このあんずの始まりは元禄時代、豊姫が、松代藩主・真田幸道候に輿入れする際、故郷の春を忘れじとしてあんずの苗木を取り寄せたものが始まりといわれている。昔は漢方薬としてあんずが重宝され、当時の松代藩が森村、倉科村に栽培を奨励し、普及して現在のあんずの里になったという。市内の森、倉科地区は、「一目十万本日本一のあんずの里」として知られてる。4月には「あんず祭り」「豊姫祭り」でも名高い。
その真田家のある更埴市(現千曲市)と宇和島市は友好姉妹都市の締結をしている。つまり伊達家つながりである。この更埴市の方々が来宇されたおり、杏の木はどこにあるのか探された。当時、宇和島には杏はなかった。それではということで杏の苗木を送っていただいた。それが伊達博物館偕楽園と天赦園にある杏の木である。「里帰りの杏」
天赦園の杏
杏の実
色づき、熟す頃になると甘酸っぱい香りが廻り一面に漂う。
熟した杏の実
説明で漢方薬とあったが、杏酒などにも加工されている。
伊達博物館偕楽園にある「里帰りの杏」の開花
伊達博物館偕楽園にある「里帰りの杏」の紅葉
2 件のコメント:
まだまだ、彦根会談のお疲れが残っているご様子で・・・
♪♪待てど 暮らせど 来ぬブロg・・♪♪
疲れもようやく癒えたようです。早速、現存する12分の1の国宝「彦根城をアップします。
雨はもう結構なんですが、博物館の枯れ池に満々と水が・・・
コメントを投稿