2012年7月16日月曜日

伊達ワールド夏の陣

伊達ワールド大手門

春の陣に続いて、夏の陣が7月14日(土)~8月26日(日)まで始まった。
伊達博物館もこの間は休館日無しで運営する。
大きく変わった点としては、
「位置」「出店が増えたこと」「夏の暑さ対策」「パネル案内が親切」になったこと。
14日はあいにくの雨でお客さんは少なかった。
梅雨の晴れ間の15日は朝から盛況で博物館への流れも多かった。

2012年7月11日水曜日

序章から見参へ

秋の特別展看板設置

例年よりいち早く、看板を設置した
14日より「伊達ワールド」が開催されることから宣伝効果を狙う目的である
正門前の横看板、博物館ベランダへの横断幕

2012年7月8日日曜日

いやし博2012番組収録

南海放送によるいやし博2012の宣伝のための番組収録が宇和島市のコアイベントの各会場で行われた。伊達博物館でも「5つの日本一」を中心に秋の特別展のご案内を収録した。それから撮影クルーは天赦園に・・・ご案内役は宇和島藩伊達家13代御当主の宗信様

梅雨さなかの雨模様でカメラは完全防備

 

2012年7月1日日曜日

木村宗慎先生講演会

2012年6月29日(金)ひめぎんホールにて第55回四国地区小学校長教育研究大会愛媛大会、第49回愛媛県小中学校長会研究大会松山大会が開催された。伊達博物館協議会委員である木村宗慎先生の講演があることから、来賓として招かれた。700人の校長先生方の前で「茶は何をたてるのか -躾とおもてなし-」の演題で1時間15分、瞬く間に過ぎたような素晴らしい講演であった。

 

2012年6月30日土曜日

藤棚倒壊

伊達家と藤

伊達家の成り立ちはそもそも藤原の出
伊達朝宗を祖とする
藤原の姓にちなみ、宇和島藩伊達家は藤の花を大事にしている
この偕楽園も天赦園と同様に大事に育てている
その藤棚が大雨と藤の重さで28日倒壊した
お客さんなどに怪我がなく一安心
しかし、いやし博もあり、夏場の涼を求める意味でも早期修復をしたい


2012年6月27日水曜日

出前授業

宇和島歴史文化研究会の赤松副会長さんのご挨拶

この事業は宇和島歴史文化研究会の援助を受け、平成20年より開設している
のべ授業を受けた児童生徒の数は1,000人に達する

 

2012年6月21日木曜日

宇和島紀行その2

デジイチで動画を撮るカメラマン
これが南海放送の「宇和島紀行」の番組になる
日本でも珍しいカメラマンさんです


2012年6月16日土曜日

「意匠にみる勇と優美展」のための展示替え

展示替えは収納から

今まで展示していたものを収蔵庫に片付ける作業から始まる
道具類の移動は手箱によって行われる
扱いは難しく、手袋をしなければならないものとか、手袋をしてはいけないものなどに分けている

甲冑の展示


2012年6月5日火曜日

日本一

宇和島市立伊達博物館は全国でも珍しい館の運営である。建物、予算等は宇和島市が負担しているが、展示物のほとんどが、公益財団法人宇和島伊達文化保存会のもの。展示物については借用書は展示の度、勿論提出し、検品作業など経て展示、そして収納するが、無償である。これは行政と財団との深い信頼関係がなければ運営できない。
さて、この展示をする中でお客さんに誤解を生じていることが何点かある。

1 何時も同じ展示で面白くない。

これは明らかな間違いで、年間5回の展示替えを行っている。そのたびに出すものはテーマによって違う。開館以来初めて出すものもある。全て見ようと思ったら少なくとも10年は通わなくては見ることはできない。

2 国の重要文化財の太閤画像は何時も展示されていると勘違いされている方が多い。重要文化財の展示は規制がある。年間60日以内、傷みの激しいものについては30日を限度とし、場所は2カ所以内。

3 暗い博物館

これも文化庁の指導により、展示物ににより照度を変えねばならない。展示品の時代にもよるし、種類にもよるが、照度計で計測し、できる限りお客さんに満足がいくような照度で展示している。

4 本物

展示されているものにレプリカはない。全て時代を経た本物である。保存状態が良いのであまりのきれいさにどこで作ったのですかなどという質問もあるが、現在の技術では制作不可能なものも多いと聞いている。

このような展示の中で紹介したいことがある。公益財団法人伊達文化保存会の展示物の中に5つの日本一のものがあるということ。しかし、いつも見ることができるわけではない。


2012年5月27日日曜日

目黒山彩色地図

宇和島藩伊達家の古文書は新しい発見があり、面白い。公益財団法人宇和島伊達文化保存会では公開を原則として各方面からの問い合わせを受けている。博物館も協力体制を敷いているが、一番困るのは、突然の訪問者。すぐ来て、すぐに見えるものではなく、準備など在ることから一月前の連絡、研究目的をお願いしている。
その古文書の一部をお預かりしているため、捜す仕事もある。そのついでで、この地図が見つかった。我が館の学芸員は特別展でてんてこ舞いの状況・・・そこで松野町の研究員に丸投げすることにした。学芸員同士の交流の繋がり、これからの共同研究に拍車がかかることを祈念している。

学芸員達

地図は251×158で結構大きな物
寛文5年とある古文書を参考にすると吉田藩伊達家と宇和島藩伊達家の境界争いか


2012年5月21日月曜日

伊達の黒船 その2

不思議と最近、前原巧山につて調査される方が多い。「物づくり」に焦点が当てられているからかも知れない。世界で「物づくり」では日本の右に出るものはなかった。しかし、最近では遅れを取ることが多くなっていることは否めない。それで前原巧山なのだろうか?

前原巧山の調査研究に関しては巧山が残した自叙伝(明治6年)が基になっている。この記録は子孫の方が所蔵していたが、昭和13年伊達家からのぞまれて当時御殿町にあった伊達図書館に寄託した。(兵頭賢一館長、故人)それを写し、一冊を自分に一冊を前原家に残していた。ところが昭和20年7月の宇和島空襲で同館と共にこの本は焼失。前原家に残されていた「前原一代紀噺し」がその自叙伝として残った。

この本を基に研究が進められた。その第一人者は三好昌文もと松山大学教授である。先生の努力で復刻版として「前原巧山一代噺」 付 蒸気船天保録関係資料 1,500円(伊達博物館で販売)がある。残念なことは前にも書いたが、前原家にあった蒸気船の設計図は焼失してない。ただ、想像するのみである。

巧山はほかに「木綿織機」「砲台築造」「藍玉」「雷管づくり」「パン作り」も行っている。公益財団法人宇和島伊達文化保存会には長崎で修行したときに写した、これらの克明に書かれた製図が残っている。ミシンについてはこの写した設計図を基に復元されたものが坂の上の雲ミュージアムに展示されている。

今回は古文書の中から新しい発見を取り上げる。蒸気船の記録としては明治2年に大阪まで行った蒸気船(第2宇和島丸)が長さ9間、幅1丈、船の深さ3尺5寸とある。とすれば最初の船もこれと同じくらいであろうと推測される。この船と同じ大きさの船の設計図が公益財団法人伊達文化保存会の古文書の中から見つかった。「千年丸」という船である。伊達宗城は大村益次郎や高野長英を宇和島藩に招いて西洋の軍備を行った。蒸気船もその一貫として建造させた。蒸気機関は前原巧山(当時は嘉蔵)、造船をした者は不明である。この千年丸は時代は幕末としか分かっていないが、大きさなどぴったりと明治2年の第2宇和島丸と合っている。以上の点から千年丸に蒸気機関を乗せたと推測してもおかしくはない。

千年丸船形絵図包紙


千年丸側面図

文字は船の寸法が記入されている
残念ながら設計者、年代などの記載は無い


千年丸平面図

2012年5月17日木曜日

収納

いやし博春の特別展が終了し、展示物の一部を収納した。よく伊達博物館は市立だからとよく言われるが、展示物のほとんどは公益財団法人宇和島伊達文化保存会のものである。そのため展示の度に検品作業が必要となる。今回は展示ケース内での検品作業をお願いした。他にもあるけれど今回は「太閤画像」と「広蓋」と「伏見御殿屏風」の梱包の様子を取り上げる。

太閤より頂いた広蓋の梱包

400年以上前の蒔絵「菊散らし」の塗りに注意しながら薄葉紙で包む
細かい作業で学芸員が細心の注意を払って梱包する



2012年5月13日日曜日

いやし博2012春期特別展終了!

「 政宗と秀宗 -序章- 」が終了しました。5月4日には最近での一日の入館者、最高記録を更新しました。この序章を見られたお客様達は勿論のこと、見られていない方々にも是非、秋の特別展「 政宗見参! 」を見ていただきたいと思います。
親と子の絆、また仙台と宇和島の絆を再確認し、よりいっそう強いものにしたいものだと考えています。ご来館くださいましたお客様、支援していただいた方々に館員一同、深く感謝申し上げます。

2012年4月30日月曜日

伊達の黒船

何故か、今年は幕末ブームである。松山市坊ちゃん劇場では『幕末ガール』、西予市宇和町では『幕末の町医者~二宮敬作の生涯~』のミュージカルが開催される。

当時、宇和島藩伊達家も尊皇攘夷の嵐が吹きすさぶ中、高野長英、大村益次郎、イネ、二宮敬作等が活躍していた。その中でも嘉蔵(後の前原巧山)の物語は面白い。投稿の題は司馬遼太郎氏の著作「伊達の黒船」による。

先日、大阪読売新聞の取材を受けた。平成20年秋に天赦園で巧山(当時は嘉蔵といった)が日本人として始めて完成させた「火輪船」の模型(想像復元)を天赦園で試走させたことによる。



2012年4月29日日曜日

坂の上の雲ミュージアム開館5周年記念講演会

坂の上の雲ミュージアム正面玄関

坂の上の雲ミュージアム公式HP http://www.sakanouenokumomuseum.jp/

地下1階、地上4階建てのミュージアムは、建築家・安藤忠雄氏による設計のもと、平成16年12月22日着工、平成18年11月30日に竣工しました。松山城周辺の歴史や文化を意識して考えられた建物は、周囲の自然環境に配慮した外観と安藤氏がイメージする『坂の上の雲』を表現した空間となっています。


2012年4月26日木曜日

宇和島城大手門

伊達博物館前の天赦公園内に「いやし博2012」のメイン会場となる「伊達ワールド」が建設されている。道行く人たちは「なにができるんですら?」との質問が・・・公報を読んでいないか、徹底がされていないか。しかし、29日がこけら落としだからもう日が無い。

天赦公園内の伊達ワールド全景


2012年4月23日月曜日

中村時広知事来館

4月22日10時、いやし博2012野出陣式がいやし博交流センター前で開催された。伊達博物館ではコアイベントの一つとなっている「政宗と秀宗 -序章-」が14日よりすでに開催中である。この日は中村愛媛県知事も来宇され、博物館に来られるとのこと。時間は13時の観覧と聞いている。伊達宗信様をはじめ、館員たちでお迎えする。歴史がお好きなようで、説明した上田学芸員とのやりとりも非常にスムーズに行われた。

熱心に学芸員の説明に聞き入る中村知事
日の丸の旗印前の政宗公甲冑
茶金糸威五枚胴具足
  
 
 

2012年4月22日日曜日

宇和島紀行


第一回の放映となった宇和島城


南海放送で半年間(26回)宇和島紀行(愛媛銀行提供)というシリーズが放映される。
http://blog.rnb.co.jp/uwajimakikou/
文化・歴史・産業など、あらゆる分野での切り取り、非常に楽しみである。詳しくは南海放送のホームページを参照されたい。

2012年4月20日金曜日

テーマ

いやし博2012 伊達博物館春期展 「政宗と秀宗」 -序章-

第一展示室
このメインテーマの底には大きなテーマが隠されている。それは父と子の親子関係、絆と言っても良い。第一展示室の入ってすぐ横の固定ケースは「秀吉の伏見城」を表している。展示物は「伏見御殿屏風」「秀頼の和歌」(貴重なもの)「秀吉画像」(国の重要文化財)、秀吉拝領の広蓋(2つ)。つまり秀吉と秀頼の親子関係。


入って正面の固定ケースは「岩出山から仙台」を表している。政宗の金茶糸威五枚胴具足と秀宗の紫糸威二枚胴具足、そして昭和49年開館以来、初展示となる秀頼拝領の「白梵天」(組み立て済みのもの)、これも初展示となる、政宗書と言われている武将「木村重成」の絵画と説明の大きな軸3幅。ここは政宗と秀宗の親子関係。

向かい合わせの固定ケースで秀吉の人質となり、猶子となった秀宗と秀吉の親子関係。この3組の親子関係を示している。


第二展示室
父政宗が愛する庶子でありながら長男の秀宗に対する愛情を示す道具類、書簡が・・・代表的なものは、宇和島入府の折、付けてきた武将「伊達57騎」の展示。そして戒めの手紙「覚」、「浪費の戒」など。銘木「柴舟」、「茄子の茶入れ」、政宗や義母の愛姫からもらった「茶壺」など、見所は限りない。

第三展示室
仙台から伝えられたものを中心に展示。特に嫁入り道具など珍しいものがある。仙台藩、宇和島藩の共通な珍しい家紋、「雪に薄紋」、別名「雪輪紋」(女紋であろうか?)を使用している道具も展示している。

第四展示室
企画展で「松根東洋城」の軸を中心に、俳句誌「渋柿」創刊号などを展示。

2012年4月18日水曜日

春期特別展開会式

いやし博2012 宇和島市立伊達博物館春期特別展
「政宗と秀宗」 -序章- 開会行事

いやし博2012実行委員会よりの挨拶


2012年4月15日日曜日

いやし博2012 伊達博物館春期特別展始まる

14日、朝9時より開会式、テープカットが行われました。県実行委員会副事務局長、市長、伊達家13代御当主の挨拶、木村宗慎先生のご祝辞、大崎市長さんからの祝詞、南海放送社長様よりの祝電披露など有り、内覧会へ・・・参加者の方々、お客様、満足されて帰って行かれました。期間は5月13日(日)までとなっています。

残念ながら写真はスタッフが役割分担で開会式展に参加していたので後日掲載になります。報道関係も多く、秋期展を含め全国規模になりそうです。何度も告知しているように春期展は「秀吉と秀頼」「政宗と秀宗:「秀吉と秀宗」の親子の絆(父と子)をメインテーマにしています。

会場にはすでに秋期展のポスターも掲げ、予告をしています。この序章から秋期展「政宗見参!」まで充分楽しんでください。秋期展は仙台藩伊達家と宇和島藩伊達家(姉妹友好都市、仙台と宇和島)の繋がりがテーマです。

2012年4月13日金曜日

伝 伊達政宗所用「金茶糸威五枚胴具足」 の展示

伝 政宗所用 金茶糸威五枚胴具足

胴の周りを五枚の鉄板で防御する甲冑名、別名「雪ノ下胴」
伊達政宗は召し抱えた鎌倉雪ノ下久家の手による甲冑を愛用した

鎧櫃の上に設置された甲冑
組み立て時間2時間半
今回は東京より甲冑師寺本靖氏に来て頂き、指導を仰ぐ
背面は伊達家に伝わる日の丸の旗印


2012年4月11日水曜日

展示替えの舞台裏

今回の展示替えは「いやし博2012春の特別展-政宗と秀宗-」の展示品が多いことと「ひな人形展」の撤去収納と重なり、開館以来初めての大仕事となった。その様な訳で休館日を4日間とり、お客さんに大変ご迷惑をかけている。もう一つの大仕事、「宇和島紀行」の撮影も重なって館内はおおわらわである。



2012年3月29日木曜日

伊達57騎

伊達57騎解説
元和元年正月、宇和島藩主となる長男秀宗に対し父政宗は自分の家臣の内から57名を選んで秀宗付きの家臣とした。これを57騎という。
その後秀宗は病気を患ったため少し出発が遅れたが2月28日に出発することになった。この日、秀宗一行は父政宗を始めとする多くの者たちに見送られて京都をあとにした。本州では伊丹を通過し3月初旬、尼崎より船に乗り海路で伊予に向かった。3月16日に伊予国長浜(現在の大洲市長浜)に一行は到着する。それからは陸路を通り大洲を通過し、翌日には宇和で一泊し3月18日に宇和島に到着した。
政宗自ら選んだ57名の家臣たちは、この時秀宗と共に入府した者もいれば、後から来た者もいた。秀宗と共に大坂冬の陣に出陣した者、先祖代々伊達家に仕えてきた者、政宗の正室愛姫の実家田村家に代々仕えていた者など様々な由緒ある者たちで構成されており、宇和島では特別な家柄とされた。
中でも役職をもってその使命を受けたのが、家老としては志賀右衛門、侍大将としては櫻田玄蕃の二人である。
大坂冬の陣に参陣した者には、永沼民部、鴇田清九郎、小関宮内、今泉長三郎、櫻田久左衛門、和田源太夫、大原小左衛門などがいた。
尚、57騎ではないが現在和霊神社の祭神として祀られている山家清兵衛も政宗自らが秀宗付として選んだ家臣の一人であるが、秀宗より先に入府し、宇和島での出迎え役となった。                         
                                解説は志後野迫希世学芸員


宇和島市商店街に集結した伊達57騎
背中には名前の書かれた旗印が



2012年3月13日火曜日

高速道路開通

3月10日午後3時より宇和島道路が通れるようになり、松山、宇和島間が1時間10分で結ばれるようになった。機会があり、松山空港に行くと「南予いやし博2012」のイベント告知が・・・さてどのくらいの集客効果があるか未定である。一過性のものにしないためにも工夫がいる。

1階の受付カウンタ前の懸垂幕



2012年3月6日火曜日

臥龍梅

宇和島市庁舎の玄関前に梅の木が植えられている、標識には臥龍梅とある。説明板によると

臥龍梅

 この臥龍梅は昭和50年11月3日、仙台市と宇和島市の歴史姉妹都市提携調印を記念して仙台市から送られたものです。
 宇和島伊達家藩祖秀宗の父、政宗が文禄2年(1593)朝鮮半島から臥龍梅を持ち帰り、仙台城に植えた後、晩年の居城である若林城内(現宮城刑務所)に移植させたと伝えられています。
 また、若林城跡の臥龍梅(仙台市若林区古城)は朝鮮ウメの名で知られ昭和17年国の天然記念物に指定されています。
                                                平成13年宇和島市


2012年3月5日月曜日

いやし博2012準備大詰め

伊達博物館駐車場入り口

巡回バス乗り場でもある入り口には2枚の横看板が設定された
一枚は現在特別展開催中のひな人形展のもの
もう一枚は春の特別展「政宗と秀宗」のものである
特別展の看板は1月ほど前であるが、宣伝のため前倒しで飾った


2012年2月23日木曜日

政宗と秀宗

えひめ南予いやし博2012 春期特別展

政宗と秀宗

政宗の長男として生まれた兵五郎(秀宗)は伊達家長男でありながら仙台藩の跡取りにはならなかった。その理由は定かではないが、わずか4才で秀吉の人質になり、元服後、豊臣家の猶子となり「豊臣秀宗」を名乗った。関ヶ原の合戦後、家康の天下となり、人質として家康のもとに行く。政宗の長男でありながら仙台藩の跡目相続は許されなかった。側室の子だからという方もいるが、家康が豊臣の残党の蜂起を警戒したからだろうと推測される。そして井伊直政の娘、亀姫との縁組みも家康の命令として執り行われる。政宗は長男でありながら仙台藩を嗣ぐことができなかった秀宗を心配し、本多正純宛てに家康への面会を求める書状を送る。この政宗直筆の書面が平成22年に高知城下で見つかった。それにより大坂冬の陣に参陣するため京都二条城にいた家康と政宗の会談が実現した。その後、天領となっていた宇和島(10万石)を頂き、宇和島藩伊達家を立て、秀宗は元和元年(1615年)に宇和島入りする。
政宗は数奇な運命を辿った秀宗のことが心配でならなかったと思う。秀吉にしても、家康にしても政宗を恐れたに違いない。そのため秀宗を甘やかし、大事に預かった。そのため宇和島藩伊達家10万石の大名としての戒めを「覚え」として書いている。また、仙台藩伊達家に伝わる宝物を秀宗の就任祝いに送っている。今回の展示では、その送られたものを中心として展示する。また、自分の家臣の中でも選りすぐりの武将を付けている。山家清兵衛、志賀右衛門、桜田玄蕃などそうそうたる家臣団である。その名も伊達57騎。(詳しくは御歴代事記により展示する。)
  

政宗見参!

今回の特別展は春期と秋期の2回に分けて行うことにしている。春は宇和島藩伊達家に伝わる政宗、仙台藩関係の物を中心とした。秋は仙台よりお借りして仙台藩伊達家と宇和島伊達家の結びつきを中心に据えることにしている。姉妹都市である仙台市のご厚意、また瑞巌寺博物館のご厚意で今まで宮城県より外に出たことのない「政宗の鉄黒塗り五枚胴具足」(国の重要文化財)、瑞巌寺のふすま絵」(国の重要文化財)、政宗倚像(いぞう)などを展示する。

 

2012年2月16日木曜日

ひな人形展


 展示替えも予定通り終了し、本日より4月8日(日)までひな人形展が開催される。写真は7代宗紀公の正室観姫様の婚礼調度、享保雛である。独特の面長な顔に品があり、大名雛としての歴史的価値がある。個人蔵で博物館のひな展のために寄託していただいている。



2012年2月13日月曜日

大村益次郎住居跡火災

宇和島藩伊達家8代宗城の招きにより長州藩より来宇し、蘭学書などの解読、軍備などについて教授した村田蔵六(のちの大村益次郎)。2月10日午前中、与えられた住居跡に建てられていた民家が火災に遭い全焼した。問い合わせもあり、混乱しているので報告すると、宇和島市として指定してはいるが、当時の建物、面影はなく、ただこのあたりに住んでいたということしか分かっていない。同じく、彼の弟子となったイネ(楠本イネ)が住んでいた三角屋敷も近くにある。この住宅は伊達家との関係はなく、博物館ではお客様の要望のよりご案内するのみである。

なお、村田蔵六(大村益次郎)については、司馬遼太郎氏の「花神」、」NHK大河ドラマで詳しく述べられている。

2012年2月3日金曜日

雪の博物館

雪の朝

南国の雪はすぐ溶ける
裏庭の黒鉄黐の木と東洋城の石碑


2012年1月27日金曜日

宇和島城下街地図

現在、販売中の城下町地図は元禄の頃のものと安政から甲か頃にかけてのものとである。ほか県立図書館や市立図書館などにもあるが、この度、コピーされているものだが、個人の方がもっておられる資料が手に入った。年代は推測すると新田の様子から見ると弘化頃のものと思われる。

資料上でクリックすれば詳細が分かる

宇和島藩城下町図


宇和島藩城下町図(堀の内拡大図)



2012年1月22日日曜日

「いやし博2012」公式広報取材

松山市の企画会社「株式会社SPC」より依頼があり、20日博物館内で宇和島藩伊達家13代御当主伊達宗信様と実行委員会顧問の芳心会木村事務所の木村宗慎様の対談が行われる予定であった。当日、天気が回復したことから会場を急遽、天赦園春雨亭で行うことになった。Proの写真家、インタビュアーの方それぞれ打ち合わせ、そして撮影と対談。この記事は広報誌に掲載される。内容は「宇和島への思い」。御当主は東京生まれ、東京育ちだが、幼少の頃、たびたび宇和島に来られ、思いもひとしおであるようだ。また13代当主としての責任からも宇和島を愛する気持ちもお持ちだ。木村先生は宇和島生まれ、宇和島育ちで、現在京都を中心に世界でご活躍だが、原点は小学校時代から持ち続けている伊達文化。このお二人のコラボレーションはいやし博2012において大きな流れの一つとなるに違いない。

対談が行われた「春雨亭」


2012年1月20日金曜日

ひな人形とひな調度展

毎年恒例となっている「ひな人形とひな調度展」を今年も開催いたします。期間は特別展との兼ね合いもあり、2月16日(木)~4月8日(日)となっています。大宮庫吉氏寄贈の丸平大木人形店、五世大木平蔵作の7m50cmにわたる五段有職びなは大きさ、美しさともに日本有数のものであります。また、個人蔵として7代宗紀公の奥方、佐が鍋島藩からお輿入れされた「観姫」様の嫁入り道具の享保びなは歴史もあり、見事なできばえです。その他、伊達家に伝わるひな調度類も是非、ご覧になってください。

ひな人形とひな調度展ポスター


2012年1月19日木曜日

蔵開き

蔵開きとは
年の初めに、吉日を選んでその年初めて蔵を開くこと。また、その祝い。多く正月11日に行い、鏡餅を雑煮などにして食べた。江戸時代、大名が米蔵を開く儀式をしたのにはじまる。公益財団法人宇和島伊達文化保存会の「蔵開き」が17日10:30~開催された。博物館員5名と財団4名、宇和津彦神社宮司さんの祝詞によって、この一年の願いが成就するよう祈願され、無事終了した。

最近、蔵開きは酒蔵を除いて催されることは少なくなった。この珍しさもあり今年は宇和島ケーブルテレビが初めて取材に入った。

蔵開き神に捧げる供物



2012年1月17日火曜日

年間行事予定

博物館協議会は市の博物館設置条例にあるように本館においても設置している。人数は10名で博物館に対する運営とか内容など審議していただき、博物館経営に役立っている。そんな中で「特別展など10年先を見通した経過悪が必要ではないか」というご意見があった。まことにその通りで、他館にお願いする事についても早めに申し込まないと借りることができなくなる恐れがある。つまり、相手の立場を考えねばならないという理由。計画の前の年にはご挨拶に行く必要がある。いまから先、どんどん進めていかねばならない。

表上でクリックすれば詳細が分かります

2012年1月12日木曜日

博物館法改正

[]博物館法の一部改定(2012年4月1日)Add Star
本年8月26日に成立,8月30日に公布された「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」(平成23年法律第105号:内閣府の関連ページはこちら)により,博物館法が一部改定されます。
具体的には次の通り。
第二十一条  博物館協議会の委員は学校教育及び社会教育の関係者、家庭教育の向上に資する活動を行う者並びに学識経験のある者の中から、当該博物館を設置する地方公共団体教育委員会が任命する。
第二十二条  博物館協議会の設置、その委員の任命の基準、定数及び任期その他博物館協議会に関し必要な事項は、当該博物館を設置する地方公共団体の条例で定めなければならない。 この場合において、委員の任命の基準については、文部科学省令で定める基準を参酌するものとする。
なお,施行日は,附則第一条第二号により,「平成24年4月1日」となっています。
第22条に新たに規定されることとなる「文部科学省令で定める基準」は,10月6日から11月5日まで,博物館法施行規則の一部を改正する省令案としてパブリックコメントにかけられています。(12月16日追記:忘れていましたが、パブコメは終了し、結果も公表されています。2件の意見があったということです。ちなみに,博物館関係では公立博物館の設置及び運営上の望ましい基準の改正案についてもパブリックコメントがかけられていました。その結果についてはまだ公表されていないようですが,37件の意見があったことが,9月29日の中央教育審議会生涯学習分科会の議事録で触れられています)。
第十八条 法第二十二条の文部科学省令で定める参酌すべき基準は、学校教育及び社会教育の関係者、家庭教育の向上に資する活動を行う者並びに学識経験のある者の中から任命することとする。
情報処理の高度化等に対処するための刑法等の一部を改正する法律(平成23年6月24日法律第74号)により,博物館法が一部修正されています。同法附則第一条に「公布の日から起算して二十日を経過した日から施行する。」とあることから,7月14日から施行されたものです。
内容は同法附則第35条
(一般社団財団法人法等整備法の一部改正)
 第三十五条 一般社団・財団法人法等整備法の一部を次のように改正する。
  附則第二項及び第三項を削り、附則第一項の見出し及び項番号を削る。
によるものです。
すなわち博物館法の附則の中で「抄」を使うならば,「一般社団法人及び一般財団法人に関する法律及び公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律」(平成18年法律第五十号)による附則部分が
   附 則 (平成一八年六月二日法律第五〇号)
 (施行期日)
 この法律は、一般社団・財団法人法の施行の日から施行する。
となったわけです。もちろん
   附 則 (平成二三年六月二四日法律第七四号) 抄
(施行期日)
第一条  この法律は、公布の日から起算して二十日を経過した日から施行する。
が付け加わっています。

2012年1月1日日曜日

飛翔

飛翔

今年は宇和島市立伊達博物館にとって祈念すべき年となる
仙台藩伊達家の政宗関係の展示を中心に「いやし博2012」の特別展を行う

仙台より出たことがない「政宗の甲冑」(重要文化財)
また瑞巌寺所蔵の「政宗綺像」も始めて宇和島にくることが決定している

旧年中は大変お世話になりました 本年もよろしくお願いいたします

                                          平成24年元旦

                                宇和島市立伊達博物館 職員一同


                                                     3幅(龍2幅・福禄寿1幅)の内の左図   狩野常信筆

2011年12月29日木曜日

企画展「松根東洋城」

3年前より、常設展と併設で企画展を始めている。意外と知られていないが、今後、力を注いでいきたいと考えている。スタンスとしては「特別展」につぐものの位置づけである。

今回の企画展は「松根東洋城」である。俳人として有名であるが、書に表すことはあまりしなかったと聞いている。石碑も多く残っているが、今回展示されているものの内、北条鹿島の石碑の下書き、伊達博物館にある石碑の漢詩の軸など非常の珍しいものがある。また、東洋城の俳句結社「渋柿」の冊子も同時に展示している。


金剛山大隆寺にある松根東洋城の墓



2011年12月8日木曜日

2012年前期展

師走る12月となり、今年もあとわずかになりました。今年の後期展も12月25日で終了します。2012年の前期展は1月4日より開催します。そのための展示替え準備が着々となされています。展示替え期間は12月26日(月)~28日(水)となっています。

2012年前期展テーマ

伝える ~調度や書画類にみる伝える心~

2011年12月4日日曜日

出前授業・迎え授業

出前授業

平成20年度より始めた出前授業
仕掛け人は宇和島歴史文化研究会の現事務局長さん
子どもたちの歴史離れと博物館に来る機会が減っているのを憂えての新しい事業で
全面的に公益財団法人宇和島伊達文化保存会の協力の下行ってきている

特筆すべきは古文書等、すべて本物を展示していることである
他では類を見ないことである

最初の挨拶は宇和島歴史文化研究会の赤松副会長



2011年12月1日木曜日

瑞鳳殿

瑞鳳殿(ずいほうでん)は、仙台市都心部の南西、広瀬川の蛇行部に挟まれた経ケ峯にある伊達政宗を祀る霊廟。「経ケ峯歴史公園」内にあり、「経ヶ峯伊達家墓所」として仙台市指定史跡となっている


2011年11月28日月曜日

仙台市博物館

仙台市博物館

仙台市都心部西側にある仙台市立の博物館
江戸時代に仙台城三の丸として使用されていた地にあり、現在は青葉山公園の一部

約束の9時に訪れると、副館長さんの出迎えを受け恐縮する
来年度の特別展にお借りするお礼のご挨拶と大震災のお見舞いをかねての訪問
皆様方の歓迎に感謝を申し上げます

昨年のニューリアル開館から一年・・・3月11日未曾有の大震災を受けた殿堂
耐震の設計とLED照明化した館内は幸い大きな被害は無かったとのこと
しかし、再開館までは安全など考慮し、2ヶ月以上掛かったとか
館長さんを始め、館員の皆様方の努力と実践に対して敬意を表します


2011年11月27日日曜日

瑞巌寺

来年度秋の特別展でお借りするため瑞巌寺へご挨拶に参りました。11月20日だったのですが、紅葉は真っ盛りで非常に心癒やされました。例年に比べ2週間遅いとか。

参道と表門

遙か彼方に見えるのが表門
津波はここまで押し寄せてきたとか
津波というより高潮のように水がじわじわと押し寄せてきた感じだったとか
樹齢400年以上の杉並木


 臨済宗瑞巌寺
江戸時代に入って伊達政宗が禅僧虎哉宗乙の勧めで円福寺復興を思い立ち、慶長9年(1604年)から14年(1609年)までの工事で完成させた。今に伝わる桃山様式の本堂などの国宝建築はこの時のものである。このとき寺の名を改めて「松島青龍山瑞巌円福禅寺」と称した。一時住持が不在だったが、寛永13年(1636年)に雲居が入り、伊達氏の保護もあって隆盛をきわめた。この際、それまで瑞巌寺とは別個に存在した五大堂が、瑞巌寺の管理下に入った。政宗の隠し砦という説もある。

2011年11月24日木曜日

予告!

「愛媛南予いやし博2012」
愛媛県宇和島圏域観光振興イベント

平成24年4月14日(土)~5月13日(日)春期展
政宗と秀宗 序章

平成24年9月7日(金)~10月8日(月)秋期展
政宗参上! -仙台藩伊達家と宇和島藩伊達家-

2011年11月19日土曜日

頑張ろう東北!

昨日、商工会議所青年部の方から突然の電話
「明日、福島県の中学生30名ほどがお伺いしたいのですが・・・」

ここ数日、東北からの依頼が続いている
20日には姉妹都市大崎市より臥龍梅の寄贈のため市職員が・・・
23日には仙台市富沢遺跡保存館の団体の方たちが・・・

反対に宇和島より21、22日には御当主と共に仙台藩伊達家、仙台市博物館、瑞巌寺、瑞鳳殿にご挨拶に行きます。このようなときには、やはり、宇和島のルーツは東北地方という感じがします。

福島三中の生徒たち
案内は当館学芸員、オレンジのジャンパーが商工会議所青年部の方たち


2011年11月16日水曜日

現地説明会

秋晴れの11月13日(日)宇和島城で式部丸跡発掘調査の現地説明会が開催された。10時からと13時半から2回行われたが、興味もあり参加させていただいた。文化課の職員の方々は前日より準備され、大変であったと思われる。この式部丸は山崎式部(秀宗の時代)の住居跡と言われ、この上部の代右衛門丸とともに現在調査中とのことである。(代右衛門丸は一昨年現地説明会があった)

上り立ち門から上がり、右手(これが普通の登城経路)虎の口。非常に狭く左手の石垣が崩れかけで現在、修復調査中とのこと。普通は立ち入り禁止である。