2012年4月22日日曜日

宇和島紀行


第一回の放映となった宇和島城


南海放送で半年間(26回)宇和島紀行(愛媛銀行提供)というシリーズが放映される。
http://blog.rnb.co.jp/uwajimakikou/
文化・歴史・産業など、あらゆる分野での切り取り、非常に楽しみである。詳しくは南海放送のホームページを参照されたい。

2012年4月20日金曜日

テーマ

いやし博2012 伊達博物館春期展 「政宗と秀宗」 -序章-

第一展示室
このメインテーマの底には大きなテーマが隠されている。それは父と子の親子関係、絆と言っても良い。第一展示室の入ってすぐ横の固定ケースは「秀吉の伏見城」を表している。展示物は「伏見御殿屏風」「秀頼の和歌」(貴重なもの)「秀吉画像」(国の重要文化財)、秀吉拝領の広蓋(2つ)。つまり秀吉と秀頼の親子関係。


入って正面の固定ケースは「岩出山から仙台」を表している。政宗の金茶糸威五枚胴具足と秀宗の紫糸威二枚胴具足、そして昭和49年開館以来、初展示となる秀頼拝領の「白梵天」(組み立て済みのもの)、これも初展示となる、政宗書と言われている武将「木村重成」の絵画と説明の大きな軸3幅。ここは政宗と秀宗の親子関係。

向かい合わせの固定ケースで秀吉の人質となり、猶子となった秀宗と秀吉の親子関係。この3組の親子関係を示している。


第二展示室
父政宗が愛する庶子でありながら長男の秀宗に対する愛情を示す道具類、書簡が・・・代表的なものは、宇和島入府の折、付けてきた武将「伊達57騎」の展示。そして戒めの手紙「覚」、「浪費の戒」など。銘木「柴舟」、「茄子の茶入れ」、政宗や義母の愛姫からもらった「茶壺」など、見所は限りない。

第三展示室
仙台から伝えられたものを中心に展示。特に嫁入り道具など珍しいものがある。仙台藩、宇和島藩の共通な珍しい家紋、「雪に薄紋」、別名「雪輪紋」(女紋であろうか?)を使用している道具も展示している。

第四展示室
企画展で「松根東洋城」の軸を中心に、俳句誌「渋柿」創刊号などを展示。

2012年4月18日水曜日

春期特別展開会式

いやし博2012 宇和島市立伊達博物館春期特別展
「政宗と秀宗」 -序章- 開会行事

いやし博2012実行委員会よりの挨拶


2012年4月15日日曜日

いやし博2012 伊達博物館春期特別展始まる

14日、朝9時より開会式、テープカットが行われました。県実行委員会副事務局長、市長、伊達家13代御当主の挨拶、木村宗慎先生のご祝辞、大崎市長さんからの祝詞、南海放送社長様よりの祝電披露など有り、内覧会へ・・・参加者の方々、お客様、満足されて帰って行かれました。期間は5月13日(日)までとなっています。

残念ながら写真はスタッフが役割分担で開会式展に参加していたので後日掲載になります。報道関係も多く、秋期展を含め全国規模になりそうです。何度も告知しているように春期展は「秀吉と秀頼」「政宗と秀宗:「秀吉と秀宗」の親子の絆(父と子)をメインテーマにしています。

会場にはすでに秋期展のポスターも掲げ、予告をしています。この序章から秋期展「政宗見参!」まで充分楽しんでください。秋期展は仙台藩伊達家と宇和島藩伊達家(姉妹友好都市、仙台と宇和島)の繋がりがテーマです。

2012年4月13日金曜日

伝 伊達政宗所用「金茶糸威五枚胴具足」 の展示

伝 政宗所用 金茶糸威五枚胴具足

胴の周りを五枚の鉄板で防御する甲冑名、別名「雪ノ下胴」
伊達政宗は召し抱えた鎌倉雪ノ下久家の手による甲冑を愛用した

鎧櫃の上に設置された甲冑
組み立て時間2時間半
今回は東京より甲冑師寺本靖氏に来て頂き、指導を仰ぐ
背面は伊達家に伝わる日の丸の旗印


2012年4月11日水曜日

展示替えの舞台裏

今回の展示替えは「いやし博2012春の特別展-政宗と秀宗-」の展示品が多いことと「ひな人形展」の撤去収納と重なり、開館以来初めての大仕事となった。その様な訳で休館日を4日間とり、お客さんに大変ご迷惑をかけている。もう一つの大仕事、「宇和島紀行」の撮影も重なって館内はおおわらわである。



2012年3月29日木曜日

伊達57騎

伊達57騎解説
元和元年正月、宇和島藩主となる長男秀宗に対し父政宗は自分の家臣の内から57名を選んで秀宗付きの家臣とした。これを57騎という。
その後秀宗は病気を患ったため少し出発が遅れたが2月28日に出発することになった。この日、秀宗一行は父政宗を始めとする多くの者たちに見送られて京都をあとにした。本州では伊丹を通過し3月初旬、尼崎より船に乗り海路で伊予に向かった。3月16日に伊予国長浜(現在の大洲市長浜)に一行は到着する。それからは陸路を通り大洲を通過し、翌日には宇和で一泊し3月18日に宇和島に到着した。
政宗自ら選んだ57名の家臣たちは、この時秀宗と共に入府した者もいれば、後から来た者もいた。秀宗と共に大坂冬の陣に出陣した者、先祖代々伊達家に仕えてきた者、政宗の正室愛姫の実家田村家に代々仕えていた者など様々な由緒ある者たちで構成されており、宇和島では特別な家柄とされた。
中でも役職をもってその使命を受けたのが、家老としては志賀右衛門、侍大将としては櫻田玄蕃の二人である。
大坂冬の陣に参陣した者には、永沼民部、鴇田清九郎、小関宮内、今泉長三郎、櫻田久左衛門、和田源太夫、大原小左衛門などがいた。
尚、57騎ではないが現在和霊神社の祭神として祀られている山家清兵衛も政宗自らが秀宗付として選んだ家臣の一人であるが、秀宗より先に入府し、宇和島での出迎え役となった。                         
                                解説は志後野迫希世学芸員


宇和島市商店街に集結した伊達57騎
背中には名前の書かれた旗印が



2012年3月13日火曜日

高速道路開通

3月10日午後3時より宇和島道路が通れるようになり、松山、宇和島間が1時間10分で結ばれるようになった。機会があり、松山空港に行くと「南予いやし博2012」のイベント告知が・・・さてどのくらいの集客効果があるか未定である。一過性のものにしないためにも工夫がいる。

1階の受付カウンタ前の懸垂幕



2012年3月6日火曜日

臥龍梅

宇和島市庁舎の玄関前に梅の木が植えられている、標識には臥龍梅とある。説明板によると

臥龍梅

 この臥龍梅は昭和50年11月3日、仙台市と宇和島市の歴史姉妹都市提携調印を記念して仙台市から送られたものです。
 宇和島伊達家藩祖秀宗の父、政宗が文禄2年(1593)朝鮮半島から臥龍梅を持ち帰り、仙台城に植えた後、晩年の居城である若林城内(現宮城刑務所)に移植させたと伝えられています。
 また、若林城跡の臥龍梅(仙台市若林区古城)は朝鮮ウメの名で知られ昭和17年国の天然記念物に指定されています。
                                                平成13年宇和島市


2012年3月5日月曜日

いやし博2012準備大詰め

伊達博物館駐車場入り口

巡回バス乗り場でもある入り口には2枚の横看板が設定された
一枚は現在特別展開催中のひな人形展のもの
もう一枚は春の特別展「政宗と秀宗」のものである
特別展の看板は1月ほど前であるが、宣伝のため前倒しで飾った


2012年2月23日木曜日

政宗と秀宗

えひめ南予いやし博2012 春期特別展

政宗と秀宗

政宗の長男として生まれた兵五郎(秀宗)は伊達家長男でありながら仙台藩の跡取りにはならなかった。その理由は定かではないが、わずか4才で秀吉の人質になり、元服後、豊臣家の猶子となり「豊臣秀宗」を名乗った。関ヶ原の合戦後、家康の天下となり、人質として家康のもとに行く。政宗の長男でありながら仙台藩の跡目相続は許されなかった。側室の子だからという方もいるが、家康が豊臣の残党の蜂起を警戒したからだろうと推測される。そして井伊直政の娘、亀姫との縁組みも家康の命令として執り行われる。政宗は長男でありながら仙台藩を嗣ぐことができなかった秀宗を心配し、本多正純宛てに家康への面会を求める書状を送る。この政宗直筆の書面が平成22年に高知城下で見つかった。それにより大坂冬の陣に参陣するため京都二条城にいた家康と政宗の会談が実現した。その後、天領となっていた宇和島(10万石)を頂き、宇和島藩伊達家を立て、秀宗は元和元年(1615年)に宇和島入りする。
政宗は数奇な運命を辿った秀宗のことが心配でならなかったと思う。秀吉にしても、家康にしても政宗を恐れたに違いない。そのため秀宗を甘やかし、大事に預かった。そのため宇和島藩伊達家10万石の大名としての戒めを「覚え」として書いている。また、仙台藩伊達家に伝わる宝物を秀宗の就任祝いに送っている。今回の展示では、その送られたものを中心として展示する。また、自分の家臣の中でも選りすぐりの武将を付けている。山家清兵衛、志賀右衛門、桜田玄蕃などそうそうたる家臣団である。その名も伊達57騎。(詳しくは御歴代事記により展示する。)
  

政宗見参!

今回の特別展は春期と秋期の2回に分けて行うことにしている。春は宇和島藩伊達家に伝わる政宗、仙台藩関係の物を中心とした。秋は仙台よりお借りして仙台藩伊達家と宇和島伊達家の結びつきを中心に据えることにしている。姉妹都市である仙台市のご厚意、また瑞巌寺博物館のご厚意で今まで宮城県より外に出たことのない「政宗の鉄黒塗り五枚胴具足」(国の重要文化財)、瑞巌寺のふすま絵」(国の重要文化財)、政宗倚像(いぞう)などを展示する。

 

2012年2月16日木曜日

ひな人形展


 展示替えも予定通り終了し、本日より4月8日(日)までひな人形展が開催される。写真は7代宗紀公の正室観姫様の婚礼調度、享保雛である。独特の面長な顔に品があり、大名雛としての歴史的価値がある。個人蔵で博物館のひな展のために寄託していただいている。



2012年2月13日月曜日

大村益次郎住居跡火災

宇和島藩伊達家8代宗城の招きにより長州藩より来宇し、蘭学書などの解読、軍備などについて教授した村田蔵六(のちの大村益次郎)。2月10日午前中、与えられた住居跡に建てられていた民家が火災に遭い全焼した。問い合わせもあり、混乱しているので報告すると、宇和島市として指定してはいるが、当時の建物、面影はなく、ただこのあたりに住んでいたということしか分かっていない。同じく、彼の弟子となったイネ(楠本イネ)が住んでいた三角屋敷も近くにある。この住宅は伊達家との関係はなく、博物館ではお客様の要望のよりご案内するのみである。

なお、村田蔵六(大村益次郎)については、司馬遼太郎氏の「花神」、」NHK大河ドラマで詳しく述べられている。

2012年2月3日金曜日

雪の博物館

雪の朝

南国の雪はすぐ溶ける
裏庭の黒鉄黐の木と東洋城の石碑


2012年1月27日金曜日

宇和島城下街地図

現在、販売中の城下町地図は元禄の頃のものと安政から甲か頃にかけてのものとである。ほか県立図書館や市立図書館などにもあるが、この度、コピーされているものだが、個人の方がもっておられる資料が手に入った。年代は推測すると新田の様子から見ると弘化頃のものと思われる。

資料上でクリックすれば詳細が分かる

宇和島藩城下町図


宇和島藩城下町図(堀の内拡大図)



2012年1月22日日曜日

「いやし博2012」公式広報取材

松山市の企画会社「株式会社SPC」より依頼があり、20日博物館内で宇和島藩伊達家13代御当主伊達宗信様と実行委員会顧問の芳心会木村事務所の木村宗慎様の対談が行われる予定であった。当日、天気が回復したことから会場を急遽、天赦園春雨亭で行うことになった。Proの写真家、インタビュアーの方それぞれ打ち合わせ、そして撮影と対談。この記事は広報誌に掲載される。内容は「宇和島への思い」。御当主は東京生まれ、東京育ちだが、幼少の頃、たびたび宇和島に来られ、思いもひとしおであるようだ。また13代当主としての責任からも宇和島を愛する気持ちもお持ちだ。木村先生は宇和島生まれ、宇和島育ちで、現在京都を中心に世界でご活躍だが、原点は小学校時代から持ち続けている伊達文化。このお二人のコラボレーションはいやし博2012において大きな流れの一つとなるに違いない。

対談が行われた「春雨亭」


2012年1月20日金曜日

ひな人形とひな調度展

毎年恒例となっている「ひな人形とひな調度展」を今年も開催いたします。期間は特別展との兼ね合いもあり、2月16日(木)~4月8日(日)となっています。大宮庫吉氏寄贈の丸平大木人形店、五世大木平蔵作の7m50cmにわたる五段有職びなは大きさ、美しさともに日本有数のものであります。また、個人蔵として7代宗紀公の奥方、佐が鍋島藩からお輿入れされた「観姫」様の嫁入り道具の享保びなは歴史もあり、見事なできばえです。その他、伊達家に伝わるひな調度類も是非、ご覧になってください。

ひな人形とひな調度展ポスター


2012年1月19日木曜日

蔵開き

蔵開きとは
年の初めに、吉日を選んでその年初めて蔵を開くこと。また、その祝い。多く正月11日に行い、鏡餅を雑煮などにして食べた。江戸時代、大名が米蔵を開く儀式をしたのにはじまる。公益財団法人宇和島伊達文化保存会の「蔵開き」が17日10:30~開催された。博物館員5名と財団4名、宇和津彦神社宮司さんの祝詞によって、この一年の願いが成就するよう祈願され、無事終了した。

最近、蔵開きは酒蔵を除いて催されることは少なくなった。この珍しさもあり今年は宇和島ケーブルテレビが初めて取材に入った。

蔵開き神に捧げる供物



2012年1月17日火曜日

年間行事予定

博物館協議会は市の博物館設置条例にあるように本館においても設置している。人数は10名で博物館に対する運営とか内容など審議していただき、博物館経営に役立っている。そんな中で「特別展など10年先を見通した経過悪が必要ではないか」というご意見があった。まことにその通りで、他館にお願いする事についても早めに申し込まないと借りることができなくなる恐れがある。つまり、相手の立場を考えねばならないという理由。計画の前の年にはご挨拶に行く必要がある。いまから先、どんどん進めていかねばならない。

表上でクリックすれば詳細が分かります

2012年1月12日木曜日

博物館法改正

[]博物館法の一部改定(2012年4月1日)Add Star
本年8月26日に成立,8月30日に公布された「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」(平成23年法律第105号:内閣府の関連ページはこちら)により,博物館法が一部改定されます。
具体的には次の通り。
第二十一条  博物館協議会の委員は学校教育及び社会教育の関係者、家庭教育の向上に資する活動を行う者並びに学識経験のある者の中から、当該博物館を設置する地方公共団体教育委員会が任命する。
第二十二条  博物館協議会の設置、その委員の任命の基準、定数及び任期その他博物館協議会に関し必要な事項は、当該博物館を設置する地方公共団体の条例で定めなければならない。 この場合において、委員の任命の基準については、文部科学省令で定める基準を参酌するものとする。
なお,施行日は,附則第一条第二号により,「平成24年4月1日」となっています。
第22条に新たに規定されることとなる「文部科学省令で定める基準」は,10月6日から11月5日まで,博物館法施行規則の一部を改正する省令案としてパブリックコメントにかけられています。(12月16日追記:忘れていましたが、パブコメは終了し、結果も公表されています。2件の意見があったということです。ちなみに,博物館関係では公立博物館の設置及び運営上の望ましい基準の改正案についてもパブリックコメントがかけられていました。その結果についてはまだ公表されていないようですが,37件の意見があったことが,9月29日の中央教育審議会生涯学習分科会の議事録で触れられています)。
第十八条 法第二十二条の文部科学省令で定める参酌すべき基準は、学校教育及び社会教育の関係者、家庭教育の向上に資する活動を行う者並びに学識経験のある者の中から任命することとする。
情報処理の高度化等に対処するための刑法等の一部を改正する法律(平成23年6月24日法律第74号)により,博物館法が一部修正されています。同法附則第一条に「公布の日から起算して二十日を経過した日から施行する。」とあることから,7月14日から施行されたものです。
内容は同法附則第35条
(一般社団財団法人法等整備法の一部改正)
 第三十五条 一般社団・財団法人法等整備法の一部を次のように改正する。
  附則第二項及び第三項を削り、附則第一項の見出し及び項番号を削る。
によるものです。
すなわち博物館法の附則の中で「抄」を使うならば,「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律及び公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」(平成18年法律第五十号)による附則部分が
   附 則 (平成一八年六月二日法律第五〇号)
 (施行期日)
 この法律は、一般社団・財団法人法の施行の日から施行する。
となったわけです。もちろん
   附 則 (平成二三年六月二四日法律第七四号) 抄
(施行期日)
第一条  この法律は、公布の日から起算して二十日を経過した日から施行する。
が付け加わっています。

2012年1月1日日曜日

飛翔

飛翔

今年は宇和島市立伊達博物館にとって祈念すべき年となる
仙台藩伊達家の政宗関係の展示を中心に「いやし博2012」の特別展を行う

仙台より出たことがない「政宗の甲冑」(重要文化財)
また瑞巌寺所蔵の「政宗綺像」も始めて宇和島にくることが決定している

旧年中は大変お世話になりました 本年もよろしくお願いいたします

                                          平成24年元旦

                                宇和島市立伊達博物館 職員一同


                                                     3幅(龍2幅・福禄寿1幅)の内の左図   狩野常信筆

2011年12月29日木曜日

企画展「松根東洋城」

3年前より、常設展と併設で企画展を始めている。意外と知られていないが、今後、力を注いでいきたいと考えている。スタンスとしては「特別展」につぐものの位置づけである。

今回の企画展は「松根東洋城」である。俳人として有名であるが、書に表すことはあまりしなかったと聞いている。石碑も多く残っているが、今回展示されているものの内、北条鹿島の石碑の下書き、伊達博物館にある石碑の漢詩の軸など非常の珍しいものがある。また、東洋城の俳句結社「渋柿」の冊子も同時に展示している。


金剛山大隆寺にある松根東洋城の墓



2011年12月8日木曜日

2012年前期展

師走る12月となり、今年もあとわずかになりました。今年の後期展も12月25日で終了します。2012年の前期展は1月4日より開催します。そのための展示替え準備が着々となされています。展示替え期間は12月26日(月)~28日(水)となっています。

2012年前期展テーマ

伝える ~調度や書画類にみる伝える心~

2011年12月4日日曜日

出前授業・迎え授業

出前授業

平成20年度より始めた出前授業
仕掛け人は宇和島歴史文化研究会の現事務局長さん
子どもたちの歴史離れと博物館に来る機会が減っているのを憂えての新しい事業で
全面的に公益財団法人宇和島伊達文化保存会の協力の下行ってきている

特筆すべきは古文書等、すべて本物を展示していることである
他では類を見ないことである

最初の挨拶は宇和島歴史文化研究会の赤松副会長



2011年12月1日木曜日

瑞鳳殿

瑞鳳殿(ずいほうでん)は、仙台市都心部の南西、広瀬川の蛇行部に挟まれた経ケ峯にある伊達政宗を祀る霊廟。「経ケ峯歴史公園」内にあり、「経ヶ峯伊達家墓所」として仙台市指定史跡となっている


2011年11月28日月曜日

仙台市博物館

仙台市博物館

仙台市都心部西側にある仙台市立の博物館
江戸時代に仙台城三の丸として使用されていた地にあり、現在は青葉山公園の一部

約束の9時に訪れると、副館長さんの出迎えを受け恐縮する
来年度の特別展にお借りするお礼のご挨拶と大震災のお見舞いをかねての訪問
皆様方の歓迎に感謝を申し上げます

昨年のニューリアル開館から一年・・・3月11日未曾有の大震災を受けた殿堂
耐震の設計とLED照明化した館内は幸い大きな被害は無かったとのこと
しかし、再開館までは安全など考慮し、2ヶ月以上掛かったとか
館長さんを始め、館員の皆様方の努力と実践に対して敬意を表します


2011年11月27日日曜日

瑞巌寺

来年度秋の特別展でお借りするため瑞巌寺へご挨拶に参りました。11月20日だったのですが、紅葉は真っ盛りで非常に心癒やされました。例年に比べ2週間遅いとか。

参道と表門

遙か彼方に見えるのが表門
津波はここまで押し寄せてきたとか
津波というより高潮のように水がじわじわと押し寄せてきた感じだったとか
樹齢400年以上の杉並木


 臨済宗瑞巌寺
江戸時代に入って伊達政宗が禅僧虎哉宗乙の勧めで円福寺復興を思い立ち、慶長9年(1604年)から14年(1609年)までの工事で完成させた。今に伝わる桃山様式の本堂などの国宝建築はこの時のものである。このとき寺の名を改めて「松島青龍山瑞巌円福禅寺」と称した。一時住持が不在だったが、寛永13年(1636年)に雲居が入り、伊達氏の保護もあって隆盛をきわめた。この際、それまで瑞巌寺とは別個に存在した五大堂が、瑞巌寺の管理下に入った。政宗の隠し砦という説もある。

2011年11月24日木曜日

予告!

「愛媛南予いやし博2012」
愛媛県宇和島圏域観光振興イベント

平成24年4月14日(土)~5月13日(日)春期展
政宗と秀宗 序章

平成24年9月7日(金)~10月8日(月)秋期展
政宗参上! -仙台藩伊達家と宇和島藩伊達家-

2011年11月19日土曜日

頑張ろう東北!

昨日、商工会議所青年部の方から突然の電話
「明日、福島県の中学生30名ほどがお伺いしたいのですが・・・」

ここ数日、東北からの依頼が続いている
20日には姉妹都市大崎市より臥龍梅の寄贈のため市職員が・・・
23日には仙台市富沢遺跡保存館の団体の方たちが・・・

反対に宇和島より21、22日には御当主と共に仙台藩伊達家、仙台市博物館、瑞巌寺、瑞鳳殿にご挨拶に行きます。このようなときには、やはり、宇和島のルーツは東北地方という感じがします。

福島三中の生徒たち
案内は当館学芸員、オレンジのジャンパーが商工会議所青年部の方たち


2011年11月16日水曜日

現地説明会

秋晴れの11月13日(日)宇和島城で式部丸跡発掘調査の現地説明会が開催された。10時からと13時半から2回行われたが、興味もあり参加させていただいた。文化課の職員の方々は前日より準備され、大変であったと思われる。この式部丸は山崎式部(秀宗の時代)の住居跡と言われ、この上部の代右衛門丸とともに現在調査中とのことである。(代右衛門丸は一昨年現地説明会があった)

上り立ち門から上がり、右手(これが普通の登城経路)虎の口。非常に狭く左手の石垣が崩れかけで現在、修復調査中とのこと。普通は立ち入り禁止である。


2011年11月11日金曜日

妙長山法圓寺

山門

お通り橋からまっすぐ進むと山門に至る
この寺が伊達家の菩提寺と言うことはあまり知られていない

秋晴れのある日、ボランティアの方々が清掃することを聞いて、お寺を訪問した
お寺では老朽化した山門の補強工事中であった


2011年11月10日木曜日

楠本イネ

 楠本イネは、幕末に日本に来ていたシーボルトの娘である。彼女は波乱の生涯を送った幕末の女性として名高い。また日本で最初の産婦人科の医者として有名である。イネは、シーボルト門下の宇和島藩二宮敬作から医学の基礎を学び、石井宗謙から産科を学び、宇和島藩伊達家に招かれていた村田蔵六(後の大村益次郎)からはオランダ語を学んだ。宇和島では大村益次郎(村田蔵六)宅とは、神田川を挟んで、近くに住んでいた。

神田川にかかる御通橋

この橋名は歴代の御当主が法圓寺へ墓参の時に通った由来からである。

東温市にある坊ちゃん劇場ミュージカル、来年度はイネの生涯を描いた「幕末ガール」

2011年11月10日愛媛新聞によると、西予市ではイネの先生である二宮敬作の生涯を大河ドラマ化するため、誘致を打ち出したそうである。

2011年11月4日金曜日

天赦園が面白い

菊薫る秋の天赦園

7代藩主宗紀が築いた天赦園、次々と新しい試みがなされている
春は2ヶ月にわたって茶会が開催された
伊達博物館特別展協賛の「手に触れる鑑賞会」「集まれDATEキッズ!」も行われ、定着してきた
そして今、菊花展
懸崖菊はまだ先だが、大輪は見事に咲いている
個人の方が丹精込めて育てられたものを入園者に見てもらおうと企画している

写真は潜淵館右手


2011年11月2日水曜日

紅ミュージアム

素晴らしい出会い、素晴らしい企画、素晴らしい技術

出会いは3年前、公益財団法人宇和島伊達文化保存会評議員の山中先生の紹介だった。香道具に興味がおありとかで博物館を訪れていただいた。それが、伊達家に伝わる「十種香箱」の復元制作プロジェクトに繋がっていく過程は必然であろうか。このプロジェクトに携わった方々、紅ミュージアムの学芸員はじめ皆様方に深い敬意と企画展の成功をお祝い申し上げます。

このミュージアムは年間通しての常設展と企画展を行っている。常設展は商品としての「紅」を中心としたもの。企画展は日本人の歴史的な技術を中心に据え見応えのあるものを毎回、展示している。下記のものは紅ミュージアムのホームページより抜粋した案内である。

伊勢半本店 紅ミュージアムは、紅の歴史と文化、そして江戸から続く紅屋である当社が、創業時から今日まで守り続けている紅作りの「技」を伝えるためのミュージアムです。
かつては、「紅」といえば紅花から作られる口紅のことを指しました。しかし、女性の唇を優しく彩ってきた赤色は、時代の変化や紅屋の衰退とともに失われつつあります。当社は江戸時代から続く最後の紅屋として、これから先の世にも紅の文化と技を途切れることなく繋げていくことを願い、紅ミュージアムを設立しました。
当館は、紅の歴史的背景や諸相を紹介する資料室と、紅の色彩的な魅力を体験していただくサロンとによる2つのゾーンから構成されています。紅を見て、紅に触れ、紅を知る―。日本人の生活を豊かに彩ってきた美麗な赤を堪能する空間、それが紅ミュージアムです。


2011年11月1日火曜日

館長室天井修理

天井張り替え
大雨で雨漏りがひどく、屋根の修理を行っているが、それに伴い天井のクロスを張り替えた。


2011年10月24日月曜日

秋の茶会

「ちゃかぽん」は井伊直弼のあだ名。14男の直弼が井伊家の跡取りになり、大老になって国を動かすようになる前、武道は勿論のことながら日柄一日(茶・歌・鼓)三昧に明け暮れた日々であったことから家臣たちの陰口。その中でも茶道は石州流で非常に熱心であった。

このように武士の中では趣味としてだけでなく、交流の場としてとして、お茶は切っても切れないものであった。武家茶道には御家流(家康)・鎮真流・織部流 ・小堀遠州流・有楽流などがあります。宇和島藩伊達家は代々「平戸藩松浦鎮真」が始めたと言われる「鎮真流」です。その秋の茶会が金剛山大隆寺であり、訪れました。

伊達家の菩提寺金剛山大隆寺より城を望む
同じく菩提寺の龍華山等覚寺からも城が見える


2011年10月22日土曜日

雨漏り

伊達博物館は平成11年に大規模改修を行っている。そのとき手つかずだったのが館長室である。つまり昭和49年来の様相である。しかし、年月には勝てず、雨漏りがひどくなってきた。そこで今回、補修となった。早くしたかったのであるが、特別展中でもあり、終了を待ってのこととなった。

外から見た館長室


2011年10月18日火曜日

特別展「縁(えにし)」終了

10月11日よりお借りしていた品物の梱包作業を行った
約一月間であったが、職員は気を遣うことが多く、大変な特別展であった
収穫は他館との交流で、いろんな点での勉強になったこと

旗印の梱包作業
梱包は日通美専車の方々


2011年10月14日金曜日

番外「美沼劇場」

伊達博物館秋の特別展「縁(えにし)」に協力して頂き、9月8日(土)14:00~と19:00~の昼夜2回映画「桜田門外ノ変」を上演していただいた。館長さんを始め、協力していただいた方々にお礼申し上げます。
上演に当たり、映画の見所について5分程度、話をしてもらえないかという依頼を受け、コスモスホールに出かけた。予想を遙かに超える観客の皆さんで一安心した。そのときの挨拶文を掲載する。

【 桜田門外の変案内 】
伊達博物館秋の特別展に協力していただく形で「桜田門外ノ変」上映していただくことになりました。安岡館長さんを始めご尽力いただいた方々にこの場をお借りして深くお礼を申し上げます。
一身に
  責負いまして
      立ちましし
    大老ありてこそ
        開港はなりぬ   井伊文子
琉球王尚家の御子孫で16代彦根藩主井伊直愛(なおよし)に嫁がれた文子様の和歌です。
井伊大老の決断によって今の日本があるという和歌で彦根城内の庭園、玄宮園に石碑があります。歴史において人を描くとき、見方により良きにもなり、悪しきにもなります。この桜田門外ノ変は水戸藩士の目線で描いたもので宇和島大好き人間として知られた作家吉村昭の原作です。映画化するため2億5千万円かけ水戸市内に桜田門を復元しました。
 3月3日大雪の朝、桜田門外ノ変が起こります。このとき井伊大老が駕籠の中で敷いていた敷物と大老を守った侍の刀が現在、伊達博物館特別展で展示中でございます。
 内容は映画を見てのお楽しみと言うことで、最後の場面に注目していただきたいと思います。倒幕のため江戸に進軍した官軍、東征大総督有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう)を後ろに先頭を切って、馬上進むのは西郷隆盛と宇和島藩伊達家の林玖十郎です。史実では白毛のかむりと言うことですが、この映画では竹に雀の宇和島笹の陣笠をかぶっています。
 そしてエンディングになります。アランの「悲しみは雪に眠る」が静かに流れます。この場面、お見逃し無く楽しんでください。

2011年10月12日水曜日

茶花

千利休によって確立された茶道は現在まで、いろんな流派によって受け継がれている。博物館も茶道具を展示することが多く、研究しなければならない。茶道の先生に教えていただく機会があり、茶花について面白い話をお聞きした。

茶道家は足腰を鍛えねばならないというもの。つまり床の間に生ける茶花を山野で見つけなければならないというもの。ただ、飾っておくだけではいけないようだ。

茶花については次の項を参考にされたい。

茶花(ちゃばな) とは、茶室に生ける花を云いますが、茶室にも草庵、書院、広間の別があって、これらの各室に生けられた花を茶花と称しますが、普通茶花と云えば草庵式の茶室に生けられた花をいいます。
茶室においては、掛物と花を同時に飾らないのが正式で、両方一緒に飾るのを「双飾り(もろかざり)」といい略式の扱いで、掛物が長い場合は花入は床柱の釘に掛け、横物の場合には花入は下に置きます。
花の入れ方としては、『南方録』に利休の言葉として「花は野にあるやうに」、「小座敷の花は、かならず一色を一枝か二枝、かろくいけたるがよし。勿論、花によりてふわふわといけたるもよけれど、本意は景気をのみ好む心いや也。四畳半にも成りては、花により二色もゆるすべしとぞ。」とあるように「一種二枝」というぎりぎりまで絞り込んだ花を、作為的なものを排しながらも、人手を加えることにより、「花入に入れた花としての自然」を生み、そこに野に咲く花の本質を表現することにより、かえって自然の花の美しさを際立たせるのを本意とします。

天赦園で開催された茶会(手に触れる鑑賞会)


2011年10月11日火曜日

手に触れる鑑賞会

秋の特別展恒例となった「手に触れる鑑賞会」が今年も天赦園で開催された。
特別展と関連がある大名家や品物を展示するのは勿論のことながら身近に見ることができ触れ、鑑賞できることはすばらしい。
お茶の世界を身近に感じることができ、評価は高く、今年も定員以上の方々に楽しんでいただいた。


天赦園「潜淵館」の床の間


2011年10月4日火曜日

ひこにゃんイベント

伊達博物館特別展「縁(えにし)」のため特別参加してもらった
日本一のゆるキャラ「ひこにゃん」
朝一番に来られた方は広島から
ひこにゃんの追っかけは日本中至る所にいるとか
天衝脇立もりりしく、招き猫とは思えないりりしさである



宇和島城ご案内

定刻9:00に桑折家(宇和島藩家老)長屋門前で待っていた廣瀬学芸員
宇和島城に関しての説明は彼に勝るものは居ない
名刺交換後、御案内に出発する



天赦園ご案内

到着後、慌ただしかったが、時間調整のため天赦園をご案内することとなった

国指定名勝「天赦園」

回遊式庭園で7代宗紀公が7年の歳月を費やして築く
借景は宇和島の後ろにそびえる鬼ヶ城


井伊直岳様を迎えて



宇和島城(別名「鶴島城」)

予定ではゆっくりしていただくはずだったのですが、慌ただしい日程になり、恐縮しました。笑顔を絶やさず、心配りをしていただいたことに感謝いたします。これからも宇和島藩伊達家とのご親戚付き合いは勿論のこと、博物館同士でも協力できることを祈念致します。

日程
10月1日(土) 13:43 JR宇和島駅お迎え
14:00 天赦園ご案内

15:00 竜華山等覚寺秀宗墓所参拝
16:00 金剛山大隆寺亀姫墓所参拝
本堂にて亀姫位牌参拝
18:00 宇和島市・伊達文化保存会による歓迎会
10月2日(日)  9:00 宇和島城ご案内
10:50 伊達博物館ご案内
11:30 天赦園にてひこにゃんイベント参加
12:00 「さがの」にて昼食
13:10 「きさいや広場」ご案内
13:55 JR宇和島駅より彦根市役所職員とともに彦根へ 

2011年10月3日月曜日

井伊家御当主直岳様来宇!

伊達博物館秋の特別展「縁(えにし)」にあわせ、彦根藩井伊家18代当主井伊直岳様をお招きしました。宇和島藩抱けてとのつながりは、初代直政公の娘亀姫様が秀宗に嫁いだことによるものです。宇和島城が見える竜華山等覚寺の秀宗の墓にお参りされる直岳様


2011年9月29日木曜日

天赦園 秋

特別展で忙しい中、打ち合わせがあり天赦園を訪れた
1,2日はひこにゃんのイベントのため多くの子どもたちが来園する
担当の方たちの苦労
お茶会やひこにゃんのイベントが成功するよう芝刈りや選定、庭園整備をされている


天赦園から宇和島城

天赦園は7代宗紀公が7年の歳月を費やし構築した回遊式庭園
隠居した後もこの天赦園で書三昧で養子宗城、我が子宗徳の相談役として活躍した
我が国唯一の百歳大名


2011年9月25日日曜日

伊達家墓所清掃

縁(えにし)

9月22日17:30宇和島市野川の金剛山大隆寺と龍華山等覚寺に多くの人が集まった。
総勢160人とか(9月25日愛媛新聞より)
この集まりの企画者は宇和島市「無名会」の方々
宇和島のため何かをしようという会の趣旨に沿って定期的に伊達家の墓所の清掃を行っている
ほかの活動もされているが略する
この場所は金剛山大隆寺山門前で、主に南予庁舎の方々と市民の有志の方々

2011年9月24日土曜日

特別展記念イベント


ひこにゃん来宇!

日本一のゆるキャラ「ひこにゃん」が宇和島市天赦園に来ます
伊達博物館秋の特別展記念イベントとして出陣します
時間設定がありますので、この時間以外では見ることができません
他の時間帯ではほかの場所で出陣するのです

期日:平成23年10月2日(日)
場所:天赦園芝生広場
出陣時間:第一回 10:00~10:25
第2回 11:30~11:55

南予地方のゆるキャラクターも集合します

なんにゃんちゃん、もーに-くん、もーにーちゃん、にゃんよ

イベント時間は10:00~12:00です
なお、駐車場は天赦公園か博物館横の市営駐車場をご利用ください

写真は彦根城広場に出陣した「ひこにゃん」