2012年10月5日金曜日

壇ふみさん来館

記念シンポジウム&講演のため宇和島入り
 
伊達博物館に来館され、記念撮影
竹ニ雀紋の前にて
 

お香道具

壇ふみさんとお香道具の撮影
 
いやし博2012
 
講演会&シンポジウムと併せて天赦園潜淵館で婦人画報の撮影が行われた。
前日、壇ふみさんの撮影は終わり、今日は香道具の撮影である。
 
 

2012年10月3日水曜日

瑞巌寺ご老師宇和島入り

ご老師、伊達博物館へ
 
瑞巌寺のご老師が9月25日博物館の展示を見に来られた。
次の日は宇和島藩伊達家への敬意を表され、宇和島城に登られた。
説明をしているのは文化課の学芸員。
 
 

2012年9月27日木曜日

伊達修行(茶道)

いやし博2012のコアイベントの一つ
 
博物館とは直接関係はないけれど天赦園で開催される伊達修行
これから11月まで茶道、香道、絵画、コンサートなど行われる。
 
今回は茶道で「鎮信流」松風会主催
 

2012年9月25日火曜日

博物館連携(瀬戸内ミュージアム構想)

 坂の上の雲ミュージアム松原正毅館長さんの発案で瀬戸内ミュージアム構想が提唱された。博物館を活性化するためにシンポジウム開催、パネル展と具現化が進んでいる。期間は過ぎているが、広報活動のためブログアップをさせて頂いた。連携を強化する意味でも伊達博物館で他の博物館のパネル展示を計画中である。

目的
 坂の上の雲ミュージアム開館5周年記念シンポジウムでの提言を踏まえ、愛媛県内および瀬戸内地区の博物館において既成の枠組みをこえた相互の連携を目指し開催するものです。この取り組みは、多様なミュージアム連携に向けた歩みの一つとして今後も継続し、博物館の社会的認知度を高めるとともに、利用者にとって多くの選択肢を用意することを目的としています。

日時  平成24年9月1日(土曜日)から平成24年9月17日(月曜日)

場所  坂の上の雲ミュージアム 2階ホール

主催者  松山市

内容  パネル展示

     宇和島市立伊達博物館
     えひめ南予いやし博2012秋季特別展「政宗見参!‐仙台藩伊達家と宇和島藩伊達家‐」 
     
     愛媛県立とべ動物園
     「ホッキョクグマ ピース」の写真展

坂の上の雲ミュージアム2階ホール


秋の特別展のパネル展示


同じくパネル展示

 

2012年9月19日水曜日

伊達五十七騎秋の陣

伊達五十七騎秋の陣

9月16日(日)に南予文化会館前で開催された。
台風接近の条件の中、出演者、観客のみなさん大勢の力で実行できたことはうれしい限りである。

そうそうたるメンバー伊達五十七騎以外に政宗、秀宗親子と藤堂高虎もはいっている。
甲冑武者は全国公募と聞いている。

なお伊達五十七騎については春の陣の所で詳しく述べているのでブログを参考にされたい。


2012年9月16日日曜日

安座供養

政宗公安座供養
 
特別展開催日の前日、執り行われた安座供養。
おそらく、今まで見たことも無い光景だろうと思う。
瑞巌寺宝物館、仙台市博物館より甲冑、倚像が遙か彼方の宇和島まで展示会のため旅だった。
甲冑は仙台市のものだが、倚像は瑞巌寺の仏像格である。
そのため瑞巌寺を出るとき遷座供養が行われた。
つまり、旅立ちの儀式である。
宇和島では政宗倚像をお迎えた儀式、安座供養が行われた。
展示会の成功と政宗公に見守っていただくための式である。
 
 

2012年9月11日火曜日

呈茶

金剛山大隆寺山門
 
開会式、内覧会終了後、木村先生の発案でお茶とお香を差し上げたいとのこと。
残暑が残る中、伊達家の菩提寺である金剛山が良いだろうと計画された。
初めての試みで、準備も大わらわ・・・
 

開会式

「南予いやし博2012」
コアイベント「政宗見参!」の伊達博物館秋の特別展が始まった。
主催者側の中村知事の挨拶。

 

2012年9月7日金曜日

鉄黒漆五枚胴具足

伊達政宗所用鉄黒漆五枚胴具足

政宗公倚像と並べて展示されるのはこの地、宇和島がはじめてとか。
展示にも熱が入る。

2012年9月6日木曜日

職人技!

 秋の特別展、展示替えが行われました。日通の美術専門員と各館の学芸員さん方の協力の下、明日の開会に向け、無地終わりつつあります。今までの展示も見せてもらいましたが、今回は職人技と見せるという心意気を目の当たりにした。撮影は許可を取っている愛媛朝日テレビのクルー。

 

2012年9月4日火曜日

テレビスポット製作風景

政宗見参!
 
 

告知板

 会館当初より使用していた告知板が移動などで手間なのと古くなったことから、新しいアイディアで新調された、展示替え、臨時休館、月曜日休館など一カ所で確認できる。また、駐車場は5時に門を閉めることも明記されている。

正門横の掲示板

 

2012年9月3日月曜日

到着!

待ちに待った・・・
 
父「政宗公」が息子「秀宗」の知行地、宇和島へ
まさに「政宗見参!」
 

8月31日夜、予定より少し遅れて仙台、京都経由で特別展に展示する品々が届いた。空では満月がお迎えをしている。

 

2012年8月30日木曜日

金茶糸五枚胴具足瑞巌寺へ

秋期特別展の集荷作業開始

公益財団法人宇和島伊達文化保存会の「政宗所用金茶糸五枚胴具足」を
瑞巌寺宝物館に貸し出しする作業が行われた。
指示するのは愛媛日通松山支店の河上建二氏。
彼については平成21年8月18日の愛媛新聞(展覧会をつくる黒子役)に記載されている。
この仕事歴15年以上で安心して仕事を任せることのできる人である。

 

2012年8月26日日曜日

政宗見参!

秋の特別展準備作業開始!

特別展開始までの作業
~9月1日 学芸員集荷作業 瑞巌寺・仙台市博物館・仙台市内・京都蟠桃院・京都市内
9月1日(土)~9月17日(月) 
         博物館連携「瀬戸内ミュージアム構想」 坂の上の雲ミュージアムにパネル展示
9月3日(月) 休館日
9月4日(火)~6日(木) 展示替え作業
9月6日(木) 15:00~ 安座供養
9月7日(金)  9:00~ 開会式 博物館ロビーにて 同9:30~ 内覧会
※ 一般のお客様は9:30より入場できます。
          

~9月1日まで仙台-東京経由-京都-宇和島と集荷作業に学芸員は出発した。
宇和島より出荷する荷物は公益財団法人宇和島伊達文化保存会の政宗甲冑

「金茶糸威五枚胴具足」で「政宗甲冑倚像」と交換になり瑞巌寺宝物館に展示される。



特別展で展示するもの

宇和島市立伊達博物館始まって以来の素晴らしい数々のものの展示である。
中でも仙台市よりあるいは宮城県より初めて他館に出るものが多い。
これだけのものを一堂に集めて見る機会は二度と無いだろう。
仙台市博物館・瑞巌寺・京都蟠桃院・高知県立歴史民俗資料館様
他お貸しくださった方々に感謝いたします。

仙台・東京・京都を経て宇和島
搬入は9月1日(土)の予定

2012年8月25日土曜日

プライベート訪問

橋下大阪市長プライベートで中村県知事と来宇
 
予定外で天赦園訪問された。
プライベートな訪問なので、マスコミ、市民などほとんど知らされなかった。
 
ご案内した折、大阪の野田地区より参勤交代の帰途、頂いた野田藤に興味を持たれていた。
最近、野田地区の藤が枯れて無くなったので天赦園の野田藤を里帰りさせましたと報告。
  
説明される石橋市長
 
 

2012年8月21日火曜日

えひめのミカタ

いやし博2012のコアイベントとなる秋の特別展について
石橋寛久宇和島市長のえひめのミカタ収録風景です。

愛媛朝日テレビの取材、放映前に特報!
テレビ局より6名、博物館学芸員1名待機と宇和島市長

2012年8月16日木曜日

龍光院

正式名称は「臨海山 福寿密寺 龍光院」
秀宗入府の折、城の鬼門として建立された。

四国八十八カ所第40番観自在寺の奥の院
四国別格二十霊場の6番
宇和島寺町通りと称する北側に位置するお寺の一番下手になる。
大超寺、大隆寺、等覚寺、潮音寺、選仏寺、西江寺、立正寺、龍光院
その内側に明源寺、真教寺、浄満寺がある。

龍光院の仁王

朝早く墓参りに訪れた。
逆行の中の仁王像。

2012年8月14日火曜日

江戸の理系力

博物館では資料の提供を求められることが多い。
洋泉社発行の洋泉社MOOK「江戸の理系力」という雑誌に情報を提供した。
宇和島藩伊達家で理系力と言えば、この人「前原巧山」である。

この本の最初には、この秋に公開される映画「天地明察」について書かれている。
原作は言わずと知れた今年度「本屋大賞」の冲方丁(うぶかたとう)氏。
監督は滝田洋二郎氏
星を追い続けた男の真剣勝負-それは日本初の暦をつくること

この本のその他の内容も非常に面白い。
よくまあ、これだけ集め、調べたものだと感心する。


前原巧山

その中に町人から蒸気船を造った功績で武士になった「前原巧山」について書かれている。
著作権の問題もあるので不鮮明だが、興味のある方は本の購入をされたい。

最近、なぜか前原巧山に関しての問い合わせが多い。
歴史的な面での日本の技術力の検証だろうか?
戦後、技術力の向上を狙って教育、産業、政治など推進してきたが、陰りが見えはじめている。
つまり、他国の技術力の推進がめざましく、日本では失速感ある。
そのための原点回帰と捉えることは無理があるか?

2012年8月11日土曜日

ハワイアン・フェスティバル

8月4、5日「きさいや広場」にてハワイアンフェスティバルが開催された。
ハワイ日米協会の方、お二人が来館された。
日本の歴史に非常に興味を持たれ、学芸員の説明に聞き入っていた。

2012年8月2日木曜日

山家清兵衛忌

  山家清兵衛公頼は最上家に仕え、伊達輝宗と義姫の婚姻の折、お付き方として伊達家に仕官する。その有能さを政宗は非常に評価し、秀宗が宇和島10万石を与えられたとき、総奉行として同行させる。当時、宇和島藩は疲弊のどん底にあり、その建て直しに清兵衛は尽力した。領民の税を免除し、家臣達の録を下げたことで、領民には慕われるが家臣達には反感をかった。持ち前のまじめさが命取りになる。この暗殺にはいろんな説があるが、最終的には秀宗の上意討ちが現在、定説となっている。元和6年6月29日深夜、丸の内の山家邸が襲われる。蒸し暑い、雨の降る晩で蚊帳の四隅を切り落とされ、刺し殺される。息子3人、娘と娘婿(塩谷匠)をその子2名の8名が尊い命を奪われた。妻と母親と二人の娘は檜皮ヶ寮(伊方屋仁兵衛の別邸)に避難させていた。追っ手を避け、松野町吉野生に逃れる途中、娘二人は斬り殺される。妻と母親は日振島の清家久左衛門によって仙台に逃れる。仙台には宇和島に来る折、残してきた長男喜兵衛がいた。

山家家家系図(背景は 伝 山家清兵衛所用甲冑)


和霊廟

 元和20年6月29日惨殺された山家清兵衛公頼の法要が、今夕(新暦7月29日)六時半より、金剛山大隆寺の「御霊様(和霊廟)」において宇和島市の臨済宗妙心寺派のご住職方によって営まれます。清兵衛の遺徳を慕い、この祭りには大勢の市民がお参りしていたが、現在では数少なく寂しい限りである。


参拝所

家紋について述べたい。提灯に描かれている家紋は「釘抜き」、もともと山家家の家紋ではなく、宇和島に来て使用したものだと考えられる。それと抱き波(五つ波)も同様である。
山家家の正式な家紋は「向沢潟(むかいおもだか」である。


本殿前の参拝所


山家清兵衛墓所(五輪の塔)

参拝所奥の本殿の中に清兵衛公のお墓がある。

 

2012年7月22日日曜日

藤棚改修工事

資材搬入 雨の中資材の搬入が行われた。
             

                 7月18日水曜日、孟宗竹など運び込まれた。
               伊達博物館駐車場では火であぶる作業が行われた。


2012年7月18日水曜日

出前授業 IN 宇和島南中等学校

2,000人突破!

伊達博物館の出前、出迎え授業が2,000人を越えました。
平成20年から宇和島歴史文化研究会の皆さんの協力を得て始めた事業です。

一般向けは講座とし、保育園、幼稚園、小学校、中学校対象は出前、迎え授業としました。
今年も11月にあと3校あります。

2012年7月16日月曜日

伊達ワールド夏の陣

伊達ワールド大手門

春の陣に続いて、夏の陣が7月14日(土)~8月26日(日)まで始まった。
伊達博物館もこの間は休館日無しで運営する。
大きく変わった点としては、
「位置」「出店が増えたこと」「夏の暑さ対策」「パネル案内が親切」になったこと。
14日はあいにくの雨でお客さんは少なかった。
梅雨の晴れ間の15日は朝から盛況で博物館への流れも多かった。

2012年7月11日水曜日

序章から見参へ

秋の特別展看板設置

例年よりいち早く、看板を設置した
14日より「伊達ワールド」が開催されることから宣伝効果を狙う目的である
正門前の横看板、博物館ベランダへの横断幕

2012年7月8日日曜日

いやし博2012番組収録

南海放送によるいやし博2012の宣伝のための番組収録が宇和島市のコアイベントの各会場で行われた。伊達博物館でも「5つの日本一」を中心に秋の特別展のご案内を収録した。それから撮影クルーは天赦園に・・・ご案内役は宇和島藩伊達家13代御当主の宗信様

梅雨さなかの雨模様でカメラは完全防備

 

2012年7月1日日曜日

木村宗慎先生講演会

2012年6月29日(金)ひめぎんホールにて第55回四国地区小学校長教育研究大会愛媛大会、第49回愛媛県小中学校長会研究大会松山大会が開催された。伊達博物館協議会委員である木村宗慎先生の講演があることから、来賓として招かれた。700人の校長先生方の前で「茶は何をたてるのか -躾とおもてなし-」の演題で1時間15分、瞬く間に過ぎたような素晴らしい講演であった。

 

2012年6月30日土曜日

藤棚倒壊

伊達家と藤

伊達家の成り立ちはそもそも藤原の出
伊達朝宗を祖とする
藤原の姓にちなみ、宇和島藩伊達家は藤の花を大事にしている
この偕楽園も天赦園と同様に大事に育てている
その藤棚が大雨と藤の重さで28日倒壊した
お客さんなどに怪我がなく一安心
しかし、いやし博もあり、夏場の涼を求める意味でも早期修復をしたい


2012年6月27日水曜日

出前授業

宇和島歴史文化研究会の赤松副会長さんのご挨拶

この事業は宇和島歴史文化研究会の援助を受け、平成20年より開設している
のべ授業を受けた児童生徒の数は1,000人に達する

 

2012年6月21日木曜日

宇和島紀行その2

デジイチで動画を撮るカメラマン
これが南海放送の「宇和島紀行」の番組になる
日本でも珍しいカメラマンさんです


2012年6月16日土曜日

「意匠にみる勇と優美展」のための展示替え

展示替えは収納から

今まで展示していたものを収蔵庫に片付ける作業から始まる
道具類の移動は手箱によって行われる
扱いは難しく、手袋をしなければならないものとか、手袋をしてはいけないものなどに分けている

甲冑の展示


2012年6月5日火曜日

日本一

宇和島市立伊達博物館は全国でも珍しい館の運営である。建物、予算等は宇和島市が負担しているが、展示物のほとんどが、公益財団法人宇和島伊達文化保存会のもの。展示物については借用書は展示の度、勿論提出し、検品作業など経て展示、そして収納するが、無償である。これは行政と財団との深い信頼関係がなければ運営できない。
さて、この展示をする中でお客さんに誤解を生じていることが何点かある。

1 何時も同じ展示で面白くない。

これは明らかな間違いで、年間5回の展示替えを行っている。そのたびに出すものはテーマによって違う。開館以来初めて出すものもある。全て見ようと思ったら少なくとも10年は通わなくては見ることはできない。

2 国の重要文化財の太閤画像は何時も展示されていると勘違いされている方が多い。重要文化財の展示は規制がある。年間60日以内、傷みの激しいものについては30日を限度とし、場所は2カ所以内。

3 暗い博物館

これも文化庁の指導により、展示物ににより照度を変えねばならない。展示品の時代にもよるし、種類にもよるが、照度計で計測し、できる限りお客さんに満足がいくような照度で展示している。

4 本物

展示されているものにレプリカはない。全て時代を経た本物である。保存状態が良いのであまりのきれいさにどこで作ったのですかなどという質問もあるが、現在の技術では制作不可能なものも多いと聞いている。

このような展示の中で紹介したいことがある。公益財団法人伊達文化保存会の展示物の中に5つの日本一のものがあるということ。しかし、いつも見ることができるわけではない。


2012年5月27日日曜日

目黒山彩色地図

宇和島藩伊達家の古文書は新しい発見があり、面白い。公益財団法人宇和島伊達文化保存会では公開を原則として各方面からの問い合わせを受けている。博物館も協力体制を敷いているが、一番困るのは、突然の訪問者。すぐ来て、すぐに見えるものではなく、準備など在ることから一月前の連絡、研究目的をお願いしている。
その古文書の一部をお預かりしているため、捜す仕事もある。そのついでで、この地図が見つかった。我が館の学芸員は特別展でてんてこ舞いの状況・・・そこで松野町の研究員に丸投げすることにした。学芸員同士の交流の繋がり、これからの共同研究に拍車がかかることを祈念している。

学芸員達

地図は251×158で結構大きな物
寛文5年とある古文書を参考にすると吉田藩伊達家と宇和島藩伊達家の境界争いか


2012年5月21日月曜日

伊達の黒船 その2

不思議と最近、前原巧山につて調査される方が多い。「物づくり」に焦点が当てられているからかも知れない。世界で「物づくり」では日本の右に出るものはなかった。しかし、最近では遅れを取ることが多くなっていることは否めない。それで前原巧山なのだろうか?

前原巧山の調査研究に関しては巧山が残した自叙伝(明治6年)が基になっている。この記録は子孫の方が所蔵していたが、昭和13年伊達家からのぞまれて当時御殿町にあった伊達図書館に寄託した。(兵頭賢一館長、故人)それを写し、一冊を自分に一冊を前原家に残していた。ところが昭和20年7月の宇和島空襲で同館と共にこの本は焼失。前原家に残されていた「前原一代紀噺し」がその自叙伝として残った。

この本を基に研究が進められた。その第一人者は三好昌文もと松山大学教授である。先生の努力で復刻版として「前原巧山一代噺」 付 蒸気船天保録関係資料 1,500円(伊達博物館で販売)がある。残念なことは前にも書いたが、前原家にあった蒸気船の設計図は焼失してない。ただ、想像するのみである。

巧山はほかに「木綿織機」「砲台築造」「藍玉」「雷管づくり」「パン作り」も行っている。公益財団法人宇和島伊達文化保存会には長崎で修行したときに写した、これらの克明に書かれた製図が残っている。ミシンについてはこの写した設計図を基に復元されたものが坂の上の雲ミュージアムに展示されている。

今回は古文書の中から新しい発見を取り上げる。蒸気船の記録としては明治2年に大阪まで行った蒸気船(第2宇和島丸)が長さ9間、幅1丈、船の深さ3尺5寸とある。とすれば最初の船もこれと同じくらいであろうと推測される。この船と同じ大きさの船の設計図が公益財団法人伊達文化保存会の古文書の中から見つかった。「千年丸」という船である。伊達宗城は大村益次郎や高野長英を宇和島藩に招いて西洋の軍備を行った。蒸気船もその一貫として建造させた。蒸気機関は前原巧山(当時は嘉蔵)、造船をした者は不明である。この千年丸は時代は幕末としか分かっていないが、大きさなどぴったりと明治2年の第2宇和島丸と合っている。以上の点から千年丸に蒸気機関を乗せたと推測してもおかしくはない。

千年丸船形絵図包紙


千年丸側面図

文字は船の寸法が記入されている
残念ながら設計者、年代などの記載は無い


千年丸平面図

2012年5月17日木曜日

収納

いやし博春の特別展が終了し、展示物の一部を収納した。よく伊達博物館は市立だからとよく言われるが、展示物のほとんどは公益財団法人宇和島伊達文化保存会のものである。そのため展示の度に検品作業が必要となる。今回は展示ケース内での検品作業をお願いした。他にもあるけれど今回は「太閤画像」と「広蓋」と「伏見御殿屏風」の梱包の様子を取り上げる。

太閤より頂いた広蓋の梱包

400年以上前の蒔絵「菊散らし」の塗りに注意しながら薄葉紙で包む
細かい作業で学芸員が細心の注意を払って梱包する



2012年5月13日日曜日

いやし博2012春期特別展終了!

「 政宗と秀宗 -序章- 」が終了しました。5月4日には最近での一日の入館者、最高記録を更新しました。この序章を見られたお客様達は勿論のこと、見られていない方々にも是非、秋の特別展「 政宗見参! 」を見ていただきたいと思います。
親と子の絆、また仙台と宇和島の絆を再確認し、よりいっそう強いものにしたいものだと考えています。ご来館くださいましたお客様、支援していただいた方々に館員一同、深く感謝申し上げます。

2012年4月30日月曜日

伊達の黒船

何故か、今年は幕末ブームである。松山市坊ちゃん劇場では『幕末ガール』、西予市宇和町では『幕末の町医者~二宮敬作の生涯~』のミュージカルが開催される。

当時、宇和島藩伊達家も尊皇攘夷の嵐が吹きすさぶ中、高野長英、大村益次郎、イネ、二宮敬作等が活躍していた。その中でも嘉蔵(後の前原巧山)の物語は面白い。投稿の題は司馬遼太郎氏の著作「伊達の黒船」による。

先日、大阪読売新聞の取材を受けた。平成20年秋に天赦園で巧山(当時は嘉蔵といった)が日本人として始めて完成させた「火輪船」の模型(想像復元)を天赦園で試走させたことによる。



2012年4月29日日曜日

坂の上の雲ミュージアム開館5周年記念講演会

坂の上の雲ミュージアム正面玄関

坂の上の雲ミュージアム公式HP http://www.sakanouenokumomuseum.jp/

地下1階、地上4階建てのミュージアムは、建築家・安藤忠雄氏による設計のもと、平成16年12月22日着工、平成18年11月30日に竣工しました。松山城周辺の歴史や文化を意識して考えられた建物は、周囲の自然環境に配慮した外観と安藤氏がイメージする『坂の上の雲』を表現した空間となっています。


2012年4月26日木曜日

宇和島城大手門

伊達博物館前の天赦公園内に「いやし博2012」のメイン会場となる「伊達ワールド」が建設されている。道行く人たちは「なにができるんですら?」との質問が・・・公報を読んでいないか、徹底がされていないか。しかし、29日がこけら落としだからもう日が無い。

天赦公園内の伊達ワールド全景