心になって設立された「漢字文化振興会(現漢字文化振興協会)」が呼びかけて実現しました。戦後の日本では、漢字文化が衰微する一方で、外来語の乱用、日本語の乱れなどが広範にみられます。この日本譜の状況を憂え、漢字文化を後代にきちんと伝え、受け継いでいくことが、藩校サミットの基本理念です。
 江戸時代、藩校は全国の260余の藩に次々に設立されました。その教育は、各藩それぞれに特色があり、その地方の青少年教育および文化の振興に大きく寄与してきました。それぞれの地域に息づいている藩校の伝統や精神を、現代の視点で見直して評価し、生かすべきは生かしていこうという趣旨で、毎年全国の藩校所在地回り持ちで開催し、鹿児島大会で11回を重ねました。

 これまでの開催地は、次の通りです。

第 1回  平成14年(2002年) 江戸幕府昌平坂学問所(湯島聖堂) =東京都文京区
第 2回  平成15年(2003年) 会津藩・日新館 =福島県会津若松市=
第 3回  平成16年(2004年) 佐賀藩多久邑・東原序舎 =佐賀県多久市=
第 4回  平成17年(2005年) 備中桧山藩・有終館 =岡山県高梁市=
第 5回  平成18年(2006年) 高遠藩・進徳館 =長野県伊那市=
第 6回  平成19年(2007年) 庄内藩・致道館 =山形県鶴岡市=
第 7回  平成20年(2008年) 能州本藩・時習館 =熊本県熊本市=
第 8回  平成21年(2009年) 長同港・崇徳館 =新潟県長岡市=
第 9回  平成22年(2010年) 松江藩・文明館 =島根県松江市=
第10回  平成24年(2012年) 水戸藩・弘道館 =茨城県水戸市=
第11回  平成25年(2013年) 薩摩藩・造士館 =鹿児島県鹿児島市=
第12回  平成26年(2014年) 忍藩・進脩館 =埼玉県行田市=   (予定)

大会要項(表表紙)
 

大会要項(裏表紙)
 

2013年3月4日月曜日

春一番

春一番が吹いた日、木蓮の開花
 
裏庭の木蓮と杏が咲けば、春到来!
館内は「ひな人形展」で大勢のお客さんである。
昨年は花付きが悪く、寂しかったが、今年は一杯のつぼみが・・・
 
 

2013年2月25日月曜日

ひな人形展 出迎え授業

出迎え授業
 
平成20年より各小学校を訪れ、宇和島伊達文化に関する授業を行ってきた。
時間は小学校に併せ、45分・・・
この出前授業は宇和島歴史文化研究会の発案で発足した。
伊達家の古文書等を子ども達の目の前で実物を見せたいところから始まった。
今では要望があれば、プールで伊達の黒船(外輪船模型)を走らせている。
 
おなじく、博物館での授業も開催している。
ひな人形展に併せ、遠足をかねて、近くの小学3年生がやってきた。
非常に熱心で質問なども多くあり、素晴らしい授業展開であった。
 

整然と並んだ子ども達から挨拶を受ける当館学芸員
 

学芸員
 
当館には3人の女性学芸員が居るが、この出迎え講座に関しては素晴らしい展開をする。
彼女たちが話し始めると子ども達は一瞬にして聞く体制に入る。
説明も学年に併せ、アドリブを交えながら進めていく。
 
彼女たちの説明を聞き、宇和島の歴史に少しでも興味を持ってくれれば幸いである。
まだ「ひな展」が始まって4日間・・・例年に比べお客さんは非常に多い。
さあ、保育園、幼稚園、小学校のみなさん、お待ちしていま~す!
 

2013年2月21日木曜日

伊達修行 第2弾!

秀宗&亀姫キャラクターコンテスト

 昨年、「いやし博2012」のイベントとして、公益財団法人伊達文化保存会の伊達修行が天赦園をメイン会場にして開催された。この伊達修行は昔の武家社会においての勉学を主とする。当然、文武両道の内の「文」の分野である。

 行われた修行は「茶道」「香道」「絵画」・・・「書道」は講師の関係で今回は中止となった。各修行ともに参加者は予定数を上回った。当然のことながら来年度(平成25年度)も継続されると聞いている。その中でも絵画教室(天赦園のスケッチ等)に関しては先生も熱心で、伊達修行第2弾としてお願いをした。それが伊達博物館や財団使用のキャラクターコンテストである。

 今回応募された絵画は30点あまり、その中から5点選んだ。このブログを見ておられる方々にもその評価を書き込んで頂きたい。個人情報の保護もあり、名前の掲載はしません。与えた情報は「秀宗は人質だったが、秀吉や家康に甘やかされて育ったと思う。亀姫は譜代筆頭の井伊家のお姫様でプライドが高いお嬢さん育ちということ。」

 この掲載された5人については賞状と記念品をお送りし、博物館、財団、「きずな」が自由に使えることにして頂いた。少し変更もあろうが、皆さんのお目に掛かる日も近いだろう。

最優秀賞

くま(秀宗&亀姫) 小5

 
優秀賞 
パンダ(秀宗&亀姫) 中1
 
 
優秀賞
アキバ系(秀宗&亀姫) 中3
 
 
特別賞
ふくろう(秀宗&亀姫) 一般
 

特別賞 
ねこ(秀宗&亀姫) 一般
 

2013年2月20日水曜日

ひな人形展 展示替えの舞台裏

春一番!「伊達博物館ひな人形展」
 
伊達博物館では毎年、恒例のひな人形展を明日から4月7日(日)まで開催します。
この間、市内の保育園、小学校低学年の児童に皆さん方が大勢来館して楽しんでもらいます。
それだけでは無く、人形愛好家の方々も全国より来館してくださり、ありがたく思っています。
今日まで展示替え、明日21日(木)からです。
写真は大宮家よりご寄贈頂いた丸平大木人形展、5代目大木平蔵作(大正雛)。
見事な男びな、女びなです。




2013年2月17日日曜日

調査研究と連携

博物館連携
 
恥ずかしながら、本館では他の博物館との交流は単品をお借りするのみで交流は無かった。
最近、何処の博物館にしても企画する上で、交流しなければならないことが増えてきている。
特に宇和島藩伊達家の御親戚筋は大切である。
 
仙台伊達家を筆頭に彦根井伊、佐賀鍋島との交流は現在進行中・・・
その準備のための予算化を我が館はやっていなかった。
博物館協議会に於いて、10年間の企画を立てる必要があると指摘され、予算化に踏み切った。
 
学芸員は年に3回程度の県外出張が認められた。
 
他の館では当たり前のことが、小さな博物館では難しいのである。
その交流が増え、宇和島まで遠路来られた方をご案内することがある。
勿論、仕事で来られているので時間と休みを取ることができればの話である。
 
まずは龍華山等覚寺
 
歴代伊達家の御当主の墓がある寺である。春には庭に牡丹の花が咲き乱れる。
秀宗の戒名「等覚院殿」から寺名を採っている。
恐れ多いので宇和島人は「竜華」と山号で言っている。
同じく金剛山大隆寺も5代村候の戒名「大隆院殿」。
この寺も宇和島人は山号「金剛山」と呼ぶ。
 
 

2013年2月11日月曜日

結の華-佐賀鍋島家と宇和島伊達家の幕末・明治-

 来年度秋の特別展の開催が決まって佐賀にご挨拶に伺った。鍋島家の御当主や徴古館の学芸員の方々に歓迎され、企画案がまとまりつつある。恐れ多くも鍋島家の御当主に佐賀城址及び佐賀城本丸歴史観をご案内していただいた。佐賀鍋島家と宇和島伊達家の繋がりは深い。5代村候、7代宗紀、8代宗城の奥様が佐賀からお輿入れされている。秋の特別展はお客様も楽しみだろうが、館員達も待ち望んでいる。


 佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島氏が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)という俗称もある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県、長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)。


2013年2月7日木曜日

佐賀鍋島家訪問

佐賀県と言えば・・・
筑後平野は広い。筑後川の河口に位置する街。
その広さを利用してか、熱気球の世界大会など開催されている。
平成25年の秋の特別展で佐賀鍋島家より、品物をお借りするため、ご挨拶に参上した。


2013年2月1日金曜日

FMガイヤ

 宇和島地域の皆さんは知っていると思うけれど、昨年の3月より、コミュニティラジオ「FMガイヤ」が始まった。いろんなパーソナリティの方々が居る。そんな中、博物館も参加してほしいとの依頼があり、宣伝のためと、みんなが知らないことを知ってもらおうという、軽い気持ちで引き受けた。

 
 ほんと軽い気持ちで・・・仕事もあるので、影響のないとき録音してもらい、流してもらうことにした。時間は月曜日の朝8:00~と11:00~の繰り返し30分・・・しゃべるのは仕事だったから慣れているけれ、ど対象が空気(マイクの前のリスナーさん方)というのは勝手が違った。冷や汗もので二回分の収録を終えた。さて反応が楽しみだが・・・自分はできるだけ聞きたくない。

第一回目は2月4日(月)だ!


http://www.gaiya769.jp/  FMガイヤのホームページ


 

2013年1月25日金曜日

宇和島伊達騒動

 史実と想像

 これから記述する話は根拠は唯一つ、伊達家に残る一通の手紙・・・あとは宇和島に残る言い伝えや口伝による。忠臣山家清兵衛公は秀宗による上意討ちだったのみが真実・・・闇討ち事件とか、惨殺とか、祟りとかは清兵衛の善政を忍んで物語的に言い伝えられたことである事を記述しておく。

 最近、この山家清兵衛について話をする機会が増えた。研究をされている方々、いろんな視点を持っている方々の話をまとめて話すことにしているが、口伝にしても疑問に感じることが多々ある。
 見聞きし、解決しているものもあるが、疑問として残っているものが多い。その中でも特に気になるのが、秀宗の上意討ちであったという結論。仙台伊達家四代綱村の宇和島藩伊達家二代宗利に宛てた書状に「山家清兵衛と申す者を御成敗」とあることで分かるとされてきた。

 御成敗であるなら何故、切腹とか閉門蟄居とか、正式な処罰を与えなかったのか?闇討ちなどと言うのは大名の当主がすべきことではないと思う。私は研究者ではないので古文書による正式な見解はできない。しかしながら半面、自由な推理はできる。これから述べる話はなんの根拠もない戯言としてとられてもらっても良い。おもしろく読んで頂ければ幸いである。

 結論から言うと、山家闇討ち事件は口伝で伝えられているように家臣団の対立によるものだと思う。家臣達は禄高を減らされ不平不満が山家清兵衛に向けられた。また、民百姓達の税を少なくし、人気があり、信頼されている山家清兵衛に対する恨みとやっかみが、その因になったことは推測できる。それが闇討ちとなった。命令したのは誰か定かではない。さて、このことが江戸表に知られたら、お家騒動(内乱)で間違いなくお取りつぶしであろう。家老の桜田、志賀、桑折あたりが、仙台の政宗に注進に及んだことは必定である。

 政宗、これには激怒もしたと思う。しかしこのままでは宇和島藩10万石を徳川からせしめたことが水泡に帰する。智恵を絞り、政宗が筋書きを書いた。つまり、清兵衛を秀宗が上意討ちにしたと書き換えた。そのため記録類は一切焼去せよとの命令、そして秀宗とはともに大芝居を打つ。これが親子勘当事件。そして政宗は江戸幕府に先手を打ち、宇和島藩お取りつぶしをと願い出る。これは前代未聞のことである。申し出通りにできないのは東北の雄「政宗」が相手だということ。幕府も落としどころを考えたに違いない。ここで登場するのが譜代筆頭井伊家である。ご存じの通り井伊家は秀宗の妻の里。仙台への秀宗に対しての措置の取りなし、それから幕府へ対して温情の沙汰があるようにという願い出た。

 仙台でもこの事件については箝口令が布かれたことは推測できる。知っているのは、おそらく政宗他、数名のお付きの者だろう。書面で残さず、口頭で処理したのではないか。綱村の書面は、この口伝を伝えたことではないかと推測する次第である。

このことから次の疑問が解消される。

◆ 上意討ちではなく闇討ちであったこと。
◆ 口伝ながら、清兵衛は前もって毒殺、暗殺の兆しを察知していたこと。
◆ 妻、母、二人の娘を伊方屋仁兵衛の檜皮ヶ寮(ひわだがりょう)へ避難させていたこと。
◆ 闇討ちの後も一家皆殺しにするよう追っ手を送ったこと。
◆ 政宗が息子の藩のお取りつぶし依頼をすること。
◆ 証拠書類など一切の焼脚命令。
◆ 速やかなる山家清兵衛の神格化。

2013年1月19日土曜日

蔵開き

2013年1月17日
 
江戸時代ならこそ在ったでしょうが、今では死語に近くなった居るのではと思います。
公益財団法人宇和島伊達文化保存会の「蔵開き」に招かれました。
今年は雨のため、神事は室内で執り行われました。
床の間に飾られた祭壇です。
 

2013年1月15日火曜日

ボランティア清掃

役割通り各人、墓所へ
 
私も島内家の墓所掃除に行く。
島内家は村候の弟が起こした家柄で政宗直系である。
 
ボランティア清掃が終われば、金剛山書院で講話が待っている。
 
 

2013年1月9日水曜日

宇和島紀行スペシャル

 年明けで恐縮だが、2012年12月29日(土)14:30~15:30に宇和島紀行のスペシャル版が放映された。
 2012年4月7日(土)~9月29日(土)11:55~12:00の枠で26回放映された映像を新しく編集し直したもの。そのため12月中旬、ディレクター兼撮影者である伊藤英朗氏一行が補足撮影のため来館された。今回は26回をつなぐための、ナビゲート役にアナウンサーの佐伯りささんも同行された。

 今回の放映も提供は「愛媛銀行」で宇和島市にとっては大変ありがたかった。特に歴史文化都市を目指す当市は、伊達文化を知らしめるため感謝の一言である。

宇和島紀行スペシャル
ナビゲーター:佐伯りさ
ナビゲーター:保持卓一郎
オリジナル音楽:吉佐小基史
撮影:伊藤英朗


2013年1月1日火曜日

あけましておめでとうございます







平成25年1月4日(金)より開館いたします。

「武器・武具展」 - 大名家伝来の武器と武具 -


昨年同様、今年もよろしくお願いいたします。

2012年12月28日金曜日

展示替え

伊達博物館には年5回の展示替えがある。
今回は新年に向けての総入れ替え。
まずは今まで展示していたものの撤収作業。
館員7人全てが取りかかる。
展示替えには3日間要する。


2012年12月24日月曜日

皆様方に感謝!

2012年宇和島市立伊達博物館の展示最終日

明日からは2013年の展示会に向け、展示替えを行うため、今年の開館は今日が最後となる。
日本列島、寒波襲来とかで朝から雪・・・
今年は「いやし博2012」の開催で高速道路宇和島・津島延伸の記念イベントが行われた。
仙台市博物館・瑞巌寺宝物館を始め、各方面から政宗ゆかりの品々をお借りした。
博物館開館以来の一大イベントの開催となった。
記録ずくめで特別展入館者は開館以来最高、一日の入館者も最高となり、賑ぎわった。

関係者の皆様、お客様に深く感謝の意をこめ御礼申し上げます。
2013年も伊達博物館は仕掛けます。
新年の開館は1月4日(金)より、御来館お待ちしています。

 

2012年12月22日土曜日

小堀流踏水術

 輪島市立伊達博物館は名の如く「宇和島藩伊達家」に伝わる古文書、品物を中心に展示している。展示品は、公益財団法人宇和島伊達文化保存会所有のもの、お預かりしているもの(寄託)、宇和島市へ寄贈を受けたもの、もともと市が所有していたものに分けることができる。

 この軸や文書に関しては、宇和島藩伊達家に仕えていた浅野家の御子孫の方に寄贈していただいた貴重な品物である。浅野家はもともと仙台藩伊達家に仕え、秀宗入府後、寛永年間に政宗の命により宇和島入りしている医者の家系である。江戸中期に医者の道から武士になった家系もあった。この子孫の浅野登という士が主君(宗城)の命令で熊本藩細川家に伝わる「小堀流踏水術」を学ぶため留学を命ぜられた。以下、軸と免許状である。この展示は1月4日より、伊達博物館第四展示室にて行う。

 小堀流踏水術(こぼりりゅうとうすいじゅつ)は、強力な立ち泳ぎを特徴とする日本泳法の流派。江戸時代、享保年間、熊本藩士小堀長順の創始するところで、長順の死後、池部彌八郎、山東彦右衛門、能勢熊之丞その他を経て小堀水翁が継ぎ、さらにこれを猿木宗那に伝え、宗那の死後、小堀平七がその直流を伝えた。 現在 熊本、学習院、京都、長崎に活動拠点がある。

免許状 安政6年(1860年)


游泳術(上)


游泳術(中)


游泳術(下)


修行理由由来


游術系図



2012年12月15日土曜日

展示会名の変更

武器・武具展
 
平成24年12月26日~28日展示替えのため休館
 
今までは前期展・後期展とか常設展と表示していた。
平成25年より、この名前を変えることとした。
理由の一つは「わかりやすい」展示名、
もう一つは「新しいもの」という理由からだ。
当市の方々から良く示唆を受ける。
その中で「何時行っても同じ物しか飾っていない」という意見がありますよとのこと。
年5回は替えているのだが、なかなか浸透しない理由はこのあたりだと考え、実施することとした。
 
パンフレット表面
 
パンフレット裏面
 


2012年12月12日水曜日

青山の琵琶

 青山の琵琶に関して質問があった。宇和島藩伊達家と京都の寺の繋がりで何か展示品があるように聞いたがとのこと。それなら「青山の琵琶」だと改めてまとめてみた。

 嘉祥3年(851)に、 藤原貞敏が唐から持ち帰った琵琶(青山・玄上・獅子丸)3面の内の一つである。この琵琶は謎が多く、他にも現存していると聞いている。宇和島藩伊達家に伝わる「青山の琵琶」は仁和寺の記録にもあり、信憑性は高いと思う。

仁和寺
 仁和寺には、「青山」という琵琶の名器にまつわる哀切なエピソードが伝わっている。
この琵琶は平安時代に唐から伝来し、琵琶の名手、平経正(たいらのつねまさ)が愛用したと伝えられる。
 『平家物語』巻7によれば、1183年(寿永2)の平家都落ちに際して、平経盛の嫡子の経正は、仁和寺の第6世守覚法親王に謁して、「青山」の琵琶をお返ししたいと言上した。昔、少年の経正が第5世覚性法親王に仕えていたとき、拝領した琵琶である。
その潔さに、法親王をはじめ並みいる面々はみな涙して名残を惜しんだ。なかでもかって経正の師だった行慶法印は、桂川の岸まで見送り、互いに別れの歌を詠みかわした。その翌年の一ノ谷の合戦で、経正は戦死した。
 その後、「青山」の琵琶は持ち主を転々として宇和島伊達家に伝えられたという。

公益財団法人宇和島伊達文化保存会所蔵「青山の琵琶」の図録解説

 縦長100.0×横38.0
 本資料箱書(表)には、「胡琴」とある。胡琴(こきん)とは、琵琶の古称(故国から渡来したことに由来する)である。
 平家物語の上巻・巻第七・十六「経正の都落のこと」に「青山」にまつわる話が出てくる。物語中、平経正(生年不詳~1184、平経盛の長男、元服まで仁和寺の守覚法親王<しゅかく、1150~1202。後白河院の次男で高倉帝・以仁王の兄にあたる。仁和寺は歴代皇族が貫首を務めた>に仕え、名器の青山琵琶を親王より拝領、琵琶の名手として知られた)が持参した琵琶「青山」は嘉祥3年(850)に藤原貞敏が渡唐したときに入手し、持ち帰って、後代々御所の重宝とされたといわれている。中国から渡来した3面の琵琶のうちの1面とされ、盤面に夏山の緑の峰より有明の月が出る所が描かれているところから、「青山」と名付けられたと伝えられている。
 本資料の箱書きによると、陽徳院(1568~1653、政宗の正室、奥州三春城主田村清顕の娘、愛媛)が天正7年(1579)伊達家に輿入れの際に持参し、仙台伊達家に伝わっていたとされる。その後焼失していたものを宇和島藩第5代村候が見つけ出し、入手したと書かれている。また村候直筆の箱書きの終わりには、「笑話」としてしめている。現在は盤面にすれが多く、かすかに木立に山(または夏山の緑の峰か)が描かれているのが窺え、ひとつの景色をなしている。 仁和寺には、「青山」という琵琶の名器にまつわる哀切なエピソードが伝わっている。
この琵琶は平安時代に唐から伝来し、琵琶の名手、平経正(たいらのつねまさ)が愛用したと伝えられる。
 『平家物語』巻7によれば、1183年(寿永2)の平家都落ちに際して、平経盛の嫡子の経正は、仁和寺の第6世守覚法親王に謁して、「青山」の琵琶をお返ししたいと言上した。昔、少年の経正が第5世覚性法親王に仕えていたとき、拝領した琵琶である。
その潔さに、法親王をはじめ並みいる面々はみな涙して名残を惜しんだ・なかでもかって経正の師 だった行慶法印は、桂川の岸まで見送り、互いに別れの歌を詠みかわした。その翌年の一ノ谷の合戦で、経正は戦死した。
 その後、「青山」の琵琶は持ち主を転々として宇和島伊達家に伝えられたという。



2012年12月3日月曜日

いやし博2012クロージング

いやし博2012クロージング
 
愛媛県のいやし博の閉式は11月4日で愛南町の文化会館で行われた。
宇和島市は県のコアイベントの他に自主企画イベントが数多く開催された。
そこで12月2日(日)中山池イルミネーション点灯式に併せ、閉会式が行われた。
 

司会の商工観光課職員
 

石橋市長の挨拶
 
雨に始まり、雨に終わったいやし博2012について
 

乾杯
 
ノンアルコールのバイキング形式の慰労会を兼ねていた。
乾杯の音頭は商店街連盟会長さん。
 
会場にはイベント担当者ほか、百名程の参加者だった。
これで本当の終了となった。
さあ、来年度の特別展に向け準備を急がねば!
 

2012年11月22日木曜日

陽明文庫

伊達博物館協議会委員である茶人木村宗慎先生のお招きでお茶会に参加した。
日本の歴史を中心とした博物館では茶道・香道は切っても切れないものである。
それと今回のお茶会が陽明文庫であることにも興味をひかれた。

陽明文庫

 公家の名門で「五摂家」の筆頭である近衛家伝来の古文書(こもんじょ)、典籍、記録、日記、書状、古美術品など約20万点に及ぶ史料を保管している。昭和13年(1938年)、当時の近衛家の当主で内閣総理大臣であった近衛文麿が京都市街地の北西、仁和寺の近くの現在地に設立した。近衛家の遠祖にあたる藤原道長(966 - 1028)の自筆日記『御堂関白記』から、20世紀の近衛文麿の関係資料まで、1,000年以上にわたる歴史資料を収蔵し、研究者に閲覧の便を図るとともに、影印本の刊行などの事業を行っている。                          ウキペディアより

第25回 秋菊忌茶会

會記
 

於 陽明文庫

                                   展   観  陽明文庫    
                                   列品解説  名和 修 陽明文庫長
                                   茶   席  陽明文庫 虎山荘
                                   濃 茶 席 芳心會 木村宗慎
                                   薄 茶 席 幽水会 堀江宗篷
                                   点   心 松花堂弁当

受付



陽明文庫より虎山荘を望む


陽明文庫

詳しくは書かないが、各茶席には陽明文庫の国宝、重要文化財が展示してあった。
勿論、お茶道具も素晴らしいものだった。
当然のことながら、撮影禁止で想像して頂くしかない。

文庫長さんの面白く、丁寧な解説が素晴らしかった。
展示してあるものは何気ないが、国宝、重文類である。
厳粛な茶席、陽明文庫の古文書類を堪能した秋の一日だった。


茶席



2012年11月14日水曜日

迎え授業_砥部町小学校連合(玉谷小・広田小・高市小)

社会見学の一環として計画立案されたとお聞きした。
愛媛県は伊予八藩と言って江戸時代は分裂構造だった。
砥部町と言えば大洲藩・・・
国境(くにざかい)を超え、学習のため遠路来られたことに感謝と敬意を・・・

久保田佐竹藩佳姫婚礼調度「女乗り物」
保存状態、日本一で別名「動く御殿」ともいわれる女駕籠
学芸員の説明に聞き入る小学校連合の子ども達


2012年11月11日日曜日

坂の上の雲ミュージアム_博物館連携

博物館連携

政宗見参!特別展のおり、坂の上の雲ミュージアムで初の試みがさなれた。
松原館長が推進されている瀬戸内ミュージアム構想、博物館連携である。
このパネル展を見て、来ていただいたお客さんがいた。
大変ありがたいことである。

今回は伊達博物館で坂の上の雲ミュージアムのパネル展を計画した。