伝 山家清兵衛所用甲冑
宇和島市では「和霊さん」の愛称で知られている山家清兵衛は最上の出身、伊達政宗に仕え、その知力は計り知れないと言われていました。長男秀宗が宇和島10万石に配置された折、政宗は重臣57名(伊達57騎)を秀宗のため、付けてやります。その中でも政宗の「覚え」に記載されている家老職「山家」、「桜田」、「志賀」は有名です。
伊達家五代藩主村候による山家清兵衛の肖像画
山家家の家紋は「対(むか)い波」と「釘抜き」
対い波紋
釘抜き紋
対い波紋は肖像画の陣幕に描かれている
釘抜き紋は和霊大祭の時に氏子たちが着る法被の背に描かれている
宇和島騒動(詳細は別項で)の後伊達家では、山家清兵衛公を祀るため「和霊神社」を建立します。その祭りが23,24日で走り込みで有名です。しかし、最近では「牛鬼まつり」と名前を変え、本来の祭りの意義が薄れているような気がしないでもありません。
山家清兵衛の暗殺は、旧暦6月の晦日となっています。菩提寺の金剛山大隆寺では7月29日を命日としてお祭りをしています。当日、本堂では宇和島騒動の挿絵が屏風に張られ、物語としても楽しめます。宇和島人としては是非参拝を・・・
8 件のコメント:
ありがとうございます。2年ぶりに行こうと思います。
このときでしたよね。「地獄図」?が展示されるのは?
前に撮らせていただいた写真は、・・・
陽水の歌を歌いながら・・・・
本堂に宇和島伊達騒動の挿絵(ふすま)と隣の別室に「小野小町」の人生の掛け軸が展示されます。
また、檀家の方たちのご厚意で山家廟にお参りをするとき「ろうそくと線香」のサービスがあります。こんな時代であるからこそ、山家清兵衛公のような政策者がいるんですね。
地獄絵図は「えんま様」西江寺では・・・?
謎の多い事件です。櫻田という歴史家もいれば殿様の上意打ちだとも聞く。山家清兵衛の方が悪かったとも聞く。真相やいかに?
現在は上意討ちが定説となっています。金剛山の物語や和霊神社の物語は昔ながらの敵役が登場しています。
「対い波紋」は山家公が漁民に慕われていたからかと思いましたが、仙台藩の頃からの家紋だったのでしょうか?
また山家公が闇討された時に長男だけは仙台にいたのだと思うのですが、その後長男はどうなったのでしょう?
御子孫とかはおられるのでしょうか?
「対(むかい)波」は山家家の家紋です。最上家に仕えていたときからですね。変形として波頭が3つのもの、7つのものもあるとか。山家家は5つですね。大名家では家紋を多く使っているようですが、家老職ではあまり聞きません。もう一つのものが「釘抜き」和霊大祭の法被の背中。
政宗の危機管理能力でしょうか。宇和島に付けて出すとき、長男は仙台に残しています。山家家は続き、一番賑やかな一番町の開発者ともなっています。現在も御当主が居ます。昨年でしたか、親族縁者の方たち30名ほど牛鬼祭りと供養のため宇和島入りされました。
宇和島藩においても山家家は再興され、この御子孫も鬼北町におられましたが、現在は出られたようです。
私の母の名前が山家で山家公頼の子孫なんだよ。と聞きまして調べたらこの人のことが良くわかりました。
私の母の名前が山家でこの人の子孫なんだよ、と教えてもらいました。すごいな
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