1月4日(火)より開館しています。伊達博物館では展示替えを年二回、それと企画展を二回(ひなにんぎょう展、秀吉像展)、そして恒例ともなった秋の特別展を開催します。昨年より、第四展示室では寄託品や寄贈品の展示も開催しています。(年始めは、収蔵庫改修のため閉じています。)
いろいろな方より、アイディアを頂き、少しでも喜んでいただけるよう改善していきたいと考えています。ぜひ、ご来館下さり、ご意見を頂ければ幸いです。
2011年1月5日水曜日
2010年12月28日火曜日
展示終了
仕事納めの今日、展示替えが無事終了しました。最後の仕事は明るさの調整です。なぜ暗いの?とか、博物館の展示を見るのに懐中電灯がいるといった声がお客さんから聞こえてきます。これは調度類や古文書など劣化させないために文化庁の基準値があり、それを参考にしているのです。最近、LEDの開発が進み、紫外線を出さない照明もできつつあります。今後の課題として博物館では研究中です。
収蔵庫の改修のため、第四展示室は改修終了まで閉じていますから、今回の展示は第一展示室から第三展示室までテーマ別に行っています。その作業が終わった展示室内です。1月4日の開館までお待ちください。来年もよろしくお願いいたします。
第一展示室
収蔵庫の改修のため、第四展示室は改修終了まで閉じていますから、今回の展示は第一展示室から第三展示室までテーマ別に行っています。その作業が終わった展示室内です。1月4日の開館までお待ちください。来年もよろしくお願いいたします。
第一展示室
2010年12月27日月曜日
展示替え
2011年1月4日(火)~6月12日(日)前期展が「武家のくらしと風習 ~宇和島伊達家にみるくらしの調度と武家の年中行事~」のテーマで開催される。その展示替え作業が12月26日(日)~28日(火)にかけて行われた。ここ数年この展示替えは、年末の恒例行事となっている。新年に向け新しい展示が行われ、お客さんに少しでも目新しい展示を見ていただきたい思いからこのような日程になった。
伊達博物館の展示常設展の展示に到る迄の流れは
テーマ決定 → 展示物検討 → 財団へ申し込み → 蔵出し・搬入 → 検品 → 展示作業
である。
撤去作業(白梵天)
2010年12月19日日曜日
宇和島さんさ
宇和島市の座敷唄「宇和島さんさ」は、全国的に名の通った愛媛の民謡。宇和島藩の五代藩主伊達村侯が1749(寛延2)年に参勤交代で江戸へ出府した際、仙台伊達家との間で家格について本家・末家の争いが起こった。この最中、両家が顔を合わせた酒席で仙台側家臣が地元民謡「さんさ時雨」を披露。これに負けじと宇和島伊達家のお庭番吉田万助が即興で宇和島の「さんさ」を歌った。これが「宇和島さんさ」の由来とされ、宇和島武士たちの勇気を鼓舞するために歌い継がれたという。(別名「万助節」「諸共節」)1982年の民謡全国大会で歌った松山市の主婦が優勝したことから、一気に知名度が上がった。
2010年12月18日土曜日
燻蒸
博物館は照明、空調の他にまだ重要な要素がある。それは防虫・・・どこの博物館も防虫剤は欠かせない。期限切れや予算削減のあおりで少なくしたとたん、虫が多量に出てきて展示が出来なくなった館もある。
ここで言う燻蒸とは、展示物の寄贈を受けたり、寄託を受けたりするときの手順の一つ。虫の発生を抑えるため、収蔵庫に入れる前の作業。燻蒸し、そして安全を確認して保管するのである。しかし、この施設を持っている館は大きな館に限られる。収蔵庫全体が燻蒸室になっているところもある。そうしたら小さな燻蒸室を持っていない館はどうするのか。持っている館に頼まざるを得ない。
そんな館のためCO2を使った簡易的な燻蒸パックが出来たようである。ガスは人体に影響が少ないCO2。本格的な燻蒸には昔は青酸ガス」が使われ非常に危險であった。最近は緩やかなガスに変わってきている。導入には予算を伴うため見合わせているが、将来的にはLED照明と共に検討しなければならない。
ここで言う燻蒸とは、展示物の寄贈を受けたり、寄託を受けたりするときの手順の一つ。虫の発生を抑えるため、収蔵庫に入れる前の作業。燻蒸し、そして安全を確認して保管するのである。しかし、この施設を持っている館は大きな館に限られる。収蔵庫全体が燻蒸室になっているところもある。そうしたら小さな燻蒸室を持っていない館はどうするのか。持っている館に頼まざるを得ない。
そんな館のためCO2を使った簡易的な燻蒸パックが出来たようである。ガスは人体に影響が少ないCO2。本格的な燻蒸には昔は青酸ガス」が使われ非常に危險であった。最近は緩やかなガスに変わってきている。導入には予算を伴うため見合わせているが、将来的にはLED照明と共に検討しなければならない。
2010年12月16日木曜日
照明
博物館の生命線は空調と照明です。伊達博物館の空調は全館を2年前改修、収蔵庫を今年改修します。照明もエコ対策を考えながらLED照明に変えたいのですが、予算的な面と実績の評価がいります。これからは紫外線が出ないLEDに切り替わると思います。LEDスポットは特別展の国宝「喜左衞門井戸茶碗」を照らしました。
昨日、Panasonicの営業担当者の方が来館されました。新商品の紹介で、今月24日発売の直管型LED照明を持参されていました。なんと蛍光灯と同じ企画の直管型LED照明なんです。スポットとこの直管型LED照明にやり変えることが出来れば、今の暗さを払拭できるかも知れません。日本の技術力も捨てたものではないと改めて感じました。
昨日、Panasonicの営業担当者の方が来館されました。新商品の紹介で、今月24日発売の直管型LED照明を持参されていました。なんと蛍光灯と同じ企画の直管型LED照明なんです。スポットとこの直管型LED照明にやり変えることが出来れば、今の暗さを払拭できるかも知れません。日本の技術力も捨てたものではないと改めて感じました。
天井取り付けのスポット
小さな方がLEDスポット
2010年12月12日日曜日
前立て
兜の前立てで有名なのは「伊達政宗の三日月」、最近では大河ドラマの影響で「直江兼続の愛」などである。宇和島藩伊達家では鍬形が主に用いられている。寄贈していただいた秀宗所用「紫糸威二枚胴具足」の前立てが二カ所折れている。気になるので、新しく作成してもらった。
作成者は何時もお世話になっている大村仁志氏である。この方にはこのほか「琵琶湖早船」「伊達の黒船(前原巧山の蒸気船」「松根家の生首の前立ての切り抜き」「結界」なども作成してもらっている。この前立ては兜を軽くするため木製品である。今回は桐で作成し、金粉の塗料を何度も吹きつけ塗り直してもらった。
作成者は何時もお世話になっている大村仁志氏である。この方にはこのほか「琵琶湖早船」「伊達の黒船(前原巧山の蒸気船」「松根家の生首の前立ての切り抜き」「結界」なども作成してもらっている。この前立ては兜を軽くするため木製品である。今回は桐で作成し、金粉の塗料を何度も吹きつけ塗り直してもらった。
秀宗の前立て
2010年12月10日金曜日
2010年12月5日日曜日
寄贈と寄託
今日、松山在住の方より伊達家に関する文書類を寄贈したいとの申し入れがありました。いつものことながら「寄贈」ですか、それとも「寄託」ですか。の確認をしました。伊達博物館は市立ですから、寄贈となると宇和島市へとなります。寄託は御預かりするものです。しかし、あくまでも「伊達博物館」ですから伊達家関連のものとしています。寄託品も収蔵庫の大きさにも限りがあり、その都度、検討します。しかしながら資料や物の散逸を防ぐため、出来る限りの努力は怠っていません。今日の投稿は博物館用語の解説ですね。
参考までに、京都国立博物館や奈良国立博物館などは各お寺さんからの寄託が多く、年明けには挨拶回りでひと月近く掛かるそうですよ。
参考までに、京都国立博物館や奈良国立博物館などは各お寺さんからの寄託が多く、年明けには挨拶回りでひと月近く掛かるそうですよ。
2010年12月1日水曜日
2010年11月26日金曜日
書籍販売
伊達博物館は郷土の歴史資料やお預かりしている書籍(伊達家関係)がいろいろとある。今回、お預かりしたのは、木下博民著「青年・松浦武四郎の四国遍路」。表紙の帯封に内容は書かれている。松浦武四郎とはどのような人物か? 北海道という名前の名付け親、フリーのルポライターと言ったら過言だろうか。幕末に於いて彼ほど情報通はいない。先日、北海道松浦武四郎研究会の方々、宇和島歴史文化研究会の方々、伊達家13代御当主宗信様が「歴史シンポ in 宇和島」というシンポジウムを福祉センターで行った。盛会で皆熱心に参加されていた。これによって一段、武四郎と宇和島藩伊達家との繋がりが大きく取り上げられ活気づくことを期待したい。19歳で四国遍路に挑戦した宇和島藩領での彼の足跡をたどるのも一興。
2010年11月21日日曜日
2010年11月20日土曜日
収蔵庫改修
11月18日付けで次の連絡を館長名で出しています。平成22年12月1日(水)~平成23年2月下旬頃まで収蔵庫空調改修工事を行います。尚、改修工事に伴い第4展示場を閉鎖致します。第1~3展示場は通常通り展示しております。ご迷惑をお掛け致しますが、ご了承下さい。
ご存じの様に博物館は展示室は表舞台の生命線、収蔵庫は普通、目に触れませんが裏舞台の生命線です。23度、60%が収蔵庫の基本。これを365日保たねばなりません。写真は収倉庫の前扉と空調システム操作盤(コンピュータ制御)です。右手の写真のメータは「前室湿度」「前室温度」「収蔵庫内湿度」「収蔵庫内温度」です。365日、24時間セキュリティ管理され、異常になると警備保障より緊急連絡が入ります。
ご存じの様に博物館は展示室は表舞台の生命線、収蔵庫は普通、目に触れませんが裏舞台の生命線です。23度、60%が収蔵庫の基本。これを365日保たねばなりません。写真は収倉庫の前扉と空調システム操作盤(コンピュータ制御)です。右手の写真のメータは「前室湿度」「前室温度」「収蔵庫内湿度」「収蔵庫内温度」です。365日、24時間セキュリティ管理され、異常になると警備保障より緊急連絡が入ります。
2010年11月12日金曜日
講演会始末記
退職公務員連盟から講演を依頼され、鶴島公民館で行いました。演題は「歴史は切り口」、サブテーマは「伊達家人物往来」でした。今まで行った講演とできるだけ重ならないように今回は著作物を紹介しながら見方(方向)によって歴史のおもしろさが分かるというよくばったもの。これが失敗の基でした。なにしろ脈絡がないことおびただしい。演題は外れていないと思いますが、何を言いたいのか分からなかったと思います。レジュメを造っておけば良かったと反省しきり。ブログの url をお教えしたので読んでくださる方も居ると思いますので、この場を借りてお詫び申し上げます。m(_ _)m
秋空に映える宇和島城
2010年11月11日木曜日
2010年11月9日火曜日
画面の変更とお知らせ
このブログを楽しみに見ている方々にご連絡いたします。バックカラーが黒くて見えにくいというご意見があり、この度、白色に変更いたしました。それに合わせたわけではないのですが、タイトル画面も宗城公に登場いただき、宇和島藩伊達家をアピールしたいと思います。もう一点、ご注文の文字の大きさの件ですが、大きくすれば情報量が少なくなり、スクロールする手間が増えることから現在の大きさでお願いします。これからもご意見がありましたら博物館のメールアドレスによろしくお願いいたします。
2010年11月5日金曜日
里帰りの杏
宇和島藩伊達家2代宗利様には女のお子様3人しか生まれなかった。徳川家よりの養子縁組の話があったが、仙台綱宗公の次男宗贇様を迎える。残るお二人のお姫様は京極家、真田家に嫁がれる。真田に嫁がれた豊姫様はわずか15歳であった。お嫁入りの際、故郷宇和島を忍ぶため、杏の苗木の鉢植えを持参した。この杏を真田城下の家々が植え、春には町が桃色に染まったという。殖産としても真田家は奨励し、現在では観光の名所ともなっている。
姉妹都市締結(昭和48年)の交流事業の時、宇和島市には杏の木がないことから更埴市(現千曲市)より、苗木の寄贈を受けている。記念植樹として博物館、天赦園、丸山公園などに植えられている。35年たった今、標柱も朽ち果てたので新しく立て直した。
姉妹都市締結(昭和48年)の交流事業の時、宇和島市には杏の木がないことから更埴市(現千曲市)より、苗木の寄贈を受けている。記念植樹として博物館、天赦園、丸山公園などに植えられている。35年たった今、標柱も朽ち果てたので新しく立て直した。
2010年10月28日木曜日
方向性
特別展も終わり、さて来年はどうするか? 9月16日の内覧会のあと伊達博物館協議会を開催しました。その時、委員さんよりの提案(課題)が二つありました。「10年先を見通した特別展計画」「小中学生を引き込むような計画と実践」です。来年度の計画は今からでは間に合わないことも知っています。ありがたいご提案で後日、伊達文化保存会の理事長伊達宗信様、財団の方と協議会メンバーと協議しました。相手があることで決定ではないのですが、「彦根藩井伊家と宇和島藩伊達家」で行おうとまとまりました。彦根藩と宇和島藩とは深い関係があります。初代秀宗公の奥方は井伊直政の娘(亀姫様)がお輿入れになっています。また幕末の大老、井伊直弼との交遊(宗紀、宗城と)も面白い事実です。実現に向け動き出したところです。併せて2年後、3年後の特別展も計画中です。動く博物館を目指して・・・
2010年10月27日水曜日
やっと搬出
伊達博物館秋の特別展のため9月14日に搬入された国宝「喜左衞門」、西教寺重文の襖絵ほか、すばらしい文化財の数々が搬出されました。国宝は大徳寺孤篷庵より、お二人の方がこられました。後のものは日本通運美術専門車で搬出されました。その道のプロ集団で手際よく、仕事を進められました。京都まで8時間の長旅とか。そのあと後期展で仕舞っていた伊達文化保存会の品々を再展示の作業。日通の手際よさを見ているためか、この再展示も手早く行われました。昨年に続き、美専車による搬出入となりました。これを機会に予算など周知できると思っています。
2010年10月24日日曜日
最終日
内容は充実して大変良かったという評価だったのですが、変則的な開催については、非常に不評を買った平成22年度秋の特別展でした。それも今日で終了します。茶会で国宝の展示が一日留守になり出来なかったこと、延長の告示が不徹底で黄金の茶室等が見えなかったこなど、この場をかりてお詫びいたします。先月16日の内覧会より、24日迄の一月あまり、黄金の茶室のセキュリティに神経を使い、国宝の移動など初めての経験で大仕事でした。朝、開館前の静かな展示室内を撮ったものです。今日が済めば、京都方面への搬出作業、展示替え、そして来年度特別展の準備(既に出来ている。)をおこないます。
2010年10月20日水曜日
寂しさ・・・
特別展の期間中、お客さんを魅了していた平成の黄金の茶室が撤収されました。大きな企画の終了作業には一抹の寂しさがあります。この茶室は21日より、SGC本社(長野県松本市)において「紅葉と黄金の茶室展」が3日間開催されるそうです。スタッフの皆さん寝る間もないくらいに日本中を駆け巡っています。紅葉の松本城、行ってみたいですね。伊達博物館での展示期間は延べ35日間でした。この期間は国立科学博物館2ヶ月に次ぐものとか。小さな町の小さな博物館に展示された桃山文化、感謝感激を新たにしました。また、セキュリティで神経をすり減らしたことも事実です。かかわった人たち、博物館に感謝!
2010年10月17日日曜日
2010年10月15日金曜日
2010年10月14日木曜日
特別展会期延長!
この度、恒例の秋の特別展が持ち主様のご厚意に寄り、延長の運びと成りました。黄金の茶室は19日迄、その他(国宝喜左衞門、狩野永徳襖絵ほか)のものは24日迄の展示となります。今回の特別展はリピータの方が多く来館されています。博物館始まって以来ではないかと思いますが、8回の方が最高です。また長時間、研究される方もおられます。6時間が最高時間です。お目当ては勿論「喜左衞門」・・・博物館の行事としては、明日は小学校が数校来館し、コーディネータの木村宗慎先生が案内します。土曜日は孤篷庵主催の茶会のため国宝の茶碗は天赦園に移動しますから博物館では見ることが出来ません。(天赦園春雨亭の外から)別途、天赦園の入園料(割引で200円)が必要です。17日(日曜日)の14時から木村宗慎先生のご案内があります。この度の展示物についての裏話や京都の話題など聴くことが出来、博物館をより楽しむことが出来ます。


2010年10月9日土曜日
伊達の黒船
博物館を楽しむ方法として学芸員さんの解説を聴くこととが出来る。これは全ての館で通用することではないし、忙しいときは出来ない。今日は御世話になった方に説明をしてロビーまで帰ってきた。すると一人の紳士が「今回の特別展には関係はないが、この館に前原巧山の黒船があると聴いている。見たいのだが。」と話されました。丁度その時に、黒船作成の仕掛け人M氏が来館されました。熱心さにうれしくなり、収蔵庫から特別に出し、お見せし、説明しました。たいそう感動され喜びで一杯でした。どちらから来られましたからの質問に「新潟からです。」でまた、びっくり・・・出張のついでにどうしても見たいという気持ちを抑えきれず、来館さんされたとか。このニュースを聞くと製作者の大村仁志氏(大村益次郎ではない。)は喜ぶことでしょう。この報告のついでに黒船試走の様子を掲載しておきます。
2010年10月6日水曜日
2010年10月4日月曜日
特別展、途中の展示替え
伊達博物館では特別展途中の展示替えはあまりやったことがない。しかし、国宝の紙物など展示期間が制限されているものもあり、他館ではざらにあるとか聞いている。3年頬前、高知県立歴史民俗資料館で「坂本龍馬・中岡慎太郎展」で展示された「血染めの屏風」「や「血染めの掛け軸」など京都国立博物館蔵のものなどわずか1週間で撤収されたと聞いた。当館の展示替えは「猿猴の間」の屏風を裏返し「賢人の間」に変えること、裂を1点変えること、藤原定家の断簡を撤収することだったが、それでも2時間ほどかかった。神経を使う作業である。16日にはお茶会に出品する国宝「喜左衛門」井戸(孤篷庵主催)が持ち出される。特別展、折り返しを迎えたが、少々疲れ気味・・・
2010年10月3日日曜日
2010年10月1日金曜日
2010年9月29日水曜日
大徳寺孤篷庵主催お茶会
10月16日(土)特別展に展示されている「国宝 喜左衞門」大井戸茶碗の鑑賞会が天赦園で開催される。共催は財団法人伊達文化保存会・・・ポスターにあるとおり、春雨亭で展示、お茶会は潜淵館で開催される。当日、国宝は博物館から天赦園に出すため、見るためには天赦園の入園料(割引で200円)が必要です。
2010年9月28日火曜日
ギャラリートーク
昨年度の特別展より、土曜日、日曜日、祝祭日の14:00から、伊達博物館の3人の学芸員の持ち回りによる「ギャラリートーク」を実施しています。毎回、いすは20程用意していますが、それでも足りずに立って聞いている方も多数おられます。内容は宇和島藩伊達家についてはもとより、「天下人の風流」でお借りしたものについて解説します。歴史的な背景も優しく解説し、お客さん方の評価も上々です。予定としては10月2,3,9,10,11,16,17日に開催します。なお16日はお茶会のため「国宝 喜左衞門」大井戸茶碗は展示されません。(天赦園にて鑑賞会)、17日最終日には感謝を込めて、今回のコーディネートをしていただいた木村慎太郎氏がご案内します。
2010年9月26日日曜日
内覧会と鑑賞会
何を今更と思われるのを承知でアップします。何しろ忙しくてパソコンどころではない。他の行事のポスター、特別展のキャプションの追加などの制作が突然に入って来て大変な様相でした。やっと9月16日(木)の内覧会開会式及び会場内の様子と天赦園潜淵館で開催された国宝「喜左衛門」大井戸茶碗の鑑賞会の様子をアップすることができます。なお写真の提供は「きずな」編集長の川尻氏です。この場を借りてお礼申し上げます。
まずは開会式です。77名に及ぶ招待客、博物館ロビーが一杯になりました。主催者代表で石橋市長の挨拶、そしてコーディネータとして苦労された木村宗慎様のご挨拶、最後に伊達家13代当主、伊達宗信様の祝辞で閉会しました。
まずは開会式です。77名に及ぶ招待客、博物館ロビーが一杯になりました。主催者代表で石橋市長の挨拶、そしてコーディネータとして苦労された木村宗慎様のご挨拶、最後に伊達家13代当主、伊達宗信様の祝辞で閉会しました。
2010年9月23日木曜日
平成22年度秋の特別展内覧会
ご あ い さ つ
宇和島市は、伊達家10万石の城下町として栄え、宇和海を望む山々の自然に恵まれた景観や文化財を今なお数多く遺しております。
中でも財団法人宇和島伊達文化保存会には、藩祖伊達秀宗以来の、武具、婚礼調度、絵画など多くの貴重な大名道具が伝存されています。この宇和島伊達文化保存会の格別の御配慮と御協力の下、当市立伊達博物館では、内容を変えながら定期的に公開しております。
その中で、毎年秋には京都の有名寺院、博物館などからも展示資料の御協力を賜り、伊達家の大名道具とともに特別展として公開しております。お蔭様で昨年度開催の35周年の特別展では好評を博し、県内外から数多くの方々に足を運んでいただくことができました。
しかし残念ながら、昨年度は図録を作成することはできませんでした。今年度は来館者の皆様のお声に少しでもお応えしたいという気持ちから、冊子ではありますが、図録を刊行した次第です。刊行にあたり、関係各位に心から厚くお礼申し上げますとともに、より一層の御支援をお願い申し上げ、御挨拶と致します。
宇和島市長 石 橋 寛 久
ご あ い さ つ
「天下人・秀吉」は宇和島の方々にとって、おなじみの人物ではないでしょうか。 伊達家宝物の筆頭として、重要文化財の指定も受けた肖像画は、市民の方々ならば一度はご覧になったことがあるはずです。宇和島藩の初代藩主・伊達秀宗は、幼少期を秀吉のもとで過ごし、名前の「秀」の一字はその緑を示すものです。
天下統一を果たした武将・秀吉は、絢欄豪華な桃山文化の立役者でありました。賛を尽くした宋楽第や伏見城の逸話はくり返し語られるところです。
今年度の伊達博物館特別展では、「戦国浪漫~天下人の風流~」と題して豊臣秀吉のそうした文化的な側面や、伊達家に残された縁の資料を展示いたします。再現された黄金の茶室は、派手好みだったという秀吉のイメージの代表例です。加えて、伏見城の遺構を客殿とする近江・西教寺から出陳の資料類は秀吉の生活空間をしのばせます。華やかな暮らしぶりの一方で、千利休を重用した秀吉はわび茶の湯も好み、生涯の楽しみとしました。
今回、四国の美術館・博物館では初の公開となる国宝の大井戸茶碗 銘 喜左衛門に代表される高麗茶碗は信長・秀吉といった権力者から珍重されたものです。能や狂言の庇護者としても知られた秀吉は、日本史上、もっとも文化事業に熱心な権力者であったかもしれません。宇和島伊達家にも伝えられた、桃山文化の香りを、来館者の皆さまに感じとっていただければ幸甚です。
企画監修 木 村 宗 憤
(芳心会・宇和島市立伊達博物館運営審議委員・宇和島市文化協会顧問)
祝 辞
宇和島市は、伊達家10万石の城下町として栄え、宇和海を望む山々の自然に恵まれた景観や文化財を今なお数多く遺しております。
中でも財団法人宇和島伊達文化保存会には、藩祖伊達秀宗以来の、武具、婚礼調度、絵画など多くの貴重な大名道具が伝存されています。この宇和島伊達文化保存会の格別の御配慮と御協力の下、当市立伊達博物館では、内容を変えながら定期的に公開しております。
その中で、毎年秋には京都の有名寺院、博物館などからも展示資料の御協力を賜り、伊達家の大名道具とともに特別展として公開しております。お蔭様で昨年度開催の35周年の特別展では好評を博し、県内外から数多くの方々に足を運んでいただくことができました。
しかし残念ながら、昨年度は図録を作成することはできませんでした。今年度は来館者の皆様のお声に少しでもお応えしたいという気持ちから、冊子ではありますが、図録を刊行した次第です。刊行にあたり、関係各位に心から厚くお礼申し上げますとともに、より一層の御支援をお願い申し上げ、御挨拶と致します。
宇和島市長 石 橋 寛 久
ご あ い さ つ
「天下人・秀吉」は宇和島の方々にとって、おなじみの人物ではないでしょうか。 伊達家宝物の筆頭として、重要文化財の指定も受けた肖像画は、市民の方々ならば一度はご覧になったことがあるはずです。宇和島藩の初代藩主・伊達秀宗は、幼少期を秀吉のもとで過ごし、名前の「秀」の一字はその緑を示すものです。
天下統一を果たした武将・秀吉は、絢欄豪華な桃山文化の立役者でありました。賛を尽くした宋楽第や伏見城の逸話はくり返し語られるところです。
今年度の伊達博物館特別展では、「戦国浪漫~天下人の風流~」と題して豊臣秀吉のそうした文化的な側面や、伊達家に残された縁の資料を展示いたします。再現された黄金の茶室は、派手好みだったという秀吉のイメージの代表例です。加えて、伏見城の遺構を客殿とする近江・西教寺から出陳の資料類は秀吉の生活空間をしのばせます。華やかな暮らしぶりの一方で、千利休を重用した秀吉はわび茶の湯も好み、生涯の楽しみとしました。
今回、四国の美術館・博物館では初の公開となる国宝の大井戸茶碗 銘 喜左衛門に代表される高麗茶碗は信長・秀吉といった権力者から珍重されたものです。能や狂言の庇護者としても知られた秀吉は、日本史上、もっとも文化事業に熱心な権力者であったかもしれません。宇和島伊達家にも伝えられた、桃山文化の香りを、来館者の皆さまに感じとっていただければ幸甚です。
企画監修 木 村 宗 憤
(芳心会・宇和島市立伊達博物館運営審議委員・宇和島市文化協会顧問)
祝 辞
本日ここに、宇和島市立伊達博物館 秋の特別展「戦国浪漫~天下人の風流~」を開催するにあたりまして祝辞を申し上げます。
皆様ご高承の通り、宇和島伊達家は藩祖秀宗公が徳川幕府から伊予の国宇和島10万石を拝領したことに始まり、歴史上「江戸時代」と言う長い時の流れに従って、宇和島藩主として代々この地を治めて参りました。この間、各藩主、家臣などが残した数々の文物は、明治維新後の数々の激動の時代を経てなお、貴重な歴史的遺産として幸運にもこの宇和島の地に現存し、歴史の生き証人として私たちに浪漫を与えてくれています。
今年の特別展は、藩祖秀宗公が幼少期を一緒に過ごした天下人、「豊臣秀吉」にまつわる品々を京都大徳寺様を始めとした皆様より拝借し、伊達家に伝来した拝領品とともに展示させていただくことができ、光栄に思って居ります。これら本物から発せられる時代を超えて語りかけるものを感じていただければ幸いに存じます。
宇和島伊達文化保存会は、先人の残した努力によって膨大な資料を保存しており、これらを活かした活動を行う責務を果たして行かなければなりません。 そのためには、今後益々宇和島市の関係当局、特に市立伊達博物館との協力体制を強化し、「来る人には楽しみを、帰る人には喜びを」感じていただけるような、観る人の視点に立った展示、一般公開を行って参りたいと考えています。
終わりになりましたが、今回の展示にご協力いただきました所蔵者の皆様、御尽力いただきました木村宗慎様、関係各位に心から感謝の意を表しまして甚だ簡単ですが、開会にあたっての祝辞といたします。
平成22年9月16日
財団法人宇和島伊達文化保存会
財団法人宇和島伊達文化保存会
理事長 伊達 宗信
2010年9月19日日曜日
2010年9月12日日曜日
2010年9月10日金曜日
2010年9月9日木曜日
2010年9月3日金曜日
結界作成 特別展準備
特別展の目玉である「黄金の茶室」の結界作りを行いました。予算も知恵も無いところから、またもや博物館に協力していただいている、大村仁志氏にお願いしました。相変わらず気軽に作成していただき感謝、感謝です。素材は茶室ということと日本の美を表すため、財団法人伊達文化保存会より天赦園の真竹を頂きました。この場を借りて竹を切って頂いた尾崎氏に深く感謝します。
2010年9月2日木曜日
家紋「竹に雀」
宇和島藩伊達家の家紋は基本的に四つ存在します。宇和島笹と呼ばれる「竹に雀紋」、「竪三引両紋」「雪ニ薄紋」「九曜紋」です。代表的なのが仙台伊達家の「竹に雀紋」、別名「仙台」と呼ばれる家紋の変形紋「宇和島笹」。この家紋については偶然の事ながら一つの出来事がありました。昨日、伊達家関係の方より、裃を寄贈したいとの話があり、見てみると家紋は「仙台笹」、見事な裃でありがたく受け取ることにし、手続きを現在行っています。寄贈していただく方の話では「政宗が着ていたかも・・・」とか「秀宗に着せたのでは・・・」と想像できるとのこと。それにしても貴重なものをいただき、感謝に堪えません。
もう一つ、この家紋については面白いエピソードがあります。2年前、NHK大河ドラマ「篤姫」の放映中に伊達宗城(8代公)役で出演されていた森田順平氏が博物館に別の番組の収録のため来館されたことがあります。森田氏との話の中で、「伊達宗城役は来週の出演で最後となるけれど、着ていた裃の家紋が仙台笹だったような気がするのでよく見ていて下さい。」とのことでした。結果は「宇和島笹」で、「役者さんは細かいところにまで気がつくのだなあ。」と彼の宿題ができ安心した次第でした。
もう一つ、この家紋については面白いエピソードがあります。2年前、NHK大河ドラマ「篤姫」の放映中に伊達宗城(8代公)役で出演されていた森田順平氏が博物館に別の番組の収録のため来館されたことがあります。森田氏との話の中で、「伊達宗城役は来週の出演で最後となるけれど、着ていた裃の家紋が仙台笹だったような気がするのでよく見ていて下さい。」とのことでした。結果は「宇和島笹」で、「役者さんは細かいところにまで気がつくのだなあ。」と彼の宿題ができ安心した次第でした。
2010年9月1日水曜日
宇和島藩伊達家三代藩主伊達宗贇(むねよし)
二代宗利公には女の子しかなく、仙台藩より宗贇公をご養子として三保姫と妻合わせました。この宗贇公の体格は当時として大変大柄の方で甲冑を見てもその大きさがわかります。そのことが記事として取り上げられました。この記者さん、粘り強い方で約1年にわたって詳細を調べられております。着用者の身長は1m80cm、胴回りは1m50cmで大関魁皇関と同じくらいと推定しています。お姑さんが書いた手紙には「器量骨柄のめでたき」とあります。このニュースは産経新聞全国版、共同通信によって全国に流されました。このニュースを見たという知らせが各方面から寄せられています。
みなさん、当時の平均身長が1m60cmの中で、江戸城の廊下を歩いている宇和島藩宗贇公の姿を想像してみて下さい。
桜鋲紺糸黒塗具足
みなさん、当時の平均身長が1m60cmの中で、江戸城の廊下を歩いている宇和島藩宗贇公の姿を想像してみて下さい。
2010年8月31日火曜日
御当主、文化大使に!
8月30日、伊達家13代御当主伊達宗信様が宇和島市文化大使に任命されました。このことは6月11日文化講演会の席上で石橋市長さんが約束を取り付けたもので実現の運びとなりました。この日、市長室で任命書を受け取られました。
この大使、就任を受けてではありませんが、御当主がラジオ出演されます。詳細はまだ分かっていませんが、14日南海放送でパーソナリティは枡形浩人アナウンサーです。対談の内容は「特別展 戦国浪漫」についてです。この約束は枡形氏と御当主が「宇和島牛鬼祭り ガイヤカーニバル」で審査員と司会として会ってから急遽決まったもの。縁というのは不思議なものです。
この大使、就任を受けてではありませんが、御当主がラジオ出演されます。詳細はまだ分かっていませんが、14日南海放送でパーソナリティは枡形浩人アナウンサーです。対談の内容は「特別展 戦国浪漫」についてです。この約束は枡形氏と御当主が「宇和島牛鬼祭り ガイヤカーニバル」で審査員と司会として会ってから急遽決まったもの。縁というのは不思議なものです。
2010年8月30日月曜日
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